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2018年9月20日木曜日

姫路本町68番地の知り合い

先日ふと国立病院への入院という話のきっかけで、母校の淳心学院界隈のことが話題になった。
因みに姫路の国立病院は姫路陸軍衛戍病院であり、淳心学院の敷地には陸軍の第10師団の指令本部があったと聞く。
また、今の美術館の建物は第10師団の倉庫であった。
要するに戦前は軍関連の施設があった場所なのである。

話の相手はもと裁判所にお勤めだった人で、淳心学院のそばの庁舎にお勤めだったという。
姫路城の公園整備で、今は美術館や博物館になっているところには、市役所、裁判所などがあった。
市役所の現在の位置への移転は1980年だそうだから、私が名古屋で学生していた頃に移ったようだ。
姫路市民でもなかったので、市役所にも縁はなかったし、ましてや裁判所には縁はなかった。
何か古めかしい建物が建っているなというくらいしか記憶にない。

裁判所勤めの人との話で出てきたのは、よく飛んできたクジャクの話である。
私は、白いクジャクの方が印象に残っている。
別に放し飼いにしていたわけではないようだが、ケージの上にネットを張っていなかったようで、よく動物園から飛んで出ていた。
私は朝はわざと、駅から遠回りして動物園と姫路城の間の道を通学で通っていたので、そのクジャクはいつも目にしていた。
朝は吠えザルが「ホー オ」と鳴いて賑やかで、生徒の中にはそれを真似してふざけたりした。
また、内堀の中の水鳥を眺めるのも面白く、暇があると姫路城の内堀の周りを散歩したりした。
裁判所勤めの人の気持ちも、その雰囲気に心和ませていたのだろうと思う。
思い出話がクジャクになるのは、そういう環境で過ごしたおかげである。

姫路城の中堀の姫路本町68番地は世界遺産として名だたるものになった。
私などのようにそこで過ごしていた者にとっては、クジャクが飛んできたり、動物園の動物の鳴き声などが思い出せる場所であった。
城の南側の賑やかな場所より、北側の何もない広場の方が落ち着けた。
そして東側の戦前までは軍関連の施設が建っていた場所は、こういう平和な場所に生まれ変わったようだ。
そういう場所で6年間学べたのも、私にとっては掛け替えのない経験だと今は思える。

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