この12月13日、私にとって大切な義父が亡くなった。
享年88歳だから、天寿を全うしたと言っても良いかもしれない。
ただ、最近まで非常に元気だったので、私も周りの者も心の準備ができていなかった。
葬儀にはもう十何年も会っていない親戚が集まった。
私にとってはその最後に会ったのは、やはり葬儀での時だった。
義父は広島県のある島で生まれ育った。
今でも船でないと渡れない島である。
義母も島育ちだが、その島は橋が架かり車で直接行ける。
行こうと思えば行けなくはなかったのだが、きっかけが無かった。
通夜の夜、私は葬儀会館に子供や義理の弟夫婦と夜伽をした。
義弟夫婦とは、正月や盆に毎年のように会うのだが、こうしてじっくり飲み明かすことは無かった。
義弟は私の中学校高校の後輩でもあり、共通の話題も事欠かなかったが、内容の濃い話は余りしなかった。
義理の弟夫婦とは20年以上の付き合いがありながら、今までの浅い関わり方を考えざるを得なかった。
葬式の後の食事でも、義母方の親戚と色々と話ができた。
栽培しているミカンのことや、島の様子や昔の葬式の話などをした。
義父の家はは浄土宗で、室津の浄運寺さんにお願いした。
火葬が終わり、浄運寺まで出向いて初七日まで済ませた。
その日は小春日和の穏やかな日で、浄運寺からは室津の湾の景色が心を和ませてくれた。
そこでは、義父方の親戚で網干に住んでいる人から、この付近の湾に沈む沈没船と遺物について聞いた。
私にとって非常に関心のあることを、親戚の人もやっていたことを初めて知った。
これから、法事に際しては近しい親戚とはまた会えるだろう。
しかし、遠い親戚はまたこういう葬式で無いと会えないのかもしれない。
本当なら、お祝いの機会に会えれば良いと思うが、悔やみの機会にしか会えないのが残念だ。
ただ、大切な義父を失ったことは、非常に残念ではあるが、義弟を中心とした親戚との絆を確かめられたのは慰めとなった。
葬儀社の宣伝で「生きるための儀式」として宣伝文句がいままでは空々しく思えていた。
こういう機会を得て、確かに、残された者にとってあの世に旅立つ人が、与えてくれた大切な機会なのだと思える。
人と人との関わりが希薄になっていく時代にあって、残された数少ない深い関わりの場となっているのかもしれない。
そして、夫婦や親子が一緒になってその大切な絆を大切にしなければならないとも思った。
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