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2018年3月23日金曜日

大学院を出たけれど

新聞に載っていた週刊現代の広告の見出し。

大学院博士課程なんか進んだら一生貧乏暮らしです
衝撃データー入手!4割が借金300万円超え でも、就職率は3割以下

中身は読んでないので、詳しくはよく分からないけれど、なんとなく想像はつく。
10年前に兵庫教育大学の大学院に長期研修として学んでいた時、文系の大学教員から博士課程を出て、コンビニショップの店長になっている話を聞いていた。
その人は、立派な国立大学の博士課程を出た人だった。
文系の場合は、私が大学を出た頃から、研究職への就職は多難な時代だった。
大学院の面接の時に、「就職無いよ」と言われ、「何とかなるでしょう」と答えた。
その答え方で通してくれたとも言われた。
今でこそ、学校教師に修士を採用することも多くなったが、当時はあまりなかった。
そもそも、私は高校教員になるつもりで、大学院に進学したわけでは無い。
それでも、万が一に備えて大学院でも1級の教員免許はとっていた。
東京都立大学の同じ研究室に教員免許をもっている人はあまりいなかった。
ある意味では、この大学院は教師になるということが念頭には無く進学するのが普通だった。
だから、所属した研究室のOB、OGには、高校教員は滅多にいない。

私は博士課程への進学を強く希望しながらも、修論のできが悪く受験さえできなかった。
やむなく、帰郷して高校教師の道を選びその道を歩んだ。
同じ研究室に所属していた人の多くは研究職に就いているが、そうで無い人も少なからずいる。
一番気の毒だったのは、博士課程在籍中の海外調査において現地で病気で亡くなった一年上の先輩である。
博士課程に進んだからと言って、将来が約束されていたわけでは無い。
ただ、ある種の徒弟制が残っていた当時、修士課程は「馬の糞」と言われて、一人前に扱われなかった。
だから、どうしても博士課程に進みたかった。

私は教師になっても、細々と研究は続けてきた。
研究職への夢も見続けてきた。
一方、華やかに見える研究職や大学教員の過酷な現実も知ってはいた。
兵庫教育大学の大学院ではそれを思い知らされた。
だから、どうしても研究職に就きたいと思い続けているわけでは無い。
ただ、研究職に就かずとも研究は続けたいと思っている。
研究で収入が得られることにこしたことは無いが、そうで無くても研究は自分の生きる力になっている。
何よりも、多くの研究者が心血を注いで書き上げた文献を、理解する力がいくらかついてきた。
若い時は分かったつもりでいただけだと分かった。
それだけでも、研究してきたご褒美だと思っている。

理系の場合は、最先端の研究をしないと価値を失ってしまうそうだ。
企業や研究機関に採用されることが多い反面、臨時雇用として消耗品のように扱われることも聞く。
それが、週刊現代に取り上げられているのだろうと想像がつく。
ある意味で、記録の結果を求められるスポーツ選手と変わりないのである。
それなら、スポーツ界と同じような感覚で大学院の博士課程に進むべきなのだろう。
また、スポーツ界と同じように、優秀な研究者を育てるもっと支援組織を作るべきだろう。
考えてみれば「馬の糞」の修士は、博士とは違いアマチュアだから他に使い道があっただけなのだ。
文系の場合は長くやれば価値が出てくる場合もあるし、論文博士の道も残っている。
そんな「馬の糞」の生き残りの私が、一目置かれる研究を残す夢もその一念からである。
それが、私の生きる力になっている。





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