上郡に移り住んでから、海との関わりがあまり無くなってしまった。
生まれ育った赤穂は身近に海と川があり、海産物にあふれていた。
今は高級品のようになってしまった穴子などは、母親が七輪でよく焼いてくれた。
毎日のように穴子が続くので、「また 穴子か」と思っていた。
また、シャコやカレイ、エビ、小ぶりの蟹なども鍋いっぱいに炊いて食べた。
今、それを今しようとすると肉よりもよっぽど高くつく。
因みに、小学生頃は牛肉は年に数回食べられるもので、普段はかしわ、たまに豚肉だった。
鶏は家でも飼っていた。
女の節句は地元では月遅れの4月3日にしていた。
そもそも、その日に食べるよもぎ餅は、新暦の3月頃にはあまり生えていない。
女の節句と言えば、よもぎ餅を思い出す。
そして、野遊びとして弁当を持って貝掘りに出かけたりした。
これは、大学時代から村落調査に出かけた奄美の3月3日の節句と通じる。
奄美や沖縄ではこの日に海に出て潮干狩りをする。
潮干狩りと言っても、砂浜のアサリを掘り起こすのではなくて、潮の引いた磯などで魚介類を獲るのである。
潮が引くと、珊瑚の磯についている貝などを拾えるし、穴に入ったタコもつかまえられる。
地元赤穂でやっていた潮干狩りとは桁違いのダイナミックさがある。
ただ、赤穂のアサリの味は奄美の魚介類よりも勝っていたと思っている。
(残念ながら今年は貝毒の影響で、西播地域の貝は食べられない)
私が奄美に惹かれたのも、子供の頃の行事に通じる物が残っていたからでもある。
海のそばに生活していた人々の同じ風習は遠く離れていても共通している。
ただ海の無い地域に住んでいる人にとっては、海で釣りなどをすることは特別の楽しみでもあるようだ。
私は小さい頃から、潮干狩りや釣りは日常のものだったので、生活の一部のように感じている。
だから、多くの金をかけて船釣りや釣り堀に行きたいとは思わない。
去年は赤穂でSUPをしながら、アサリなどをついでに獲った。
先日(4/8)は急に思い立って、赤穂の海に出かけた。
亀の手でも獲って食べようと思ったからである。
子供の頃は食べようと思わなかったが、アサリがあまり取れなくなったので、獲って食べてみると意外にいける。
それはあくまで海に行く言い訳で、海に行くと気持ちが晴れるからである。
木造運搬船に乗せられ、子供の頃から海に親しんでいた自分には、海に行くと気持ちが落ちつく。
かつて名古屋や東京に住んでいた頃も、気分が滅入るとよく行った。
今回は、亀の手以外にも流れてきたわかめも獲ってきた。
1m以上もあるわかめが根がついたまま流れ着いていた。
このように、魚介類を獲ることによって、ボーと海を眺めるより、もっと海に親しめる。
そして、海から戻ると、いつもの風景が違って見えるから不思議だ。
何よりもそれが、一番の収穫なのである。
今度は、昔の頃や奄美と同じように、旧暦の3月3日頃に行ってみようと思っている。
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