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2019年8月1日木曜日

小豆島の見えた窓

私の書斎は二階にある。
書斎と言っても、元は夫婦の寝室で、娘の部屋が殆ど使われなくなったので、そちらに寝室が換わっただけである。
だから、雑然とした部屋で、研究を続けていただけの話だ。
ところが、夏になると西の部屋なので非常に暑い、エアコンもつけているが、使うのがもったいない。
そこで、夏場は下の座敷に避難する。
この一階の座敷は、娘が帰ってきた時とか、母親が来た時に用いている。
普段は息子がテレビを見る時に使う程度である。

ここは夏場でもけっこう涼しい。
簡易テーブルを持ち込んで、ここで仕事をしている。
そんな時ふと、赤穂の実家の座敷や、自分の部屋を思い出した。
実家の座敷は祖父が庭師だったので、良い庭が拵えてあった。
大学生になり、二階の南の部屋は弟に譲ったので、戻ってくると座敷を使うことになっていた。
そこで、私は大学院を受験するための勉強をした。
大学受験は二階の自分たちの部屋でしたのだが、そこは弟と共同だった。
二階の窓は南に向いていて、そこからは小豆島が見えた。
そのころは、周りには家は殆ど建っていなくて、周りは田んぼだった。
二階の窓からは遠く小豆島が見えた。
この小豆島には、浪人をしている時に、弟やいとこ、弟の友達とこっそりキャンプに出かけた想い出の島でもある。

今の家の座敷からは、隣の家の壁と庭に置いてある軽トラックしか見えない。
考えてみれば、赤穂の実家は贅沢な家だったのだと思う。
そこで、勉強よりもギターを弾いたり、歌うことが多かったのだが、それなりのお膳立てがあったのだ。
今は荒れてしまった庭になり、二階からは小豆島も見えない。
私たち兄弟を育ててくれた実家は、母の静かに暮らす場所になっている。
いずれ、私の今住んでいる家もそうなるのだろう。

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