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2019年4月19日金曜日

研究と生活

今日(4/18)の朝日新聞に、優秀な研究者が安定した職をえらずに、結婚生活にも躓き自死した話が掲載されていた。
以前から、博士課程の定員を増やしたのに、研究職が得られないという話は良く聞いていた。
私は、研究職に応募しながら、いつも書類選考で落ちていたが、高校教師としての収入は確保できていた。
生活のために必死で研究している人の業績に勝てるはずも無かった。
しかし、いくら業績を積んでも職に就けないとなると、研究というのを根本的に考え直さねばならないだろう。

私はそもそも研究至上主義では無かった。
大学院に進んだ時も、研究者になれる可能性のある大学だから選んだ。
そうでない大学院には行くつもりも無く、博士課程から別の大学院に行くつもりは無かった。
研究職志望は、大学4年からのことで、それまでには教職に就けるように教員免許取得は怠らなかった。
因みに私が進学した大学院の研究室では、殆どの人が教員免許は持っていなかった。
それでも修士課程の3年間は、博士に進学し研究を続けたいために、必死になった。
また、自分を支えてくれる人もいた。
多くを犠牲にして自分なりに努力したが、結局良い論文を書くことが出来なかった。
そして、その支えてくれた人まで失ってしまった。
その時に、踏ん張って研究を続けることを選ぶか、生活を立て直すことを選ぶか、ずいぶん迷い苦しんだ。

何とか研究を続けたいと思い、アルバイトをした。
アルバイト先で目にしたのは、夢の実現のためにアルバイトをしている若者。
塾の講師をした時も、東大を出ながら塾講師をしている30代半ばの人の不安定な生活にショックを受けた。
安定した家庭生活を得るためには、自分には教員になる道しか残されていないと思った。
そして、未練を多く残したまま、東京を後にした。
その時の思いは、その後教師になってもひきづり続けていた。
教員生活を続けながら、良い論文や作品を書いて、研究職に就きたいと思った。
一方で、教師の仕事は多忙だったが、夢中にさせる魅力もあった。
そして、趣味で色々なことができ、仲間とも楽しく過ごせた。
何よりも、結婚し、子供ができて、普通の家庭が築けたことが一番の幸せになった。
実はつい最近まで、東京で生活が破綻した時代に戻った夢を見ていた。
「どうしよう、このままは結婚もできない」と思いながら目を覚ます。
横では家内がすやすやと眠っているのを見て我に返って安心する。
こんな悪夢を何度も繰り返し視て目が覚めた。

私は今も研究は続けている。
研究のために早期退職したと表向きは言っているが、それが全てでは無い。
研究はあくまで、自分が生きた時代はどんな時代だったのかを知る手がかりだ。
何も分からず、流されて死んでいったというのでは、面白くない。
地位も名誉も金銭もそれほど得られたわけでは無いが、幾分か自分の生きている世界と時代が分かってきた。
それでも、一番大事なのは家族や仲間と一緒に過ごす日々の暮らしだと思っている。
そして、その日々の暮らしを、大きく支えてくれているのが、研究であることも事実である。
また、その研究を続けるには、自分には多くの趣味が必要であるとも思っている。



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