ページビューの合計

65,793

2015年11月30日月曜日

10年ぶりのレース

きっかけはちょっとしたことだった。
本校の水泳部の主顧問が、別件の校務のために生徒引率できなかった。
私は代行を頼まれたのだが、今回の相生コスモスのレースは選手登録の必要が無かった。
私は10年前までは、マスターズの選手登録をして上郡のチームからレースにたまに出ていた。
本校の水泳部は男子の正選手が3人、女子が一人、そしてマネージャーが女子二人である。
そして、肢体不自由の選手が一人いるが、選手登録はしていなかった。
男子3人の内の一人は開催者の相生コスモスの選手でそちらから出場し、私が入らないとリレーは組めなかった。
どうせ引率するなら自分も出場し、リレーも参加しようと思った。

私は生徒と練習に普段付き合ったり、自分でも気が向いたら泳ぎに行っていた。
しかし、ここ数年は肩を壊したり、腹部を手術をしたりでまともな練習が出来ていなかった。
そこで、このレースに向けて練習を頑張りすぎたら、3週間前に痛風発作を起こしてしまった。
練習を積むどころか、まともに歩くことさえ出来なかった。
やっと一週間前くらいから泳げるようになって、今日の日を迎えた。
いつものことながら、レース前の朝は逃げ出したくなった。
特にリレーがあると、プレッシャーが倍増した。
それでも会場について、多くの人が集まってくると自然に気持ちが入ってきた。
ちびっ子や初心者が多いかと思ったら、意外と現役の選手も多く来ていた。

アップの練習で早くもM君が鼻血を出してしまった。
彼は肢体不自由なのだが、練習を頑張って全国の強化選手にも選ばれていた。
しかし、脚力が弱いのと、飛び込みの練習不足で苦手だった。
水面で顔面を打って鼻血が出てしまったのである。
彼は一般の人に交じってのレースで、リレーに出るのは初めてだった。
それでも200mメドレーリレーは何とか上手くいった。
しかし、自分のバタフライのタイムを知って情けなくなった。
M君がフリーしか泳げないので、私がバタフライを泳いだのだが、このリレーの結果では一番遅くて足を引っ張ってしまった。

リレーは周りは速いチームで気後れしたが、個人種目になると同じ年齢層でほっとした。
今まで滅多に出なかった50mフリーに出たのだが、やはり哀しい結果だった。
それでもM君より少しだけ速かったので、ほっとした。
彼には申し訳ないが、彼が出場してくれていなかったら私も出場していなかった。
顧問が生徒の足を完全に引っ張って、しゃしゃり出るわけにはいかなかった。
M君には56のジジーに負けたことに発憤して、世界を目指してくれることを願っている。
体のハンディーと年齢のハンディーでは、体のハンディーの方が厳しいことは分かる。
ただチャンスと言うことでは、彼の方が余程開けているのである。
私はどうあがいても世界で活躍できそうには無い。

昼休みに食事をとっていると、懐かしい人が挨拶に来た。
親子三人なのだが、父親は直ぐに分かった。
しかし母親は旧姓を名乗られても分からない。
話をしていてようやく、分かった。
この家族は前に勤めていた学校の水泳部の卒業生だったのだが、結婚していたとは知らなかった。
母親は近畿大会にも出場する選手だったが、体型も容貌も変わっていたので分からなかった。
可愛い子供を連れて挨拶してくれたのに、午後からのレースが気になってゆっくりと話が出来なかった。
こういうことがあると、クラブ顧問をやっていて良かったと思う。
彼らも子育ての余裕が出来たら、きっとまた泳いでくれるだろう。
そしたら、このコスモスで一緒にレースを楽しめそうだ。

午後からは25mバタフライに出場した。
当然、若かりし頃のタイムには遠く及ばなかった。
以前のマスターズチーム仲間は60代で14秒台で泳いでいた。
それよりも4秒も遅いタイムで、まだまだ頑張らねばと思った。
いよいよ、最後のフリーリレーとなった。
トータル年齢で区分してあるので、社会人チームと同じ組になった。
中学・高校生と同じ組より、私としては気分的には楽なのだが、周りは断然速かった。
結果はどうあれ、やっと無事終わってほっとした。
万一気分でも悪くなって、生徒に心配を掛けるようになってはいけないと思っていた。
老若男女、色んなハンディーを持っている人も一緒に楽しめる良いレースだった。
圧巻は全国大会に出場している赤穂の中学生だった。
こんな田舎の片隅で、全国レベルの泳ぎも見せてもらった。
単に競走だけで無く、応援やレクレーションのある楽しいレースだった。
頭が下がるのはコスモスプールのスタッフである。
休憩時間も殆どとらずに、レースを運営してくれた。
こういうレースがあるから水泳は楽しい。
私は久しぶりに、爽快な気持ちになれたことを、水泳仲間皆に感謝したいと思う。

なお、メドレーリレーで2位になっていた。
後日、表彰状がと届いた。
一生の宝物である。
職員室で他の教師に見せびらかしてやった!