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2019年2月7日木曜日

還暦同窓会・別人物

還暦同窓会・医療関係と法曹関係のテーブルで紹介したK君は、最も別人物に思えた一人だが、他にも何人かいた。
Mi君は、中学高校とどちらかというと、肥満型の体型で、頬もふくらみ目も細かった。
それが痩せると、体型どころか、人相も変わってしまう。
当然気がつかなかった、彼とは東大のコンピュータ室で、大学院の頃会って以来だ。
その時は、以前の彼だったから、東大の大学院を卒業後に変わったことになる、
そして、何より驚いたのは、二次会で佐野元春のアンジェリーナを踊りながら歌ったことだ。
彼の家は確か植木屋さんだったように思うが、自慢の盆栽作品を披露してくれたことがあった。
どちらかというと、地味な性格だった。
その彼は、今は会社の社長さんで、最も若々しかった。

逆に最も、老けて見えたのはMy君で、彼は女の子のような可愛いタイプで、男子校では可愛がられていた。
それが、身なりも風貌もすっかりお爺さんになってしまっていた。
どうも、病気が原因らしいのだが、昔の彼を知っているだけに、寂しく思えた。

ただ、風貌は変わっても、元のままだという仲間も多かった。
白髪でありながら、ノリは昔のままという者を多かった。
自分のことは自分では分からないが、おそらく昔とは変わっているのだと思う。
どちらかというと不良で、まさか教師になるとは思われていなかった思う。
教師になった同級生は少なからずいるが、一番私の品行が悪かったように思う。
ただ、品行が一番悪くて、今は立派な医者として活躍しているCh君に叶わない。
彼は淳心の前に立っている国立病院に勤めたときには、母校の生徒のために尽くした。
憶えているのは、みんなで作ったレコード台詞である。
「京大の ○○(本人の苗字)や、それだけや」
と吹き込み、一浪して公言通り、京大の医学部に入った。
そして、今回の同窓会の締めの挨拶をしたのが彼だった。

とにかく、人はそれぞれだと思う。
今回出席しているのは、3分の1ほどの人数だ。
母校のことや、その仲間とは無縁でいたいと思う人もいて当然だ。
私の弟なども、一度も同窓会に出たこともなく、名簿にも名前を載せていなかった。
弟は淳心在籍時代には、何度も辞めたいと言って親を困らせていた。
母校や母校の仲間は遠きにありて思うものと、思う仲間がいて当然だ。
そういう人が一番別人になっているのかも知れない。


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