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2018年8月28日火曜日

昔の名前で・・・

私が在籍した大学院の一つ、東京都立大学はその名前を失っていた。
首都大学東京というけったいな名前になってしまって、私には親しみなどもてなかった。
ただ、私が通った校舎は既に八王子に移転してしまっていて、一度も足を踏み入れたことはない。
私の通った校舎は、東京都目黒区八雲1-1-1にあって、東急東横線の都立大学駅から柿の木坂を登ったところにあった。
校歌がなかったので、仲間で飲むとその当時はやった、志村けんの「東村山音頭」をもじって、「目黒区八雲 一丁目 一丁目 一丁目」とふざけて歌った。
私は「柿の木坂は駅まで三里」の歌詞のある『柿の木坂の家』の歌の方が、この大学にふさわしいと思った。
ただ、この歌は広島県の大竹市がモデルだそうだが、私は勝手に渋谷駅から三里離れていると解釈していた。
今の校舎は八王子市南大沢1-1-1にあるそうで、ここで「昔の名前で でています」と、2020年に再デビューするのだという。

私は高校生の頃は、やけに倍率の高い二期校の大学という以外に大して興味はなかった。
ただ、親しかった友人は、この大学に憧れて目指したが、結局二浪して慶応に行った。
都民にとっても、入学金などが安かったので人気があったらしく、都立大学に行きたかったという早稲田大出の人もいて意外に思った。
ただ、以前私の教え子に進学を勧めたことがあるが、筑波大学の方を選んで進んだ。
大学改名のニュースでの取材で学生が話していたように、ネームバリューも人気もなくなっているのだろうと思った。
また「首都大学東京」は、「東京都市大学」という私立大学があるように、名前が紛らわしくて格調もないように感じていた。
そもそも、東京都立大学は英語ではTokyo Metropolitan Universityで、大学のTシャツにはMのイニシャルを使っていた。
ちなみに、東京都市大学はTokyo City Universityだそうで、都市の大きさの差の表現というのもおかしなものである。

私が所属していた当時の東京都立大学大学院の社会人類学コースの魅力は、色んな大学の出身者がいたことである。
都立大学の学部の方から進学する者はあまりいなかった。
埼玉大学出身者が多かったが、東京大学や早稲田、慶応、ICU、から高知大学、信州大学など地方大学出身者も少なからずいた。
私のような、二流私立大学出身者にも門戸が開かれていたのは、ありがたいことだった。
東京大学のような上品なアカデミズムの砦ではなかった。
研究会ではビールを飲みながら激しく鋭く討論する荒稽古の場でもあった。
そこで鍛えられて、多くの研究者を輩出していったのだが、私のように研究者にならずに去って行った者も少なからずいた。
ただ、もし私が都立大学に学んでいなかったら、研究はとっくに捨てていただろうと思う。
生涯研究を続けていこうとしているのは、ここで学んだからだと思う。
今は敷居が高くて踏み入れられない所になってしまったが、ここで学んだこと自体が自分にとっての大きな支えになっている。
そして昔の名前が戻ることは、これからもいっそう私を支え続けてくれるような気がする。






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