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2018年5月5日土曜日

口ずさんだ唄

家内と買い物の途中の車の中、ラジオ番組で懐かしい唄を聴いた。
それらの多くは自分たちが生まれる前とか、幼い頃の女性が歌った唄だった。
自分はテレビやラジオ以外にも、母親や父親が口ずさんでいるのを聴いていた。
唄好きの母親は、家事をする時も、いつも唄を口ずさんでいた。
家内は昔からの、ラジオ好きなのでそちらで聴いていたと思う。
その唄を車中で家内と口ずさみながら、ふと亡くなった父親の声を思い出した。
父親はもともとそんなに唄は歌わなかったが、よく歌詞を一部使ってからかったりしていた。
例えば、息子が泣いていると「あんた 泣いてんのね」という風にである。
昔の曲は、今よりも長く放送されており、普段の会話の中に入っていった。

「ごめんね 次郎」「あら 見てたのね」「勝つと思うな 思えば負けよ」
色々と、ことある毎に唄のフレーズで、からかったり誤魔化したり、教訓とした。
それで、ふと父親の声を思い出したのである。

唄はそういう風に、親しく関わった声も蘇らせてくれる。
もう二度と生の声を聴くことができなくてもである。
録音された歌声は、今でも生き続けている。
これは、プロの歌手だけでなく、家庭で録画や録音した声もである。
私は一曲だけ、YouTubeに投稿しているので、ネットで聴こうと思えばいつでも聴ける。
家庭で録画や録音したものは、手間をかけないと聴けない。
だから、記憶に残っている歌声が、便利な再生器なのである。
テレビでは歌番組は減ったので、ラジオの歌番組がそういうきっかけとなってくれる。
この頃は、私も眠る前にラジオを聴くようになった。
夢と音楽は時間と空間を超えて、記憶の旅に誘ってくれる。


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