自分に放たれた「ハゲー」と言うことばに、おどけて見せるしかなかった。
一人の園児が、スイミングキャップをとった私に投げかけた言葉である。
私は「じじい」と言われたので、白髪が目立たないように短いスポーツ刈りにした。
今までそうすると若く見られることが多かったからである。
しかし、地肌の見えるの短髪に、園児はそう感じてその言葉を放ったようである。
確かに、頭頂部はかなり薄毛になっているが、下から見上げられてわかるはずはない。
長い間教師をしてきたが、面と向かってハゲと言われたのは初めてである。
当然、陰で言われていただろうとは思うけれど・・・
園児が人に対して、何のためらいもなく「ハゲ」という言葉を発せるのは、普段から使われているからだろう。
そういえば、国会議員が秘書に対して「この、ハゲー」と罵倒したニュースがしばらく流れた。
その時に、いつの間にか茶の間では「ハゲー」が市民権を得てしまったのかもしれない。
結局、その国会議員は辞職に追い込まれるのだが、ハゲという言葉は日常に根付いてしまったのかもしれない。
若いころは髪の毛は剛毛で、むしろ多くて困っていた。
それが、だんだんと薄くなり、白髪も多くなってしまった。
弟の一人は若い時から薄毛で悩んでいたが、独身だったので深刻だったのだろうと思う。
勤めだしてから、車が一台買えそうな金額を、鬘につぎ込んでいた時期もあった。
髪の毛に問題のない人には、理解しがたいことだと思うが、髪の毛は結構重大な問題だ。
「ハゲ」という言葉は、面白半分や気軽に使える言葉ではない。
若いころはそう考えずに、使っていただろう言葉を、今思い知らされる。
そして、年齢の高いものに対する言葉づかいも、時代を感じさせられるのである。
今の時代は昔のような怖いおじいさんというのはいなくなって、何を言っても許される優しいおじいさんが普通の時代なのだろう。
こういう時代だからこそ、老いても誇りを持てるものを持ち続けたいと、研究活動だけは続けている。
これはある意味で、プロになり損ねた選手が、アマチュアで頑張っているのと同じかも知れない。
スポーツと違って、プロになる可能性は少しはある。
そして、世間には認められていない身だけれど、ハゲという言葉に打ち勝つ力にはなる。
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