ページビューの合計

65,778

2018年10月29日月曜日

10年ぶりの沖縄

この週末に甥の結婚式で沖縄に行くことになった。
沖縄は私たち夫婦にとっては、結婚式でもないと行くことの無かった遠い場所だ。
私は沖縄には一度兵庫教育大学のゼミ旅行で行っており、初めての場所ではなかった。
家内も大学時代のはるか昔に訪れていて、同じように初めての場所ではなかった。
二人とも忙しさにかまけて、ホテルは新郎の親である弟に任せ、飛行機のチケットも一ヶ月ほど前に格安便を買った。

飛行場は神戸空港を使い、車で朝の8時過ぎに出かけて、11時15分発に乗った。
レンタカーも神戸空港から家内が予約した。
途中で奄美大島が見えたので懐かしく思えた。
那覇空港では28℃の熱い中、レンタカーの送迎を長い間待つことになった。
待つ間、観光客の多さに圧倒されていた。
10年前に来た時のことはあまり憶えていなくて別世界に来た感じがした。
レンタカーに乗って、残波岬にある宿泊ホテルに向かった。
10年前は殆ど若い人に運転してもらったし、遠くまで行くときは沖縄自動車道を用いたので、これほど都会だとは思わなかった。
また途中での嘉手納基の広大さ、米軍関係のYナンバーの車の多さに、基地の島を実感させられていた。
そして残波岬付近まで来て、サトウキビ畑やサツマイモ畑を見てやっと沖縄らしい景色に出会えた。

ホテルを確認した後、うるま市のある海中道路に行くことにした。
ドライブも新興住宅街を走っている感じで、海岸の道路まで来てやっと沖縄らしく感じた。
海中道路も期待したほどのことはなかった。
昼食は機内で出されたキットカットとコーヒーだけだったので、途中コンビニに寄ってつまみとビールと泡盛を買った。
弟達がホテルに到着するまでの間、ホテルにチェックインした後、二人で先に飲んでいた。
弟らが到着して、一緒に焼き肉を食べたが、家内が焼き肉は苦手だったし、これといって沖縄らしい物はなかった。

翌日は式までに時間があるので、万座毛まで観光に行った。
中国人の観光客の多さには驚いた。
駐車場が足らなくて、何とか留められたが出るときにはすごい渋滞だった。
まだ、多くの観光客に対応できていないという感じだった。











再び残波岬の式場に戻って、挙式に参列した。
海の景色をバックの挙式は、抜群の演出で沖縄に来てまでやりたい気持ちは分かった。
私たち夫婦は帰りの飛行機の都合で、食事が済むと直ぐに退席してレンタカーを返しに那覇に向かった。
来る時は1時間で来れたが、渋滞して一時間半もかかりぎりぎりの時間となった。

那覇空港で出発時間までお土産を買ったりして時間をつぶした。
19時半出発は少し遅れ、神戸に着いたのは21時半だった。
空港コンビニで軽い食べ物を買い、駐車場で食べてから家路につき、戻ったら23時半だった。
こうして、一泊二日の結婚式の旅は終わった。
慌ただしい結婚式への参列で、しかも披露宴は食事をとっただけというものだった。
出不精の家内が35年ぶりに沖縄まで出かける機会にはなったのだから、悪くはなかったのかも知れない。
因みに家内は自分たちの新婚旅行以来、飛行機には乗っていなかった。
途中で、満月の月が昇り、その月を眺めながらの空の旅になった。
神戸空港に戻ってくる時は、とっぷり日が暮れて、町の明かりが目の前に展開していく。
いつもは、電車や車で通っているところを、上から眺められる経験は滅多にない経験だった。
慌ただしい沖縄旅行だったけれど、夫婦二人で新婚旅行以来初めてできた二人だけの宿泊旅行だった。




2018年10月15日月曜日

咳と鼻水からの回復

昨日(10/14)朝の健康番組で咳を特集していた。
咳の種類には色々あり、命に関わる咳もあることが分かった。
私もつい最近まで咳と鼻水に苦しめられ続けていた。
8月に母親が入院して、その付き添いで一晩病室にいたら、クーラーで風邪を引いてしまっていた。
それから、私はスイミングスクールでの仕事を9月末まで続けた。
一日、4時間以上プールに入る日が、週に5日続いた。
時には熱があると分かりながらも入らねばならず、帰宅後は焼酎のお湯割りを飲んで眠るしかなかった。
微熱はずっと続いていて、咳も酷いときには食後や夜中に出続けた。
病院ではレントゲンもとったが、アレルギーだろうとその薬を処方してくれた。
しかし、咳止めの薬を飲んでも、肺への吸入薬を使ってもいっこうに治らなかった。
市販の咳止め薬(アネトン)が家内は効くというので試してみたが、一時的にはおさまっても根本的に解消はしない。
龍角散や蜂蜜も試してみたが、咳と痰、鼻水は続いた。

しかし、スイミングスクールの仕事を辞めて、定時制高校の臨時講師を始めて2週間、それらは殆どおさまった。
要するに、プールでの仕事が私の身体には合っていなかったのである。
ベテランのコーチも歳を「とってやる仕事ではない」とはっきり言っていた。
その人も腰を患っていて、プールに入る時間は3時間程度に抑えていた。
水に入る仕事に身体は慣れると言われたが、60歳前の私には無理だったようだ。
女性コーチが体調を壊すのを知っていはいたが、男性とても歳をとれば同じである。
プールは確かに、暖房で温められているが、室内には消毒用の塩素が気化して漂っている。
そもそも、水温30℃は夏場は良いが、秋から冬では身体を冷やすことになる。
この仕事をずいぶん甘く見ていたようだ。
水泳部の顧問のように、2時間ほど生徒と一緒に泳ぐのとは大違いであった。
プロの厳しさを思い知らされた。

2018年10月12日金曜日

兵庫教育大学への通学路

私はかつて兵庫教育大学大学院に長期研修として2年間通っていた。
上郡の自宅から片道80kmほどで、一時間半以上の時間がかかった。
当初は姫路バイパスの姫路東ICを降りて、国道372号をつかったり、急ぐ時は山陽自動車道の三木小野ICで降りて国道175号を使ったりした。
しかし、距離はあるが渋滞のない、福崎経由で通うことが多くなった。
これは、龍野から林田、安富を経由して、中国自動車沿いの道を社町まで行くルートである。
殆どが谷間の道となり、川沿いの道やいくつかの峠を越えて風景は抜群に良かった。
川沿いの道では林田川沿いの国道29号線が一番気に入っていた。
山間の道では安富から加西までは中国縦貫道沿いの県道23号は、峠から町の景色が見えたり、桜並木がきれいだった。
加西から社までの道は、まるっきり風景が変わった。
もともと、このあたりはかつては湖底だったということで、広大な平地になっている。
かつて、大学院の授業でこの平地の断層を、航空写真を使って調べたことがある。
とにかく、この近辺ではあまり目にすることができない光景で、私のお気に入りの景色である。

兵庫教育大学は連なった丘の上にあり、その低い丘には他にも県立嬉野台生涯教育センターやゴルフ場があり、やしろの森公園もある。
私は自転車を持ち込んで、この丘を巡って楽しんだ。
大学は丘の森に囲まれており、晴れた日は弁当などはその森の中で食べたりした。
同じゼミの楽しみ合宿では、やしろ鴨川の里に泊まり、こんだ薬師温泉の里でゆっくり湯に浸かった。
他にも東条湖ランドがあるが、ここは生徒引率で行ったり、子供が小さい頃に子供会から行ったりした。
ここも自転車で回ったが、結構坂がきつかった。

最近は家内と二人で訪れようと思う施設はないので、ここは通り過ぎて猪名川の蕎麦を食べに行っている。
また、正月には播磨清水寺に参拝したが、紅葉の季節も行ってみたいと思っている。
自宅からは少々遠い場所だが、同じ播磨にあっても全く違う世界を感じさせてくれるお勧めの場所である。



2018年10月9日火曜日

暦通りの休み

私は早期退職以来、暦通りの休みで過ごしていなかった。
閑谷学校に勤める前は、家内の言うところの盆と正月の日々と言えるのかも知れないが、自分の生活としては平日と休日の区別はつけづらかった。
閑谷学校では、研修センターが年末年始以外は閉館することが無かったので、センターのシフトによる勤務であった。
土日にも利用者がいたが、学校等からの電話が無かったので、事務仕事は少なかった。
だから、ベテランの事務職員は電話が少ないだけ、仕事がはかどるから却って楽だと言っていた。
私は長年暦通りの生活をしていたが、学校によってはクラブ指導で土曜日は出勤することが多かった。
休日の仕事は特別な行事や、クラブの競技会などであった。
ただ、当時は年度末の入試業務が休日になることが多かったので、代休にもクラブ指導等で出勤する教師にとっては休日はなかった。
だから、休日は暦通りにはとれないにしろ、閑谷学校では休日はそれなりにとれてはいた。

上郡のスポーツセンターは基本月曜日が休みであった。
私は土曜の午前と、日曜日は勤務を外してもらっていた。
2ヶ月半しかアルバイトをしていなかったので、その期間の祝日は月曜に限られていた。
そして、その日は火曜日と振り替えの勤務となった。
だから、7月から9月までの土日月の三連休は無かった。
月曜日が祝日の日は出勤して、火曜日が休みとなった。
だから、夫婦で休日があうのは日曜日のみとなっていた。

自分は教師をしていた頃は、暦通りというのが当たり前だったが、身近な人にはそうで無い人が多いとあらためて気がついた。
まず、老人介護施設に働いている息子がそうであるし、会社の警備・施設管理の仕事をしている弟などがそうである。
弟夫婦は弟の妻も暦通りの休日では無いので、夫婦の休日が合うことがあまりないという。
閑谷学校では、土日の両方とも出勤というのは無かったので、土日のどちらかは、暦通りの勤務の家内と休日は一緒にはなっていた。

今回、再び暦通りの仕事に戻って、久しぶりに夫婦でドライブに出かけた。
休日は普段やれないことをするので、今回のように3連休で無いと、遠出する気分的な余裕が無い。
私はこの3連休は土曜日は畑仕事、日曜日は村の神社の仕事をしていた。
普段の休日はちょっとした買い物に夫婦で出かけられても、今日(10/8)のようにドライブがてら猪名川まで蕎麦を食べに行くことは無かった。
ドライブで遠出して気分転換ができたので、暦通りに休みが取れるありがたみを改めて感じた。
世の中には暦通りに休みが取れない人が多くいると思うけれど、どのように家族と過ごしているのかと思う。
本来休日は家族や友人や仲間と一緒に過ごせる日だと思うが、それがなかなか難しい人も多いと思う。
そして、完全に退職して暦に縛られる生活が送れるようになった時には、一緒に楽しく過ごせる相手を失っている場合もある。
暦通りの生活ができる今を大切に生きていく価値を考えさせられた。


2018年10月4日木曜日

久しぶりの教壇

この10月1日から再び縁があって教壇に立つことになった。
近隣の定時制の高校で、学期の途中から授業を受け持つことになった。
肩書きは「臨時講師」ということで、いままで書いてきた「教諭」とは違うというのを実感した。
その学校の全日制にはかつて一緒に仕事をした人が多くいて、誰もが年齢を感じさせてくれた。
そして、それなりの役職に就いていて、重責を担っていることが察せられた。

早期退職して1年半、その間に社会教育指導員や水泳のインストラクターを務めたが、どれも初めての経験で慣れるのに苦労した。
それに対して、定時制の仕事は1年とは言え、経験があるのでそれほどの戸惑いはない。
前回は帰宅後に夕食を食べて、糖尿病を悪化させてしまった。
今回は、弁当を持っていって、夕食を職場でとっている。
帰宅後は軽く晩酌をする程度にすませている。
我々のような年齢の者にとって、定時制で一番難しいのは健康管理である。
元気で若い生徒や教職員に混じって、元気に仕事を続けるには何よりも健康が第一である。
それでも、水泳のインストラクターの仕事に比べれば、健康管理は難しくない。
プールに一日4時間も入って、咳も風邪も2ヶ月ほど治らなかった。
何よりも、少々熱があっても、プールに入らねばならないのが辛かった。
これはベテランの人にも一番辛いことだと聞かされた。

昔とは立場が違う教師になったが、肩の力を少し抜いて仕事をやっていきたいと思っている。
とにかく、新たなるステップを次のステップにしっかりと繋げていきたいと思っている。
ぞれは現役の時とは違って、行き先の決まらない道であり、終わりも分からない旅でもある。