私の母親が体の具合が悪く、兄弟家族が集まるの控えたからである。
いつもは集まって昔の思い出話を肴に、飲んだり歌ったりする。
今年は家にいて、撮りだめていたビデオや写真を見直したり整理した。
ちなみに私は、アナログで撮影したビデオや写真をデジタル化して、いつでもパソコンで見られるようにしている。
つい先日は娘が盆休みで勤務地から戻って来て、二日ほどで帰って行った。
その娘や息子の幼い頃のビデオや写真を見直すと、その頃の忘れていた記憶が甦った。
というより、殆ど忘れているので、新鮮に見えてくる。
こんなに子供の表情や仕草は可愛いものだったのかと思う。
自分の親は既に自分の歳では孫がいたのだが、自分には孫はいない。
まるで、孫を見るように我が子のビデオや写真を見ているのである。
また、無くなった自分の父親も元気な姿で写っていると、父親がまだ生きているような錯覚に陥る。
昨日は赤穂へ行くついでに、子供たちが幼かった頃に住んでいた
大津に立ち寄ってみた。
ビデオや写真は子供たちを中心に撮っていたので、風景はあまり写っていない。
そこでよく家族で歩いた道や、遊んだ公園を写真に撮っておこうと思った。
私たち家族が住んでいた家は、建て替えられてもうそこには無かった。
それでも多くの家はそのままで、懐かしかった。
ただ、明らかに空き家になっていたり、売り家になっているところもあり寂しくもあった。
最後に息子をよく連れて行った、新幹線のトンネルを見に行った。
息子はそのトンネルから列車が爆音と爆風を伴って出てくるのを非常に喜んだ。
今もそこは鉄道マニアはよく撮影に来るところだと聞いている。
ちょうど列車が出てきたが、写真は上手く撮れなかった。
いつもの盆より寂しい盆になったが、ビデオや写真を見ることで昔に戻ることができた。
お盆というのはご先祖様が戻ってきて帰るという。
その時に昔は思い出話をしながら、ご先祖様を迎えていたのだろう。
写真やビデオがあまり普及していなかった頃は、思い出話が唯一記憶を甦らせる手段だった。
今はビデオや写真で昔の様子が、今起こっているように甦る。
昔の記憶をそのまま保存したデジタルご先祖様であり、デジタル孫のようなものなのである。
一年中過去の記憶に浸っているわけにはいかないが、こうして盆休みをきっかけに浸るのも良いように思う。
仕事に疲れて乾ききった心を想い出は潤してくれる。
晴れ続きの夏に、夕立が潤してくれたような、そんなビデオと写真だった。
いちようは、盆が開ければ、その記憶をまたハードディスクに封じ込めて、今の仕事を頑張らねばならない。
これからは盆に限らず、普段のお墓参りのつもりで、過去の記憶をひもといても良いようにも思えた。
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