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2015年8月30日日曜日

野生のトマト

毎年ミニトマトの苗を近所の農家からもらっている。
去年は多く出来たのだが、採るのが面倒でそのまま放置したのが多かった。
その落ちた実から冬前に多くの芽が出てきた。
当然冬が来て霜が降りだすと、その芽は全部枯れてしまった。
今年は、もらった苗のミニトマトは去年とは別の畑に植えた。
去年植えた畑から、夏になると自然に芽が出てきた。
抜いてしまうも惜しいので、そのままにしていた。
すると、そういう苗が植えている作物の間に繁茂しだした。

収穫時になって、植えたミニトマトが熟れ始めたが今ひとつ成りが悪い。
一方、自然に生えたミニトマトは雑草に混じりながら、あちらこちら元気が良い。
この野生化したミニトマトは、当然殆ど支え木をしていないので、殆ど倒れている。
もったいないので、野性ミニトマトを収穫するのだが、座り込んで採らねばならない。
植えたミニトマトは成りも悪いし、小粒なのに対して、野性ミニトマトはなりも良く粒も大きい。
野生のミニトマトの方が結局は良い収穫になった。
植えた方はマルチをして、支え木をして、ネットを張ったのにできが悪いのである。
今年はトマトに適した気候だったにしても、野生恐るべしである。

私が調査に行った奄美の与路島では、野生化した稲を珍重し、幸運の証とした。
おそらく陸稲の系統を引く物だろうが、昔はこぼれた籾が芽を出していたのかもしれない。
稲穂も落ちない今の機械化農業ではあり得ないことである。
野菜も今はビニールハウスや、野菜工場で徹底的に管理される栽培方法が多い。
そんな中で、有機栽培どころか、放置栽培で収穫するのも面白いかもしれない。
これからいくつかの野菜は種が出来るのを待ってみても良いかもしれない。
芋系統もいくつかは放置してみよう思う。

これは今の教育にも言えることである。
恵まれた環境で、教育を施しても生徒は伸びるとは限らない。
先日、小学生が詰め込み教育を行うべきだと新聞の読者欄に投書していた。
私たちの世代は、今の生徒よりもかなり多くの量の勉強をさせられた。
ただ、共通一次の前だったので、それは単なる受験テクニックでは無かった。
課題を与えられて、それをこなすのに苦しんだ覚えは無い。
色んな本を読みあさったり、自分で参考書や問題集を探した。
今の生徒は学校や塾が用意した教材を必死にこなすことが殆どだ。
多くの勉強をすると言うことと、詰め込み教育とは違う。
学校の勉強が、進路に向けての学習の邪魔になることもあると生徒に私は言う。
私の通った中高一貫校の強みは、学校の授業が生徒の学習の邪魔にならなかったことだととも思えたからである。
ただし、私は受験に関係ない人生勉強にのめり込みすぎたのだが・・・

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