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2016年9月25日日曜日

大阪の「始皇帝と大兵馬俑展」

この9月22日の休日を利用して、大阪の兵馬俑展を家内と見に行った。
以前から見に行こうと話していたのだが、この夏は暑くて行く気にならなかった。
多くの人出であることを知っていたので、暑い中並ぶのが嫌だったのである。
家内が早く行けば空いているとネットで調べたので、私は朝5時半に起きて犬の散歩に行った。
帰ってきたら、家内は起きて食事の準備をしてくれているだろうと思っていた。
7時前に家に戻って驚いた、家内は起きていなかった!
結局、大阪には11時頃着く新快速に乗って行かざるを得なくなった。

今まで上郡駅に車を駐めたことは無かったので、駐車場のことは知らなかった。
上郡駅の付近の駐車場には、一日100円というところがある。
駅からは少し離れて、砂利が敷かれただけのものだが、駅まで歩いて5分もかからない。
しかし、雨が降りそうだったので、400円の近い方の無人駐車場に置いた。
因みに駅のすぐそばは500円だが、100円ケチった。
秋の1デイパス3600円也を二人で買って電車に乗り込んだ。
電車は休日なので意外と空いていた。

大阪駅で環状線に乗り換えて、福島駅にから歩いた。
私は大阪はあまり歩いた経験が無く、福島は生まれて二度目だ。
一度目は高校3年の冬に、当時やっていたABCラジオのヤンリクという番組の収録に行った時だ。
当時、「ミキサー完備スタジオ貸します」というキダタローのコーナーがあって、それにバンド仲間と出場した。
その時は出演料など無く、交通費として一人500円もらった。
その時の収録の様子は憶えているが、どんなビルだったかとか周りの風景は全く憶えていない。
なにせ40年前の話である。
ということは、当時年配に思えたキダタローさんは、いくつだったのだろう?

ということで、朝日放送の前を通りながらも、全く初めての場所を歩くのと同じだった。
家内は最初から私に任せるつもりで、スマホを使うこともしない。
駅前で見た地図を頼りに何とか国立国際美術館にたどり着いた。
そこで見た光景は、東京ディズニーランドへ行った時以来の長蛇の列。
最後尾の係員に聞くと、1時間かかるという。
今更帰るわけにはいかないので、我慢して並んだ。
私たちのような田舎者は、並ぶのが大の苦手なのである。
やっと中には入れても、展示を見るところも人で混み合って、思うように見られない。
年配の観客は説明を受けるヘッドホーンをつけて、展示にかぶりついているのである。

それでもそれなりに、兵馬俑の魅力を味わうことができた。
兵士の表情が非常に凜々しいのが印象的だった。
時を経ると、戦争や殺戮の遺産も美術館に展示される作品となる。
それを1500円の入館料を払って、何万もの人が訪れる。
ということは、第二次世界大戦の兵器や写真を長く置いておけば、美術館で将来展示してくれるのだろう。
小さな子供が戦闘馬車や兵器の展示を見てすごいと喜んでいたが、未来の子供も戦車を見て喜ぶのだろう。
と、今は皮肉に感じたりもするが、15万人の人を惹きつける魅力のあることは確かである。

午後1時過ぎに美術館を出て驚いた。
誰も並んでいない。
いったい、ネットの情報は何だったのだ。
昼頃来たら空いているなんて書いてなかったはずだ。
常識的に昼飯時にあわせて訪れれば空いていたのである。
気を取り直して、せっかく大阪に来たのだから、美味いものを食べようと店を探した。
結局、ゆっくりできそうなお好み焼き屋で遅い昼食を摂った。
本当はビールも飲みたかったのだが、この後に電車に乗るので尿意を催さないように我慢した。

関西エリアは一日乗り放題なのだからというので、京都に久しぶりに行くことにした。
新快速は乗り損ねたので、快速で京都まで行った。
家内は今の駅ビルを知らなかったので見せてやりたかったのである。
とにかく私たち夫婦は、車では名古屋や東京に行きながら、電車では殆ど出かけたことが無かった。
途中で、雨に降られたが、駅ビルの空中散歩を楽しんだ。
帰りは新快速に飛び乗り、姫路まで戻って来た。
姫路から相生までの普通に乗り、相生で乗り換えて上郡に戻ってきた。
車で移動している者にとって、この乗り換えは非常に面倒に思えるが、上郡に住んでいる以上仕方ない。
ただ、車よりも良いと思うのは、気楽に時間を過ごせることだ。
家内が「今日は楽しかった」と言ってくれたことが、何よりも良かった。

2016年9月11日日曜日

救助され犬

この金曜の夜(9/9)には、愚犬クロの姿は家にはなかった。
クロは庭の地面に打ち込んだ、鉄杭に太い鎖で繋いでいたのだが、杭ごといなくなった。
このところの雨で庭の土が軟らかくなり、家内は抜けかけたのを打ち込んだようだが、駄目だった。
土曜日の朝、逃げ出してもいつもなら帰ってくるはずなのに、帰ってはいなかった。
私は仕事の関係で出かけねばならず、結局暗くなって家に戻って来ても、やはりクロの姿はなかった。

今まで脱走したのは、多くは庭に設置した簡易の檻の隙間からだった。
檻に入れている時は、鎖を放しているので、鎖が何かに絡まる心配は無かった。
ただ一度だけ、散歩の途中で脱走したが、その時の引き綱は簡単に食いちぎれるもので心配なかった。
今回は頑丈な鎖と杭なので、何かに引っかかったら、首輪が抜けない限り抜け出すのは無理だった。
首輪はもらってきた時のままで、大きくなったクロには少し窮屈なくらいだった。
だから首輪が外れることは、期待できなかった。
山奥で鎖が引っかかったら、もう発見できないと思った。

最悪の事態を考えながら、二階の寝室で何もできず横になっていた。
そうすると暗闇の中で、犬の鳴き声がする。
家から西側の方角の山の方から聞こえる。
今から探しに行く手もあるが、暗くて見つけるのが大変だし、怪我をしてもいけないと思った。
ただ、クロの鳴き声だと思ったが、確証はないので家内には黙っておいた。
そして、クロがいなくなったら、また別の犬をもらってこようと、わざとネットを開いて犬の里親募集を見たりした。
実は家内が散歩させた後に、脱走したので、家内が一番気にかけていた。
家内は土曜の昼間に探しに行ったようだが、見つけることはできなかった。

日曜の朝、しっかりと山を歩ける用意をして出かけた。
昨夜の鳴き声の聞こえる方向に行くとやっぱり鳴き声がする。
猟犬なので、鳴き声と言っても遠吠えのような声である。
ずっと吠え続けていたわけではないので、聞こえたあたりにまず向かった。
そこは隣の村の墓場だった。
そして、墓場の上から聞いていると、墓場の下の竹林の方角から聞こえる。
竹林から声の方角に行くと、竹林のそばの元椎茸栽培小屋のそばでクロの匂いがする。
案の定、クロは竹の根元に鎖や杭が引っかかっえ身動きがとれない状態だった。
以前の経験から、ここで怒ると次逃げた時が大変なので、それほど怒らず連れて帰った。
二日ほど身動きがとれなかった割には元気で、普段の散歩の様子で家に戻った。
檻に入れて餌をやり、鎖は今度は庭のパーゴラの柱に巻き付けた。

もともと飼われていたのが、捨てられて野良犬になったクロは、自由な暮らしを知っている、
その一方、飼われていて餌に不自由をしないことも知っている。
適当に自由を楽しみ、適当な時間に戻って餌をねだるというのが、クロの楽しみだ。
しかし、今の時代に放し飼いは許されない。
鎖をつけたままの自由は命取りにもなる。
クロはそのことを今回の経験で分かったかどうか分からない。
むしろ飼い主の私たちが、それを思い知った。
ただ今回最も心配したのは、クロの生死よりも、他の人に迷惑をかけていないだろうかと言うことだった。。

人の役に立ち、喜ばれている犬というのは、完全に飼い主の管理下にある犬である。
盲導犬も、介助犬も、救助犬も、そして普通のペットも、決められたところ以外で自由に活動することは許されない。
今まで飼っていた犬で、これほど脱走した犬はいない。
それは一度も野良犬を経験していなかったからだ。
クロは野良犬を経験していればこそ、自由を渇望する。
現代人は自由だと言うが、本当に自給自足で生活した経験は無い。
だから、我我現代人は拘束からの自由は求めても、本当の自由は渇望しない。
ただ、自由な遊びの時間の経験があるので、常に憧れてはいる。
クロは野良時代は自活できていたので、それ以上に自由を求めているのだろう。
逆に言えば、小さい頃から管理下に置かれて、自由を知らずにいれば自由に憧れない。
そもそも現代人は、家、町、村(里)に引きこもっているだけなのではないか。
家の中に引きこもっている人だけを特別視しているだけように思えてきた。