うちの愚犬クロは大根が大好きである。
裏の畑には大根が沢山植えてあるのだが、間引きをちゃんとしていない関係で小さいのも多い。
その小さいのを選んで、葉っぱごとあげる。
縁台で日向ぼっこをしているクロは、そのもらった大根を無精にも寝そべったままで食べたりする。
最初は葉っぱの根元から食べ始め、しっぽは残したりするが、最終的にはしっぽも葉っぱも食べてしまう。
よほど大根が好きなのか、庭に大根を干した時には、干してあるフェンス越しに盗ろうとしていた。
当然届く様な高さには干してはいない。
大根は比較的簡単にできる作物だが、植え時を間違えると虫にやられたり、大きくならなかったりする。
本当は小まめに間引いてやらねばならないのだが、面倒くさくて結局小さいのが出来たりする。
有機肥料を使っているので、たいていの大根は馬鹿でかくならなくて、ほどよい大きさで味も良いと思っている。
赤穂で一人暮らしをしている母親に持っていって上げると喜ばれる。
この正月に神奈川県の葉山に住んでいる弟夫婦が、土産に三浦大根を持ってきてくれた。
自分のところは大根は売るほどあるので、末の弟に回した。
もらった母親に聞くと、確かに立派な大根だったが、最後は持て余して腐らせてしまったそうだ。
一人暮らしの母親には小ぶりの大根の方が使いやすいようだ。
干した大根は今年は試しに、10kgほど酒粕でつけてみた。
先週つけたばかりなのだが、階段下の納戸においておいたら、臭いがし出した。
水の上がった漬け物樽は、北側の軒下に置き直している。
もう一週間待って、食べようと思っている。
それ以外の余った干した大根は、試しに家内がそのまま漬け物にしてくれたが結構いける。
味付けは昆布茶だけだそうだ。
簡易漬け物の元を使えば、少し小さくせねばならないが売っているタクワンと遜色は無い。
タクワンの様に長くは保存できないけれど、干した大根を上手く活用するのも手だと思った。
以前は切り干し大根などを多く作ったりしたが、かびさせてしまうことが多かった。
保存用の大きな冷蔵庫が無い家の様なところでは、この方が上手な大根の食べ方かも知れない。
実は干からびるくらい干した大根もクロは食べる。
干す時に使った葉っぱも、クロにやると持て余しながらも食べていた。
まったく田舎暮らしに適した経済的な犬である。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2017年1月30日月曜日
2017年1月18日水曜日
雪とノロの襲撃
この週末は土曜(1/14)の夜から雪が降り出したが、それと同じように家内が下痢と嘔吐に襲われた。
うちの村では朝の8時からトンド作りをして、夕方に火をつけた。
家内は朝は村作業している私の代わりに、愚犬トラの散歩をして、昼頃までは何ともなかった。
私は夕方の散歩をして、トンドの火にあたりに行ってから戻って、家内と一緒に食事をした
その頃から家内は様子がおかしくなり、夕食は殆ど食べなくなった。
それからしばらくすると、家内はトイレに何度も通うことになった。
これは明らかにノロウィルスだろうということであったが、病院に行くより安静にしておくことにした。
実は息子の勤める施設ではノロウィルスの感染症の症状の利用者が多発していて、警戒していた。
息子自身は一時胃の具合が悪いということがあったが、症状は無かった。
おそらく息子が持ち込んだウィルスに対して、一番抵抗力の弱い家内が発症することとなったのだろう。
因みに私と家内の職場は、それほど影響は出ていなかった。
そして、その夜から雪がしんしんと降り積もっていき一面銀世界となった。
朝起きて私が家内の代わりに味噌汁を作った。
当然、家内は何も食べられない。
食事を済ますと薬局に行って、経口補水液OS1などと、自分のための胃腸薬を買ってきた。
私自身もすこし胃がむかむかしていたので、予防にはならないかも知れないが、気休めに飲むことにした。
午前のクロの散歩を済ませて帰ってくると、近所の親子やお婆さんが孫と雪で遊んでいた。
元気な子供達と、ノロで苦しむ家内とが好対照であった。
昼食は私は、朝に作っていた味噌汁に餅を入れて食べることにした。
その時に役に立ったのが菜花である。
これはブロッコリーと同じように蕾を食べるのだが、秋に撒いていたのがしっかりと蕾をつけてくれた。
それを裏の畑からいっぱい採ってきて、汁の中に入れて食べた。
ついでに雪の中からにんじんや大根も掘り起こしておいた。
午後からは雪や風が時々酷くなるので、京都で開かれた全国都道府県対抗女子駅伝をテレビで見ていた。
兵庫県は赤穂の中学生が3区で出場した。
雪の中で選手がたくましく走っているのを見て、夕方のクロの散歩も頑張って歩くことにした。
夕方は雪が小止みになって、多くの人が待ちかねた様に散歩をしていた。
しっかり歩いたおかげで腹も減って、昨日から残り物で適当に夕食を摂った。
考えてみれば昨日は全部家内が調理した物だから、全部感染しているかも知れないので、熱を加えて食べることにした。
その時にも菜花が役に立ち、電子レンジで加熱してしっかり食べた。
夜になると補水液が効いたのか、家内はだいぶ良くなっていた。
月曜の朝には家内は家事も出来るようになりお粥も食べることが出来るようになった。
雪は相変わらず降って少し積もっていたが、温度が昨日よりも暖かくどんどん溶けていってくれた。
私も今のところ胃が少し痛むもののノロの発症は何とか逃れている。
家内と生活の上で違うのは、長い犬の散歩と自家製黒ニンニクである。
家内は黒ニンニクを食べたがらないので、これからは無理に奨めようと思う。
うちの村では朝の8時からトンド作りをして、夕方に火をつけた。
家内は朝は村作業している私の代わりに、愚犬トラの散歩をして、昼頃までは何ともなかった。
私は夕方の散歩をして、トンドの火にあたりに行ってから戻って、家内と一緒に食事をした
その頃から家内は様子がおかしくなり、夕食は殆ど食べなくなった。
それからしばらくすると、家内はトイレに何度も通うことになった。
これは明らかにノロウィルスだろうということであったが、病院に行くより安静にしておくことにした。
実は息子の勤める施設ではノロウィルスの感染症の症状の利用者が多発していて、警戒していた。
息子自身は一時胃の具合が悪いということがあったが、症状は無かった。
おそらく息子が持ち込んだウィルスに対して、一番抵抗力の弱い家内が発症することとなったのだろう。
因みに私と家内の職場は、それほど影響は出ていなかった。
そして、その夜から雪がしんしんと降り積もっていき一面銀世界となった。
朝起きて私が家内の代わりに味噌汁を作った。
当然、家内は何も食べられない。
食事を済ますと薬局に行って、経口補水液OS1などと、自分のための胃腸薬を買ってきた。
私自身もすこし胃がむかむかしていたので、予防にはならないかも知れないが、気休めに飲むことにした。
午前のクロの散歩を済ませて帰ってくると、近所の親子やお婆さんが孫と雪で遊んでいた。
元気な子供達と、ノロで苦しむ家内とが好対照であった。
昼食は私は、朝に作っていた味噌汁に餅を入れて食べることにした。
その時に役に立ったのが菜花である。
これはブロッコリーと同じように蕾を食べるのだが、秋に撒いていたのがしっかりと蕾をつけてくれた。
菜花 |
ついでに雪の中からにんじんや大根も掘り起こしておいた。
午後からは雪や風が時々酷くなるので、京都で開かれた全国都道府県対抗女子駅伝をテレビで見ていた。
兵庫県は赤穂の中学生が3区で出場した。
雪の中で選手がたくましく走っているのを見て、夕方のクロの散歩も頑張って歩くことにした。
夕方は雪が小止みになって、多くの人が待ちかねた様に散歩をしていた。
しっかり歩いたおかげで腹も減って、昨日から残り物で適当に夕食を摂った。
考えてみれば昨日は全部家内が調理した物だから、全部感染しているかも知れないので、熱を加えて食べることにした。
その時にも菜花が役に立ち、電子レンジで加熱してしっかり食べた。
夜になると補水液が効いたのか、家内はだいぶ良くなっていた。
月曜の朝には家内は家事も出来るようになりお粥も食べることが出来るようになった。
雪は相変わらず降って少し積もっていたが、温度が昨日よりも暖かくどんどん溶けていってくれた。
私も今のところ胃が少し痛むもののノロの発症は何とか逃れている。
家内と生活の上で違うのは、長い犬の散歩と自家製黒ニンニクである。
家内は黒ニンニクを食べたがらないので、これからは無理に奨めようと思う。
2017年1月14日土曜日
奄美への格安航空就航
この3月26日に関空から奄美行きのバニラ航空が、就航することになった。
以前から成田空港から出ていることは知っていて、東京まで夜行バスで行って乗ろうかとプランを立てたりした。
なにせ、出発日時によるが一万円以内で奄美に行ける。
本当に安い時は5000円代である。
それが関空から行けるとなると、費用も時間もぐっと節約できる。
さっそくネットで調べたら、4月5月はほぼ満席だった。
いかに関西の奄美関係者が待ち望んでいたかが、思い知られる。
私は大学生の頃(一九八〇年代前半)奄美諸島の与路島に調査に行く時には船を使っていた。
学生には飛行機を使う金銭的な余裕など無かった。
大学のある名古屋から鉄道を使って、神戸まで行き、神戸からフェリーに乗った。
奄美の名瀬港までは28時間ほどかかり、夕方出て翌日の深夜に到着した。
名瀬の港の近くの徳州屋旅館というところに泊まって、翌朝バスに乗って古仁屋に向かった。
この旅館は文字通り、徳之島出身の人が経営する旅館で、徳之島の人が多く利用していた。
以前は古仁屋までのバス旅は非常に長く、確か途中の住用でトイレ休憩がされるほどだった。
ただ、名瀬では古仁屋帰りのタクシーが待ち構えていてくれたので、それを利用して早く行けた。
本当はそれは業界では、やってはいけないことなのだが、当時は公然と行われていた。
与路島行きの船便の時間によっては、古仁屋で一泊しなくては行けないこともあった。
ということで、与路島まで行くのに、最低3日かかっていたのである。
当時は飛行機を使っても、海が荒れると船が通わないので、一日でたどり着けず。
与路出身者が葬式に間に合わなかったこともあった。
社会人になってからは航空路も用いるようになった。
時間や食事代を考えると、そうフェリーが割安では無くなったからである。
そのかわり船旅の楽しみが無くなってしまった。
2等船席で見知らぬ人と雑魚寝して、夜にはその人達と黒糖焼酎で宴会が始まった。
船が揺れて宴会どころでは無い時もあったが、夏などはデッキで星を眺めながら歌ったりした。
また、調査仲間と展望室に行って、そこにあるジュークボックスをかけながら、調査の想い出を語ったりした。
船旅は退屈なところもあったが、それが一つの調査の一部でもあった。
奄美出身の人とも色々話が出来たからである。
しかし、金と時間の余裕の無い者にとっては、船旅も飛行機旅も困難で奄美は遠い存在になってしまった。
ということで、私は10年ほど奄美には行けてないのである。
大学から大学院にかけて毎年春と夏に出かけていた、奄美は毎年今年こそと思い続ける場所になっていた。
それが今回の格安航空就航で実現可能になってきた。
ただ、気になるのは簡単に奄美に行けるようになるということは、本土との距離が縮まってしまうということである。
10年前に奄美に行って、トンネルのおかげで名瀬から古仁屋まで早く行けるようになっていて驚いた。
自家用車でも簡単に行き来できるようになっていた。
便利になるとそこに留まる意味が無くなってしまう。
どんどん奄美は変わっていくだろうと思う。
それは奄美にとって良いことかも知れないが、いい風に変わっていって欲しいと思う。
兵庫県の竹田城のように、ブームになって昔の良さを失って欲しくない。
へそ曲がりの私は、皆が行きだして観光リゾートになってしまったら、もう行きたいと思わないかも知れない。
ただ、与路島はその観光ブームにも乗れるかどうか、ちょっと不安でもある。
知り合いの年賀状では戸数が減ってしまったと書かれてあった。
観光する人もゆっくりと与路島に滞在するつもりで、出かけて欲しいと思っている。
以前から成田空港から出ていることは知っていて、東京まで夜行バスで行って乗ろうかとプランを立てたりした。
なにせ、出発日時によるが一万円以内で奄美に行ける。
本当に安い時は5000円代である。
それが関空から行けるとなると、費用も時間もぐっと節約できる。
さっそくネットで調べたら、4月5月はほぼ満席だった。
いかに関西の奄美関係者が待ち望んでいたかが、思い知られる。
私は大学生の頃(一九八〇年代前半)奄美諸島の与路島に調査に行く時には船を使っていた。
学生には飛行機を使う金銭的な余裕など無かった。
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震災前の神戸港 |
奄美の名瀬港までは28時間ほどかかり、夕方出て翌日の深夜に到着した。
名瀬の港の近くの徳州屋旅館というところに泊まって、翌朝バスに乗って古仁屋に向かった。
この旅館は文字通り、徳之島出身の人が経営する旅館で、徳之島の人が多く利用していた。
以前は古仁屋までのバス旅は非常に長く、確か途中の住用でトイレ休憩がされるほどだった。
ただ、名瀬では古仁屋帰りのタクシーが待ち構えていてくれたので、それを利用して早く行けた。
本当はそれは業界では、やってはいけないことなのだが、当時は公然と行われていた。
与路島行きの船便の時間によっては、古仁屋で一泊しなくては行けないこともあった。
ということで、与路島まで行くのに、最低3日かかっていたのである。
当時は飛行機を使っても、海が荒れると船が通わないので、一日でたどり着けず。
与路出身者が葬式に間に合わなかったこともあった。
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名瀬港夜景 |
社会人になってからは航空路も用いるようになった。
時間や食事代を考えると、そうフェリーが割安では無くなったからである。
そのかわり船旅の楽しみが無くなってしまった。
2等船席で見知らぬ人と雑魚寝して、夜にはその人達と黒糖焼酎で宴会が始まった。
船が揺れて宴会どころでは無い時もあったが、夏などはデッキで星を眺めながら歌ったりした。
また、調査仲間と展望室に行って、そこにあるジュークボックスをかけながら、調査の想い出を語ったりした。
船旅は退屈なところもあったが、それが一つの調査の一部でもあった。
奄美出身の人とも色々話が出来たからである。
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当時のせとなみ(古仁屋) |
しかし、金と時間の余裕の無い者にとっては、船旅も飛行機旅も困難で奄美は遠い存在になってしまった。
ということで、私は10年ほど奄美には行けてないのである。
大学から大学院にかけて毎年春と夏に出かけていた、奄美は毎年今年こそと思い続ける場所になっていた。
それが今回の格安航空就航で実現可能になってきた。
ただ、気になるのは簡単に奄美に行けるようになるということは、本土との距離が縮まってしまうということである。
10年前に奄美に行って、トンネルのおかげで名瀬から古仁屋まで早く行けるようになっていて驚いた。
自家用車でも簡単に行き来できるようになっていた。
便利になるとそこに留まる意味が無くなってしまう。
どんどん奄美は変わっていくだろうと思う。
それは奄美にとって良いことかも知れないが、いい風に変わっていって欲しいと思う。
兵庫県の竹田城のように、ブームになって昔の良さを失って欲しくない。
へそ曲がりの私は、皆が行きだして観光リゾートになってしまったら、もう行きたいと思わないかも知れない。
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1980年代の与路島 |
知り合いの年賀状では戸数が減ってしまったと書かれてあった。
観光する人もゆっくりと与路島に滞在するつもりで、出かけて欲しいと思っている。
2017年1月8日日曜日
リトルフォレストの価値
今年は年末に外付けのハードディスクを買って、ビデオレコーダーの容量を拡張した。
3TBを拡張したおかげで、277時間も多く録画できることになった。
そこで年末年始の面白そうな番組を録画しまくった。
その中で、リトルフォレストという映画が一番面白かった。
この映画は五十嵐大介という漫画家の作品を映画化したもので、「夏」、「秋」、「冬」、「春」の四部作になっている。
主演は橋本愛で、「夏」、「秋」は2014年に「冬」「春」は2015年に公開されている。
主演の橋本愛は私は『あまちゃん』でしか知らなかったが、ネットで調べてみると結構いろんな作品で活躍している。
彼女の自然な演技がとても良く、エキストラっぽい地元の人との関わりもそれほど違和感を感じさせなかった。
殆どが料理の説明なのだが、それはそれで私のように田舎に暮らしているものには参考になった。
特に野蒜を使ったスパゲッティーは、この春には早速試してみようと思った。
平凡な日常を描いているので、それほど見せ場は無いのだが、最後の神楽舞は圧巻であった。
学生時代に愛知県の山奥で「花祭」を見た時のことを思い出した。
しかし、車も無く、暖房も薪で行う生活は、私たちのような世代でも無理である。
こういう生活を、若い人に勧めることはまず出来ないだろう。
ただ、こういう生活なら、今仕事を辞めても退職金だけで、20年は暮らせそうに思った。
この映画で描かれた生活をそのまましなくても、似たような生活ならずいぶんと生活費は節約できる。
そして、何よりもエコで健康な生活のように思えた。
こういうGDPを押し上げない、生活の価値とは何だろうと思っていたところ、今日サイエンスゼロの再放送の録画を見た。
昨日(1/7)の「徹底解説!科学の”未解決問題”ダーウィン進化論に異議あり!?」である。
これは生物学者長谷川英祐准教授の「働かないアリ」をテーマにしたものだ。
彼のプロフィールを見ると、大学院が東京都立大学であった。
年齢は二つ下で、しかも学部卒で民間企業を経験しているので、同じ都立でもおそらく私の在籍時とは重なっていないだろう。
と言いつつ、当時の都立大学は理系は文系とは別の場所にあったので、会うことは滅多に無い。
ただ、兵庫教育大学大学院で教わった懇意の生物の先生が都立大学だったので、その人は知っているかも知れない。
アリの話は有名なのでともかく省くとして、彼の言った言葉の中で、「永続性の観点から考えた存在価値」というのが参考になった。
生物界には一見存在価値のなさそうな生物が多くいるが、長い生命の歴史にとっては生態系の中でそれなりの役割を背負っている。
現在では多様性が失われているとよくいられるが、多様性の価値はまさしくこの点にあるのだろう。
このごろ資本主義の終わりを予見する番組が多くなった。
書籍でもずっと取り上げられてきたテーマである。
そんな中で歴史認識も徐々に変わってきているように思える。
戦国時代に世界でも最強に近かった日本の軍事力が、徳川時代の平和によって西洋に劣ってしまった。
西洋は掠奪と殺戮を海外に拡張させ、世界システムを自分のものとした。
そのシステムを支える資本主義と民主主義がいま限界を迎えつつある。
西洋の暴走を許した思想がまさしく「進化論」であったことを考えると、その進化論の見直しこそ今求められているように思う。
養老孟司は「7 都市の二〇世紀」(『20世紀の定義1 20世紀への問い』2000 岩波書店)の中で、文明と都市化の問題を取り上げている。
現代のようなネット社会では、農村までも消費の面では都市化してきているのだが、まだ自然との共存が継続している。
彼は都市を人体であれば「脳」にたとえているのだが、その「脳」も人工知能によって非人間化して空洞化してきている。
こういう暴走する都市、文明に永続性はあるのだろうか?
私はそうは思わない!。
リトルフォレストに留まって、自然との共存を図る生活こそ現代における永続性へのリスク回避だと思えるのである。
「来たれ若者よ、リトルフォレストへ」とは今は言いづらいが、せめて退職後の暮らしに来たれ中高年!
3TBを拡張したおかげで、277時間も多く録画できることになった。
そこで年末年始の面白そうな番組を録画しまくった。
その中で、リトルフォレストという映画が一番面白かった。
この映画は五十嵐大介という漫画家の作品を映画化したもので、「夏」、「秋」、「冬」、「春」の四部作になっている。
主演は橋本愛で、「夏」、「秋」は2014年に「冬」「春」は2015年に公開されている。
主演の橋本愛は私は『あまちゃん』でしか知らなかったが、ネットで調べてみると結構いろんな作品で活躍している。
彼女の自然な演技がとても良く、エキストラっぽい地元の人との関わりもそれほど違和感を感じさせなかった。
殆どが料理の説明なのだが、それはそれで私のように田舎に暮らしているものには参考になった。
特に野蒜を使ったスパゲッティーは、この春には早速試してみようと思った。
平凡な日常を描いているので、それほど見せ場は無いのだが、最後の神楽舞は圧巻であった。
学生時代に愛知県の山奥で「花祭」を見た時のことを思い出した。
しかし、車も無く、暖房も薪で行う生活は、私たちのような世代でも無理である。
こういう生活を、若い人に勧めることはまず出来ないだろう。
ただ、こういう生活なら、今仕事を辞めても退職金だけで、20年は暮らせそうに思った。
この映画で描かれた生活をそのまましなくても、似たような生活ならずいぶんと生活費は節約できる。
そして、何よりもエコで健康な生活のように思えた。
こういうGDPを押し上げない、生活の価値とは何だろうと思っていたところ、今日サイエンスゼロの再放送の録画を見た。
昨日(1/7)の「徹底解説!科学の”未解決問題”ダーウィン進化論に異議あり!?」である。
これは生物学者長谷川英祐准教授の「働かないアリ」をテーマにしたものだ。
彼のプロフィールを見ると、大学院が東京都立大学であった。
年齢は二つ下で、しかも学部卒で民間企業を経験しているので、同じ都立でもおそらく私の在籍時とは重なっていないだろう。
と言いつつ、当時の都立大学は理系は文系とは別の場所にあったので、会うことは滅多に無い。
ただ、兵庫教育大学大学院で教わった懇意の生物の先生が都立大学だったので、その人は知っているかも知れない。
アリの話は有名なのでともかく省くとして、彼の言った言葉の中で、「永続性の観点から考えた存在価値」というのが参考になった。
生物界には一見存在価値のなさそうな生物が多くいるが、長い生命の歴史にとっては生態系の中でそれなりの役割を背負っている。
現在では多様性が失われているとよくいられるが、多様性の価値はまさしくこの点にあるのだろう。
このごろ資本主義の終わりを予見する番組が多くなった。
書籍でもずっと取り上げられてきたテーマである。
そんな中で歴史認識も徐々に変わってきているように思える。
戦国時代に世界でも最強に近かった日本の軍事力が、徳川時代の平和によって西洋に劣ってしまった。
西洋は掠奪と殺戮を海外に拡張させ、世界システムを自分のものとした。
そのシステムを支える資本主義と民主主義がいま限界を迎えつつある。
西洋の暴走を許した思想がまさしく「進化論」であったことを考えると、その進化論の見直しこそ今求められているように思う。
養老孟司は「7 都市の二〇世紀」(『20世紀の定義1 20世紀への問い』2000 岩波書店)の中で、文明と都市化の問題を取り上げている。
現代のようなネット社会では、農村までも消費の面では都市化してきているのだが、まだ自然との共存が継続している。
彼は都市を人体であれば「脳」にたとえているのだが、その「脳」も人工知能によって非人間化して空洞化してきている。
こういう暴走する都市、文明に永続性はあるのだろうか?
私はそうは思わない!。
リトルフォレストに留まって、自然との共存を図る生活こそ現代における永続性へのリスク回避だと思えるのである。
「来たれ若者よ、リトルフォレストへ」とは今は言いづらいが、せめて退職後の暮らしに来たれ中高年!
2017年1月7日土曜日
二人きりの元旦イブ
我が家のおせち |
子供は結婚してすぐにできなかったが、どちらかの実家で大晦日を過ごしたと思う。
子供が誕生してからは、これまでずっと子供と一緒に元旦を迎えていた。
今回は、息子は仕事の泊まり勤務、娘はアパートの掃除でくたびれて戻ってこなかった。
ただ、うちに来た愚犬クロは二度目の正月を一緒に迎えたので、正確には二人きりではない。
元旦は二人きりでお祝いをした後、クロと一緒に近所の神社へ初詣に出かけた。
私は年末は、滅多にしない庭掃除などに追われて、年賀状を書く余裕が無い。
そこで、申し訳ないと思いながら、来た年賀状も参考に元旦以降に書いてきた。
年賀状が早く届くと、心苦しく読まなければならない。
そうこうするうちに、息子や娘が戻ってきて、昼は皆で私の母親と昼食をとりに出かけた。
この頃は、元旦からやっている飲食店もあって、赤穂の鹿久居荘という海鮮料理の店に行った。
12時半頃に行った時は空いていたが、帰る頃は満員で外で人が待っていた。
その後で、墓参りに出かけたが、父方の墓は鷆和に、母方は高山霊園にある。
高山霊園に墓参りの人が多いのには驚いたが、うっかり帰りに大石神社前を通る道を選び、渋滞したのでUターンして迂回して実家に戻った。
元日は京都と葉山に住む弟家族が、姫路まで来てホテルで一緒に夜を過ごす予定で、弟の迎えに来ていて母を任せた。
夕方からは家内の実家に皆で行った。
ここは義母がまだ、しっかりしているので、たんまりとご馳走をいただいた。
家内の弟夫婦も千葉から戻ってきている。
31日の朝4時半に家を出て、飛行機に乗ってやってきたという。
義弟は跡取り息子なので、律儀に正月は毎年戻って来ている。
話の中で、やはり義母が孫であるうちの娘に結婚を促す話をした。
それに対して、子供の居ない義弟夫婦の嫁がそれとは逆にことを言った。
この夫婦の生活を聞いていると、子供がいないせいもあるが、まさしく週末夫婦なのである。
要するに、土日だけ一緒に食事をしたりして過ごし、平日はまるっきり別々の暮らしだそうだ。
夫婦二人とも仕事を持っているので、忙しく時間も合わないそうだ。
そうであれば、夫婦である必然性はなく、週末だけ会う恋人同士と変わらない。
そういう暮らしをしている義妹だから、結婚を奨めないわけである。
二日、娘は昼前に四国にあるアパートへ戻っていった。
学生時代は地元の友達と会ったりしていたが、職について話が合わなくなって、会うことが無くなったという。
私は職に就いてからの独身時代は殆ど無いし、実家にいたのでよくわからない。
ただ、すぐに戻ってしまう娘に対しては、企業へ嫁にやったのかなと思ったりした。
仕事が楽しくて、週末も仕事をしたり、会社のテニスクラブで過ごすという。
実家に戻って来ても、何もすることが無いのである。
昔なら家事手伝いというところだろうが、それもしなくて良い。
そもそも、結婚しなくても大企業に就職していれば、将来の不安は少ない。
この頃は失業のリスクより、離婚のリスクの方が高いのかも知れない。
と言いながら、娘を大企業に就職させて、過労自殺で亡くした親もいる。
男性なら闇に葬られていたかも知れない過労自殺。
元日に義弟と話をしたが、彼は自殺する方がおかしいと言っていた。
それだけ勤務が厳しいのが当たり前なのである。
私はそういう意味では、女性が社会進出して良かったかと思う。
東大での美人の女性が過労自殺することによって、企業体質が変えられる。
男では黙殺されていたかもしれない。
彼女の死を無駄にしないためにも、日本の職場は変わるべきである。
土日もクラブで忙しい、ブラックな学校としても同じことである。
24で院卒の娘は就職して、里に帰ることが儘ならぬご時世である。
せめて会社が居心地が良いところであって欲しい。
そして、いつでも戻っておいでと言いたいが、村にも家にも仕事がない・・・
やっぱり、良いところへ嫁に行っておくれ・・・
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