今日で三年生の授業は終わった。
去年の三年生はは担任した学年と言うことや、朝補習などで深く関わった
特に朝補習や受験指導で多く関わったクラスでは、最終授業で花束をもらってお礼の挨拶を受けた。
感激のあまり涙が出て、ありがとうとしか言えなかった。
今年の三年生は朝補習もしなかったし、センター受験生徒の多いクラスは週二時間だけだった。
そのセンター受験の多いクラスは、最終の授業もセンター試験の前で終わり、その後は午前中授業になった。
センター試験前では最終授業という思い入れは、どちらも起こらなかった。
その後、午前中にある一般クラスの授業があった。
当然一般のクラスからは、最終授業に花束などもらうことも無かったし、お礼の言葉もなかった。
こんなものだろうなと思って、欠席を確認するために三年の学年団席の黒板を見に行った。
あるクラスの担任の先生が昨日Aさんが来ていたのを知っているかと言った。
当然一番前の席だったので知っているというと、彼女は私の4時間目にあった最終授業を受けるためだけに出てきたという。
その前も休んでいたし、今日も休んでいるという。
そう言えばしばらく休んでいたので、昨日も「久しぶりやね」というと、にこっと笑っていたのを思い出した。
調子が悪いのかなと思っていたので事情を聴いてみると。
登校しても意味が無いと言ってずっと休んでいるそうである。
その生徒が私の最終授業の一時間だけのために出てきたという。
実は最初言われた時にはピンとこなかった。
担任の先生は私の授業だけのために来たと言うことを言いたかったのだ。
私は調子が悪いと決めつけていただけに、自分の授業だけのために出てくる意味を理解できないでいた。
後でその意味が飲み込めて嬉しくなった。
たとえ花束をもらわなくても、こんな嬉しいことは無いと思った。
自分の授業だけは特別に学校へ出てきてくれることは、どんな花束よりも、素晴らしい贈り物に思えた。
長く教師生活しているが、こんな素晴らしい贈り物は初めてのように思えた。