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2018年5月3日木曜日

就職浪人と素労人

私は大学院の博士課程への進学を諦めて、高校教諭になるまでの一年間は就職浪人であった。
教師になる人の中には、学部4年から採用試験を受けて、合格しない時はその後講師経験を積む人もいるし、大学院に進学して採用試験を受ける人もいる。
私は進学そのものを断念し切れていなかったので、当初はアルバイトで生活を立て直そうとした。
最初のアルバイトは、横浜の緑区で工事前に行う建築物の状況調査を行うアルバイトだった。
そこは学生アルバイトやミュージシャン志望の若者などを中心とした人たちの職場だった。
職場には相談に乗ってくれる人生の先輩がいて、仕事以外の場で随分助けられた。
ただ、将来正職員になれる可能性もなく、続けていく魅力も無かったので、塾の講師に転職した。

その塾はいくつかある系列塾の一つだった。
塾講師も、赤裸々な塾長争いの現実を知り、熟練塾講師の虚栄にまみれつつも、不安定な生活を目の当たりにした。
結局、仕事に追われる現実では、進学も不可能と思い、塾講師も辞めて実家に戻ることにした。
先日母親とその時の話をしたが、当時の私は精神的不安定で、手が震えていたという。
当時、都立大学の博士課程の先輩にも相談していたが、その先輩の経験からの勧めで精神科の治療も受けていた。
博士課程に進学できた先輩の中にも、精神的に追い詰められていた人もいたのである。
研究者の就職難のあおり、馬の糞の修士から、博士に上がるのは相当過酷なものだった。

赤穂の実家に戻った私は、とりあえず生活の不安はなくなった。
ただ、立場上居心地が良いものではなかった。
とりあえず、必死で教員採用試験の勉強をした。
他にも新聞社への就職も考えて、神戸新聞の説明会を受けたが、場違いな感じがした。
求人広告をみても、当時既に25歳を過ぎていた既卒の自分には、良い就職口はなかった。
自分には高校教師になるしか道が残っていないことを思い知らされた。
その後の講師経験については、すでにこのブログで書いたとおりである。

ただ、このような精神的に不安定な時代に、助けられたのは母親の助力が一番大きかったが、それ以外にも職場で助けられた。
どの職場にも相談に乗ってくれる先輩がいたし、心を開いてくれる同僚がいた。
電話で話をしたり、食事や飲む機会を設けてくれた。
現在の私は再就職浪人と言うべきなのか、フリーターと言うべきなのか分からない。
天下りの上司と違い、完全に平職員なので、教員採用試験前と同じである。
ただ、この職を長く続けていくことはできないし、それを希望しているわけでもない。
相談できる先輩もいないし、若い同僚とは目標がまるっきり違う。
若い人も同じようにこの職は長く続けられないが、男性はここでの経験から新たなる職にチャレンジしようとしている。
女性にとっては、臨時職員としては収入が良いのでなるべく長く勤めたいようだ。
私はやりたいことをしたいために、生活を安定させ活動資金を手に入れるために働いている。
若き小説家やミュージシャンの中には、コンビニや食堂にに勤めて作品を書き続けている人もいたようなので、それに近いのではないかと思っている。
この際、自分自身をフリーターと開き直った方が気が楽かも知れない。

そういうば、昔は月影兵庫とか花山大吉という時代劇があった。
用心棒や店の手伝いをしながら旅を続ける浪人と渡世人の物語である。
私は博打をやらないし、ボディーガードができるほど強くないので、素浪人とはいえないかもしれない。
それでも、江戸時代に傘張りや手習い所の師匠をしていた浪人と同じと思えば良いのかもしれない。
フリーターほど、自由人でもない、ファッショナブルな生活をしていない。
時代劇の素浪人のように、好きな酒を安いつまみで楽しんで満足できる生活。
ちゃんとした作品を書いていない今の生活に近いのかも知れない。
そういえば、同じ職場で宿直のバイトをしている年配者は、ゴルフや酒を楽しむために働いていらっしゃる。
年金だけでは、贅沢できないので働いているのである。
まさしく現代の素浪人である。
この際、スロウニン(slowing man)と造語を作っても良いかもしれない。
slow lifeを楽しむ人々をそう呼んでも良いのじゃないだろうか?
おじさんにはカタカナは不似合いなので、素労人と漢字を当ててみようかと思う。









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