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2018年4月20日金曜日

家庭訪問

この季節は小学校、中学校の多くでは家庭訪問を行っている。
子供が小学生、中学生の頃は、それに備えて家内は家を掃除したり、花を飾ったりしていた。
その意味では、家がきれいになる良い機会であった。
私は高校採用だったので、本来は家庭訪問は特別指導以外にはあまりない。
ただ、特別支援学校は高等部であっても小・中学部と同じように行うし、職業高校では担任として全家庭に家庭訪問を行った。
それは、家庭の様子を知っておいた方が、その生徒を良く理解できると言うことだった。

職業高校では、土木科の担任をしていたが、土木科長の勧めで夏休みに家庭訪問を行った。
通学範囲が広いため、東は姫路の広畑から南は御津、そして北は安富、西は相生まで駆け巡った。
元気者の土木科の生徒は、自分の家や住んでいる地域を知ってくれていることで、親しみを感じてくれるようだった。
ただ、中には訪問を拒んで、結局マンションまで行っても出てくれなかった家もあった。
その生徒は父子家庭で、DVが行われている可能性があって、保護者と是非会いたかったが、結局会えなかった。
他にも、訪れても玄関口で立ち話程度で、来て欲しくないかったという態度の母親もいた。
しかし、高校での家庭訪問を不思議ながらも、多くは歓待してくれた。
私自身、家庭の様子を知ることによって、その生徒の理解に非常に役になった。

特別支援学校は、家でどんな生活をしているかがよく分かって良かった。
学校での様子と、家での様子が大きく違う生徒もいた。
播磨特別支援学校は当時は全寮制で、遠く神戸の生徒もいて、神戸まで家庭訪問を行った。
その生徒の家は駅前で定食屋兼たこ焼き屋をしていて、昼ご飯をご馳走してもらったりもした。
ただ、自分には苦い経験があって、姫路の特別支援学校では福崎まで家庭訪問をした時、家が分からずうっかり歩道に車を駐めたままにしていた。
戻ってくると、しっかり駐車違反の札が貼ってあった。
罰金は1万8000円で、痛い出費となった。
これは、田舎の住まいの自分には、歩道に駐めておくというのは普通の感覚だったからだ。
後で考えたら、周りは田園風景だったが、近くに駅があった。
このように家によっては、場所が分かりづらく、車で路地裏まで入っていくのに苦労する場所もあった。

自分が小学校の頃は、担任の先生に道案内を頼まれたことがある。
地元出身ではなかった稲沢先生と一緒に自転車で家を回った。
当時住んでいた赤穂の尾崎は、道や家は地元以外の人には非常に分かりづらい所だった。
また、淳心学院では新入生の全家庭を必ず校長先生が一人で家庭訪問された。
校長先生はベルギー人で、当時の赤穂の尾崎で白人を見かけることはそれ以外ではあり得なかった。
ちょうど夕食時だったので、カレイの煮付けをお出しすると、上手に身を箸でそいで食べられたので驚いた。
当時はまだ古い作りの悪い家だったので、来てもらうのは恥ずかしかったが、今から考えるとありがたいことであった。
校長先生が家庭訪問することは、普通はどの学校でもあり得ないからだ。

学校と家庭を結ぶ家庭訪問は、家庭にとっても教師にとっても負担ではあるが、大切な行事のように思える。
近年、取りやめる学校も増えてきたようだが、お互いに理解できる良い機会のように思う。
ただ、仕事や生活に追い詰められている家庭には、それなりの配慮や許容も必要だとも思う。
以前、雨が降る中、玄関の軒先で雨に濡れながら話をしたこともあるが、それも仕方ないことだと思う。
家の中に入れてもらえなくても、中の様子は分かった。
それだけでも、大きな収穫であった。






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