私は昨年の今頃は閑谷学校の研修指導員として忙しい日々を過ごしていた。
若い人の中で、同じような仕事をするのは、60を前にした私にはかなり過酷なものだった。
それでも、体は運動や農作業で鍛えてきたので、体重を落としながらも何とか病気にはならずに過ごせた。
その閑谷学校も6月いっぱいで退職して、次のスイミングスクールの指導員に転職した。
それから一度だけ訪ねて行き、偶然駐車場で研修課長さんにお会いできた。
事あるごとに、閑谷学校で働いた時のことを思い出した。
それが縁というのは不思議なもので、今勤めている高校のOBが備前市長をしていて、その講演を聞く機会を得られた。
そういえば、閑谷学校で何度かお目にかかった人だった。
講演の中でも閑谷学校のことを触れておられた。
以前ブログで「越境の学校」という題で、閑谷学校のことに触れた。
今の備前市長さんは岡山県の寒河から、兵庫県の高校に通ってきていたという。
閑谷学校へ播州地域から学びに行ったのとは逆であり、淳心学院と同じである。
近年では備前市では無いけれど、岡山白陵高校には、兵庫県からも多く通学しているようなので、再び西への流れも復活している。
備前市長さんは、赤穂、上郡、備前が地域ポータルサイトで情報を共同で発信していることを言われていた。
閑谷学校に研修しに来る学校の中にも、赤穂市の中学校や、上郡の高校が含まれている。
元々中世では、備前は赤松氏の所領だったこともあるし、歴史的には関わりの多いところであった。
どうしても、播州地域は姫路が中心となるが、それとは色の違う文教地域ができればと思う。
また、備前市には企業もそこそこあって、働く場所としても考えられるだろう。
閑谷学校で研修することがあった生徒には、親しみを感じる場所にもなる。
姫路城に対抗するには、もうすこし大がかりに整備をする必要があると思う。
場合によっては、赤穂、姫路と広域に人を呼び寄せるマップが必要に思える。
その中で、閑谷学校と関わる大鳥圭介のゆかりのある上郡はそう関わっていくべきか
赤松氏ゆかりの落ちない白旗城や、赤松氏の館の復元などを通じてもっとアピールすべきだろう。
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