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2019年9月30日月曜日

猪名川から丹波路2019秋

昨日は朝の8時から村作業で、道ばたや小川の土手の草を草刈り機で刈った。
私は空調服を着ていったので、珍しがられた。
まだ、我が村で空調服を着て、農作業などをしているのは自分だけである。
その前日も、庭木の手入れを空調服を着ておこなった。
空調服によって、作業ははかどるし、疲れも軽減されている。
昨日の村座業でも、人によっては汗びっしょりだったが、自分はそれほどでもなかった。
確かに、空調服は値段が高いが、それに見合うだけの効果がある。
次の日にゆっくり休めない者にとっては、必需品でもあるのだ。

作業が終わってから、シャワーを浴びて、出かける準備をした。
猪名川でそばの花が咲いているというので、出かけようと思っていた。
いつもの龍野回りに道(姫上線)を走っていると、田んぼの中でそばの花が咲いている。
猪名川まで行かずとも、見られることは確かである。
しかし、ドライブを楽しんだ上で、美味しい十割そばを食べるのが目的なのである。
林田から、いつもの中国縦貫道路に並行して走る県道23号を東に向かった。
祭も近いので、道には色とりどりのシデ棒が立っている。
紙で作られたのは、ナイロン袋がかぶせてあるが、プラスティック製の物はそのまま立てて色鮮やかである。
これが立つと、播州の祭のシーズンという気持ちになる。
ただし、上郡にはまだこの文化は普及していない。
もともと、赤穂や上郡では使ってなかったし、龍野や福崎で使い始めたのは最近だと思う。

今回も心配したことが起こってしまった。
三田でルートを間違ってしまった。
スマホは自動車道に誘導していたのだが、それを無視するととんでもない山道に案内されてしまった。
テレビ番組の「ポツンと一軒家」で出てくるような山道を、対向車を警戒しながら進んだ。
何とか、三田から猪名川に抜ける道に辿り着いたが、肝を冷やす山道だった。

猪名川の道の駅はやはり混雑していて、離れた駐車場に車を停めた。
そば店では、人が店内で待っていたので、名前だけ書いてまずは買い物をした。
そして、店内に戻ってしばらくすると順番が回ってきた。
今回は私は五つ星そばを、家内はそば三昧を食べた。
椎茸が美味しかった。
そば本来の味を味わうのなら、盛り蕎麦やざる蕎麦だろうが、滅多に来ないので当地の産物も頂きたい。


店には、そばの花の風景写真も飾ってあったので、そばの花を見に行こうと、店を出てから北に向かった。
しかし、どうも道沿いにそば畑はないらしく、ちょっとしたそば畑だけ見ることが出来た。
そして、篠山に向かう山の中の道を、車を走らせた。
この猪名川渓谷ラインはドライブやサイクリングでも人気らしく、けっこう車や自転車が往来した。
今回は、時間があまりなかったので、篠山町には寄らずに、社に向けて戻った。
今は、稲の穂が黄色く実り、刈り入れを待っている。
このあたりは酒米の産地で、酒のメーカーの幟も多く立っている。
畦には真っ赤な彼岸花が、絨毯のように咲いている。
社から加西にかけては広々として盆地が広がっていて壮観である。
毎年繰り返している、猪名川のそばを食べに行くドライブは、私たち夫婦の恒例行事である。
旅の景色と味わう猪名川の十割そばは、掛け替えのない元気の源である。

ただ、今回も三田からのルートを間違えたので、ちゃんと地図を確認しようと思った。
分かっていて進むのと、迷い込むのとでは大違いである。
新しいルートも探してみようと思う。

2019年9月23日月曜日

ドライブコンサートwith井上陽水

今日は三連休の最終日、昨日は台風で天候が悪くどこにも出かけなかった。
本当は昨日遠くにドライブしたかったのだが、今日に変更した。
天気が回復している西の方に、家内と向かうことにした。
岡山のあたりから、青空が広がり、気分良く運転ができはじめた。
同じドライブでも、晴れと曇りでは気分が大違いである。
そして、かけているラジオはNHKFMで「今日は一日井上陽水三昧」である。
懐かしい曲が、流れてきて、その度に口ずさんでいる。

西に向かう国道二号線は、倉敷あたりまでは良く通っている。
先日も倉敷のアウトレットのモンベルに行って、トレッキングシューズを買ってきたばかりである。
倉敷より西側は、娘が大学生の頃、広島の西条に下宿していて、よくドライブがてら送っていった。
行きは、山陽自動車道を使うが、帰りはたいてい国道二号線を使った。
だから久しぶりに当時とは逆方向で景色を見た。
とりあえず笠岡の道の駅まで行ったが、これといって欲しいものはなかった。

とにかく昼食をとろうと、二号線を引き返したが、なかなか店が見つからない。
あるのはラーメン屋か仕出し屋で、入りたい気持ちになれない。
とうとう倉敷まで戻ってきてしまって、二号線を下りることにした。
北に向かって走っていると、ファミレスがあったので、そこへ入って遅い昼食を軽くとった。
元の二号線には戻りづらかったので、高梁川の土手道を総社の方に向かった。
そして、清音のところから県道270号、国道180号の吉備路に向かった。
この道路は以前吉備津神社から総社に行く時によく使った道である。
備中国分寺から吉備津彦神社にかけて、吉備路ののどかな風景を楽しむことが出来る。
そして、岡山市内を通っていつもの国道250号線で戻る。
このはコースは、高架道路の多い国道二号線とは違って、町や田園の風景を楽しむことが出来る。

今日のドライブは、目的地がこれといってあったわけではなく、ドライブそのものが目的となった。
何よりも、井上陽水の曲がそのドライブを楽しいものにしてくれた。
おそらく、家でラジオを聴いていても、そんなに楽しむことはできなかっただろう。
景色を眺めながら、好きな歌を口ずさむ。
「心もよう」「いっそセレナーデ」「少年時代」・・・
ひとり、ギター片手に歌った曲は数え切れないが、ステージで歌ったことはない。
私の人生には陽水の曲が、しっかりと刻まれていることを改めて思う。
家内とは陽水を聴いていた頃の話をしたり、ラジオから流れる陽水の娘さんの話に耳を傾けた。
確かに、ミュージシャン本人ののコンサートやライブなどに出かけて、聴けたらもっと素晴らしいかも知れない。
しかし、余裕のないは田舎夫婦にとっては、ドライブで聴く音楽が格別のコンサートなのである。
今日の台風一過の備中路、吉備路、備前路の風景が、そのコンサートに色を添えてくれた。
これといって目的のなかったドライブだが、本当のコンサートとは違うおしゃべりしながらの気楽なドライブコンサートだった。





2019年9月20日金曜日

Sleep on the water

午前中は農作業で、畑にエンジンポンプで水を入れた。
このところ晴れ続きで、またサトイモの葉も枯れ出したし、蒔いた大根の種もあまり芽を出していなかった。
いちおう大根の種には、ホースで水道水をかけていた。
ポンプのホースは畑の途中までしかいかないので、溝を途中まで掘っていた。
エンジンポンプの力は強くて、畑はほとんど冠水したが、隅で勝手に生えたキュウリには届かなかった。
そちらにはホースで水道水をかけてやったが、焼け石に水だった。

午後からは久しぶりにSupをしにいつもの鷏和の恋ヶ浜に出かけた。
少し風があったので、波も幾分高かった。
これまで、海に行かなかったのはあまりにも暑くて、行く気がしなかったからだ。
9月の下旬になって、やっと涼しくなってきたので、午前の農作業も楽になった。
暑い時は午前中の農作業でバテてしまっていたのだ。
以前買っておいた、簡単に開く簡易テントも早速使ってみた。
相変わらず、ボードに空気を入れるのは骨が折れた。
ウェットスーツを着込んで、ネットで安く買ったリーシュコードも足につけた。

座って漕ぐSUPはもう慣れたもので、全く不安は感じない。
少々の波でも、平気で沖に漕ぎ出すことが出来た。
ただ、膝立ちすると、波があるので少々不安定だった。
沖に出ると、腹ばいになって波に漂った。
波間に渡る風は爽やかに感じた。

今回はアクティブカメラも持ってきたので、首にかけたり、ボードにおいて撮影してみた。
家に帰って見てみると、安物を買ったので、逆さを補正することが出来てなくて、結局逆さのママの映像だった。
また、防水ケースの中に入れていたので、波の音や風の音は殆ど入っていなかった。
映像を残す気にもなれず、全部消去した。

立つ練習も試みたが、やはり上手くいかなかった。
膝立ちで、バランスをとりながら漕ぐ練習に切り替えた。
漕ぎ疲れると、沖で仰向けになって、青空をぼんやりと眺めていた。
私のSUPの目的は、波間に浮かんでゆっくり漂うことだ。
残念ながら恋ヶ浜は、工場も近くて空気も良くないし、景色もさほど良くない。
ただ、練習場所としては、近くまで軽トラを置いておけるし、砂浜なので裸足で済ませられるので都合が良い。
SUPも慣れてきたので、景色の良いところに行ってみようかなと思うようにもなっている。
海の上を堪能し、仕事を忘れ、気分転換にはなったのだが、いざ帰ろうとテントをたたもうとして上手くいかない。
日も暮れてきたので、きちっとたたまずに軽トラの荷台に置いて、道具を入れたケースや、大きめの石で押さえた。

帰りは渋滞を避けるために、以前住んでいた赤穂の大津の前を通って三石回りで帰ることにした。
大津に来ると、子供が赤ん坊だった頃のことを思い出す。
上郡の自宅と違って、大津の景色は記憶の時間が30年前で止められている。
運転しながら、昔を思い出して、昔歌っていた歌を歌い続けた。
ギターのない一人ライブである。
自宅に戻ってからも、夕陽の中を秋風に吹かれながらクロと散歩した。

ほとんど波の上を横たわるSUPではあったが、私とっては刻まれた記憶の波を渡る舟ともなった。






2019年9月15日日曜日

山散歩

このところ土日は近くの山に散歩に出かけている。
昨日は、高田台の総合公園から、上郡(中心地)へ抜ける山道に行った。
そこの途中には、以前火葬場があったので、地元の人は普段から滅多に通らない。
それでも道は舗装されていて、路肩も管理されている。
滅多に人や車が通らないのので、クロとの散歩にはもってこいなのである。
今回は帰り道に、クロが水浴びできる用水路がなかったので、帰って来るなり日陰に潜り込んで出てこない。
餌をやっても食べもしない。
家内は心配して、水を与えたりしたが、しばらくへたり込んでいた。
それでも昼過ぎには元気を取り戻していた。

日曜の今日は、小野豆の山に上がることにした。
こちらは時間がかかるが、途中でクロが水浴びできる場所が多くある。
ベストの空調服を着て、ネックマウントにアクティブカメラを下げて出かけた。
空調ベストにはフードが付いているので、今回はわざと竹笠は被らなかった。
うっかり手ぬぐいもバンダナも忘れたので、いくらサングラスをし、フードで日差しを遮っても汗がしたたってきた。
先週は、歩きながら撮影すると揺れがひどかったので、立ち止まって撮影した。
季節季節の風景を収めておきたいと思っている。

山道に入ると、道は日陰になり、フードも必要でなくなった。
この小野豆への山道は意外と、車が通るので、来るたびにクロの長いひもをたぐり寄せねばならない。
木々が生い茂っているので、村の様子はうまく撮影できないが、小野豆の集落は収めた。
ただ、小野豆の田畑は荒れ放題で、昔のような面影は失ってしまっている。
撮影が終わると直ぐに山道を下りていった。
登りは日差しがきつく感じたが、下りは少々の日差しは平気である。
遠くの山並みや、自然豊かな山の木々を眺めながら下りることが出来た。
そして、クロは途中のせせらぎで何度も水浴びをした。

おそらく空調服がなかったら、こんなに暑い時期に山に登ろうとは思わなかっただろう。
登りは確かに息が切れるが、意外と木陰になった山道は歩きやすい。
時間がかかるので、平日には無理だが、こうして休日には山散歩も悪くない。
日差しがきつくなっていたので、怖れていたヤブ蚊やブヨ、蜂などに遭遇することもなかった。
ただ、突然鹿の鳴き声がしたり、小石が落ちてきたりした。
全く安全というわけではないが、それはどこの道路も同じである。
空調服は私の世界を、大きく広げてくれた。

2019年9月3日火曜日

さようなら夏の日

去年はパートで働いていたので、夏休みらしきものはなかった。
今年は常勤で働いているので、夏期休暇もあった。
勤務も夏休み時間で、普段より二時間早く出勤し、その分早く帰った。
9月になって、元の勤務時間になり、二時間遅い時間に戻った。
今朝はその関係で、いつも起きていた朝の5時半には目が覚めなかった。
6時半に起床したので、散歩は以前のように食後にすることになった。

出かけるのは7時半、既に朝日はさんさんと照ってまぶしい。
竹笠を被り、いつもの北のコースを通ることにした。
このところ害獣予防で、電気柵が多く張ってあり、農道も場所によっては塞がれている。
なるべく人家は避けたいのだがやむなく通り、その人家で飼われている犬に吠えられたりした。
クロは陽が照っていると、用水路に飛び込み体を冷やしたり、水を飲む。
今日も何度も用水路に入った。
そして、久しぶりに岡山空港へ着陸する飛行機を目にすることが出来た。
いつもの8時25分に、大きな機体が上空に現れた。
ずっと早朝に歩いていたし、このところ天気が悪かったのでお目にかかっていなかった。
汗をかきながら歩いていても、飛行機を見ると得をした気分になれる。
昨日の5時半の散歩では、日中ではお目にかからない多くの人が歩いていた。
この時間は、農作業をしている人以外は、誰一人いない。
私の散歩は、飛行機に慰められる、健康管理のトレーニングに戻った。

この夏休みは、家内と一緒に色々とドライブしたし、出張で神戸に二度も出かけていった。
そして、何よりも研究に没頭できる時間も持てた。
大きな気分転換になった反面、元の仕事に戻るのが今までに無く苦痛に感じた。
ネットを調べると、更年期障害の症状に似ている。
男の場合は精神的な原因も大きいようだが、青年期とは違う夏休みの救いがあったのだろうと思う。
今の時期に、自殺する子供が多いと言うが、心が乱れるのは老齢の私も一緒である。
長い夏休みはある意味で罪作りなのかも知れないが、これを楽しみに普段耐えているところもある。
しかし、臨時勤めの私には、来年の夏に夏休みがあるかどうか分からない。
ひょっとして、ずっと夏休みのような状態になるかも知れない。

この季節に必ずかかる山下達郎の名曲「さよなら夏の日」は、大人になっていく少年の心を歌っている。
それが、年老いていく我が心にしみていく。
さよなら夏に日 ぼくらは年老いていくよ・・・
ただ、学童の仕事で忙しかった家内は、世の母親と同様に早く夏休みが終わって欲しいと言い続けていた。
こちらは嬉しい「さよなら夏の日」である・・・