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2019年11月30日土曜日

孫の手

昨晩、母の頼まれごとがあって、病院に見舞いに行った。
病室で母と話をしていると、孫二人(私にとって甥と姪)が母親と見舞いに来てくれた。
インフルエンザの予防注射をしたついでに寄ってくれたという。
久しぶりに会った二人は思ったより大きくなっていた。
この二人は赤穂で生まれ、赤穂で育ってきた。
そして、母は時折、孫の家に行って食事をしたりして楽しく過ごしたしていた。
私の子供も幼い頃は毎週のように、私の実家に行ってじいちゃん・ばあちゃんと会う機会はあった。
しかし、子ども達は学校中心の生活になって、盆正月や冠婚葬祭以外に会う機会は殆どなくなっていた。
それに比べて、近くに住んでいた弟夫婦の孫達は、普段から会う機会が続いていた。
だから、母にとって一番親しい孫と言えるのかも知れない。

因みに私の姪は高校生だが、妙な縁で姪の担任の先生をよく知っている。
というのも、担任の先生が大学生時代、私の勤めていた高校へ教育実習に来た時に、私が指導教官になったからだ。
私は初めての経験で、私の家にまで来てもらって指導したことも憶えている。
今は立派な先生になり、姪の担任をしてもらって、喜んでいる。
早いものでその姪も来年から短大に行くことが決まった。
家から通えるところなので、赤穂から離れることはない。
私の娘はどこの学校へ行っても、私の知り合いがいて、それが負担だったようだ。
地元を離れて行った大学には、初めて私の知り合いがいなくてほっとしたようだ。
逆に息子は、私の知り合いの先生に、よく声をかけてもらって喜んでいた。
そして、今でも地元の上郡で暮らしている。

ベッドの周りで色々話をして、そろそろ帰ると言うことになった。
姪は母の枕元に行って、母の手を握って、「おばあちゃん 元気になってね」と励ましてくれた。
「やはり、女の子は優しいね」と褒められるのを見た甥も、同じようにそばに行って母の手を握って励ましてくれた。
母は非常に喜んで、久しぶりに笑顔を見せてくれた。
一時は今後のことを悲観して、元気を失っていた母だが、孫達の手は大きな励ましとなったようだ。
私のような実の子どもでも、この歳になってはなかなか出来ないことを、若い孫達はためらいなくしてくれる。
母だけでなく、私も含めて老いたる者は、若い世代に支えられていることを感じざるを得なかった。










2019年11月29日金曜日

丸山海岸2019年秋

赤穂市の御崎から坂越に抜ける県道32号の海岸線には、福浦海岸、大塚海岸、丸山海岸がある。
アース製薬の前にも、広い浜辺があるが、そこですごした経験は殆どなかった。
私が子供の頃は、直接大塚海岸に抜ける自動車道がなくて、向山の山道を山越えするか、御崎の方から回っていくしかなかった。
歩いてなら大塚海岸が尾崎小学校から一番近かった。
小学校の遠足でも、大塚古墳を見るついでに、大塚海岸に行ったりしていた。
古墳の下にも小さな浜辺もあるが、海水浴を行うのは野外活動センターがある広い浜辺である。
特別支援学校に勤務していた時は、何度もこのセンターと海岸を利用させてもらっていた。

丸山海岸は、幼稚園や小学校のちょっとしたバス旅行や遠足でやってきていた。
切り立った岩場に上って、先生に注意されたりしたが、その岩場が丸山海岸の魅力になっている。
仕事の就いた独身の頃も、仲間と一緒に泳いだり、魚を捕ってバーベキューをした。
子供が出来た後も、親戚と一緒に海水浴に来た。
この海岸は、私の50年以上の想い出が残っているところである。
そこで、見ている景色は様々な記憶の景色が、背景に投影されたものでもある。

丸山海岸には広い駐車場があるし、公衆便所があるのでちょっと休憩をするのにも良い。
何よりも浜辺が広く、西側は崖にはなっていなくて、山際にキャンプ場がある。
私が行った日は平日だったが、大きなテントが3張も駐車場付近に、そして木々の中に1張あった。
たいてい、ここに来る時にはテントが張ってある。

以前から、亀の手を獲ったり、わかめを拾ったりしたのは東側であり、崖になっているところである。
その、岩場を過ぎると、また小さな浜辺になる。
そこでは、アサリも少しは採れたが、多くの人が採り尽くしたようだ。
その岩場にしゃがみ込んで、海の様子や景色を眺めた。
何度も言うように、私は船の上で育ったので、海を見ると心が和む。
一人で過ごしても、孤独を感じない。
それが、母なる生みたる所以かも知れない。






2019年11月25日月曜日

紅葉の吉備路2019

山が色づいてくると、家にじっとしていられなくなる。
せっかくの日曜なのだが、昨日のように晴れ渡ってはいない。
実は私は昨日の土曜は仕事で、午後からはずっと日の当たる場所にいた。
熱くもなく寒くもなく、ぽかぽかと陽だまりの中にたたずんでいた。
今日は昨日のような日差しはないけれど、風もなく暖かい。
私は津山にホルモンうどんを食べに行こうと家内に提案した。

私は県道90号、赤穂佐伯線を選んだ。
上郡から八塔寺に向かうこの道路は、道路も整備されていて、紅葉の景色も抜群である。
ただ、以前あったゴルフ場もパン屋さんも潰れてしまっている。
八塔寺は子供が小さい頃はよく行った場所だが、最近は行ったことが無い。
英田のサーキット場を過ぎた後、県道46号の山道に迷い込んでしまった。
対向車が来ると、路肩すれすれで交わさねばならず、しかも、今回は対向車も何台かやってきた。
カーナビを使わないことで、いつも同じようなミスを繰り返し、スリリングな山道走行になる。
今回は、紅葉が綺麗だったので、怪我の功名の部分もあった。
ようやく、国道179号に出て、姫新線沿いを走ることが出来てほっとした。
そして、コンビニを見つけてトイレ休憩をおこなった。
その向かい側にあった佛法寺の銀杏が綺麗だったので写真を撮った。

津山に入ってから、一度道を間違えて、引き返して何とか「道の駅 久米の里」に辿り着いた。
やはり、秋の行楽シーズンと言うことだけあって、多くの人で賑わっていた。
食堂も満杯だったので、先に買い物をした。
いつも、遅く来て売り切れていることの多かった煮こごりも残っていたので買った。
しばらくして食堂が空いてきたので、いつものホルモンうどん定食の食券を買って待った。
家内は天ぷらうどんなのですぐに番号を呼ばれたが、私は少し時間がかかった。
ここのホルモンうどんには、ジャンボピーマンがのっていて、これも美味しい。

食事を済ませて、帰り道は吉井川沿いを南下する無難なコースになった。
吉井川沿いの県道26号線は景色も良くて走りやすい。
途中で国道374号で再び北上して、今度は吉野川沿いに進んだ。
そして、道は国道179号に変わり、来る時に通った道に戻った。
この国道179号で上月まで行き、上郡まで戻ったのである。

紅葉の山の景色を見続けてきたのだが、意外にも上月から上郡にかけての山の方が美しく感じた。
岡山は林業が盛んなので針葉樹も多いが、上月や上郡は針葉樹が少ない。
だから、山が紅葉一色になるのである。
そして、我が家に戻ってあたりを見渡すと、今日見てきた景色よりも鮮やかであるように思えた。
いつも見慣れているから却って分からなかったのかも知れない。

夕食で味わった煮こごりもビールのつまみに最高だった。




2019年11月22日金曜日

朝の散歩2019紅葉

私の朝の散歩の時間帯は8時すぎから10時前である。
10月半ばまで、暑い日が続いている時には、滅多に他の散歩する人とは出会わなかった。
そして、11月初旬になると、この地域一帯では霧が立ちこめて、やはり散歩する人は殆どいない。
ところが、11月も半ばを過ぎて、霧も減って、朝日が山の紅葉を照らし始めると、散歩する人と出会うことが多くなった。
ただ、たまに寒い西風が強い日には、出会う人はやはり少なくなる。
散歩する人が多くなると、うちのクロが過剰反応するので、歩きづらくはなる。
しかし、誰もいない散歩道よりは賑やかで良いと思う。
若葉の季節と紅葉の季節は、散歩の時間が至福の時間となる。

この季節はどうしても日の出が遅くなるので、起きる時間もそれにつれて遅くなってしまう。
そして、どうしても散歩で家を出る時間が遅くなっていく。
私はたいてい8時25分に上空を通過する飛行機を見ようと思っている。
この頃、その時間までに出られないこともある。
ところが、良くしたもので、飛行機もこの頃は10分や15分遅れるのはざらで、酷い時には25分くらい遅れる。
上空の飛行機に向かって「遅いぞ」とつぶやきながら、見ることが出来て得をした気分になる。
そして、家に戻ってくる頃の9時5分に通過する飛行機も、最近は同じように遅れる。
秋の雲は空高いので、曇りの日でも飛行機が見られるのもこの季節ならではである。
コウノトリはまたどこかに行ってしまったけれど、飛行機は毎日やってきてくれる。
先日初フライトをした甥っ子も、いつかこの上空を飛んでくれるかも知れない。

2019年11月12日火曜日

コウノトリ飛来2019年11月

11月12日
今日、クロと朝に散歩をしていると、我が村の上空に三羽の大きな鳥が舞っているのが見えた。
よく見てみると、コウノトリだった。
10月半ばに見かけたことは聞いていたし、先日それらしき一羽が池にいるのを見かけてはいた。
こうしてしっかり目撃できたのは昨年以来だが、昨年はすぐにいなくなってしまった。
コウノトリがやってくると、追っかけも必ずやってくる。
田んぼの狭いあぜ道に、大きな四駆を停めて双眼鏡で観察している人がいた。
また、近隣の人も軽トラで望遠カメラを持って撮影している。
まさしく、人寄せコウノトリである。

散歩の時に楽しみにしているのは、岡山飛行場に着陸するために低空飛行をする飛行機を見ることだった。
このまま、コウノトリが居続けてくれたら、毎日の散歩の楽しみがもっと増える。
そして、コウノトリ見物の人も増えて、村に少しの賑わいができる。
ただ、ゆっくりと餌を食べさせてやりたいと思うので、望遠のないカメラで近づいて写真を撮ろうとする人は困りものである。
たいがいは高圧電線の鉄塔の上で休んでいるのを見かけるのだが、たまに田んぼの中や行けに降りてきて餌をついばんでいる。
夕方にクロと散歩に出かけた時も、降り立ったコウノトリを見かけたが、近づいたりはしなかった。

今年はどれだけ居てくれるか分からないが、こうやって戻ってきてくれるだけでも嬉しい。
秋になると村周辺では、鷹など大きな鳥は多くみかけるが、なんと言ってもコウノトリの雄大さには叶わない。
たまに白鳥も近くの千種川まで行けば見かけることもあるが、手軽に見ることは出来ない。
家のそばにまで寄ってくれるから、コウノトリは親しみを感じるのだと思う。
ただ、このところ狐が昼間から田んぼの中を走り回っていたので、心配ではある。
とにかく、コウノトリは深刻な病気で辛い思いをしている人さえも元気にさせてくれる存在である。
どうにか、コウノトリが居続けられるような環境が整えば良いと思う。
それには、餌となるドジョウや蛙、虫、ネズミなどが豊富でなくてはいけない。
近隣の村の農家が、農薬を減らしたり、コンクリートで溝を固めてしまわないようにしなくてはならないだろう。
それは結局、我々住民の健康や安らぎにも関わってくると思う。
今日農作業をしながら聞いていたNHKラジオのヒルラジで、あぜ道の散歩の安らぎを取り上げていた。
コウノトリの見られるあぜ道の散歩は、何よりもまして安らぎとなると思う。

11月15日
 昨日も、強風の中、村の上を二羽のコウノトリが舞っていた。
 今日は、朝から一羽が鉄塔の上にとまっており、村の人が望遠カメラで撮影をしている。
 もう一羽は、池のそばに舞い降りていた。
 昼前になっても、一羽は家の窓からもしっかり見える鉄塔の上でのんびり過ごしている。





2019年11月11日月曜日

琵琶湖畔2019秋

昨日(11/10)は出張で、滋賀県の大津に出かけた。
自宅を暗い内から出て、新幹線に乗り込んだ。
夜明けの明石大橋を見るのは初めての経験だった。
新幹線に乗るのは、家内と葉山まで葬式に出かけて以来であり、一人きりで乗るのは本当に久しぶりである。
新幹線に乗る時は、修学旅行などの仕事が殆どであった。
学生時代は名古屋や東京との往復に用いたりしたのだが、当然当時とまるっきり全ての雰囲気は違っている。

京都駅から在来線に乗り換えて、大津駅まで行き、そこから滋賀県立武道館まで歩くことにした。
バスはあるにはあるが、一時間に一本で、地図で検索したら徒歩29分と書いてあった。
大津付近はどんよりと曇っており、朝の寒い中を人通りのない街を歩いた。
そして、琵琶湖畔の遊歩道に辿り着いた。
そこには、しっかりと厚着をした釣りをする人が、もう釣り糸を垂れていた。
また、ジョギングをする人がどんどん通り過ぎていく。
駅前より、よほど湖畔の方が賑やかなのである。
極めつけは、ベンチでギターを弾いている熟年男性さえいる。
木々の葉が色づいた遊歩道は、この季節ならではの趣はある
ただ、目的地がまだどれくらいか分からなかったし、薄めのスーツには寒気が応えて旅情を味わうどころではなかった。

会場が分かったので、今度は帰りの最寄りのバス停か駅を探しに行った。
結局、最寄りのバス停には時刻表もなく、最寄りの駅はJR膳所駅だった。
ネットのGoogle Mapで、会場を検索した時は、膳所駅など出てこなかった。
膳所駅は大津駅からより歩いて半分程度の時間で済んだ。
ネットも過信してはいけないということがよく分かった。

午前の仕事が終わり、昼休みとなったが、時間は40分しかない。
結局スーパーで巻き寿司弁当と野菜ジュースを買い、湖畔の岩に座り込んで頬張った。
釣り人が悠長に糸を垂れている横で、開始の時間が迫っていたので無理矢理寿司をジュースで押し込んだ。
そして、午後からも殆ど立ちっぱなしの仕事となったので、帰りの膳所駅への坂道は脚や腰に応えた。
ただ、一日高校剣士達の奮闘を見ていたので、体とは裏腹に気分的には高揚していた。
行きの新幹線の中では孤独を感じていたが、帰りの新幹線の中では高校剣士達との繋がりを感じていた。







2019年11月5日火曜日

ドライブコンサートwith小田和正

朝(11/4)、新聞でNHK・FMで午後から「今日は一日小田和正三昧」あるということを知った。
そこで、午前中は農作業をしっかりとおこなって、午後からドライブに出かけることにした。
行き先は倉敷のアウトレット、目的はドライブそのものだが、ブリーフを買いに行くという言い訳も考えていた。
行きは家内に運転してもらって、国道二号線を西に向かった。
前日の曇り空とは違い、秋らしい澄んだ空が心地よい。
残念なことは、電波状態も悪いし、車の走る音でラジオの声が良く聞こえない。
小田和正本人が出演しているのだが、声はいつものように小さいのでなおさらだ。

家内の知り合いには熱烈な追っかけファンがいるので、その人も聴いているだろうと話す。
一生懸命働く目的は、小田和正の追っかけのためだというからすごい。
小田和正のファンの心酔ぶりは、テレビで見るコンサートでも良く伝わってくる。
ラジオに寄せられ来たファンからのリクエストに添えられたメッセージからも、それが良くわかる。
彼の歌には、励まされたり、生きる勇気をもらっている人が何と多いことか・・・
ストイックに取り組む音楽性に多くの人が共感していることがよく分かる。
私は小田和正のファンではあるが、それほど熱いものでは無い。
しかし、こうやって彼の曲を聴くシチュエーションのために、ドライブにわざわざ出かけるのだから、それなりのものである。

家内は家で聴けば良いのでは無いかと言うが、車窓から流れる風景を見ながら聴くのが格別なのである。
そして、何よりも知っている曲を口ずさむのは、車の中で家内が横にいる方が良い。
車の中の方が、車の音で誤魔化せるし、気楽に一緒に口ずさむことが出来るからである。
ただ、今回家内は小田和正の曲は殆ど口ずさまなかった。
私は「自己ベスト」シリーズの曲はよく知っていて口ずさめるが、他はあまり知らないので初めて聴くという曲もあった。
久しぶりに「緑の街」を聴き口ずさみながら、過去の自分と重ねあわせたりした。
彼の歌は青春時代から、60歳を過ぎた今も、暮らしの中で淀みなく流れ続けてくれている。


倉敷のアウトレットは休日と言うことでイベントも有りずいぶん混んでいた。
このところ畑仕事中心で、人の多いところに出かけていなかったので新鮮な気分である。
たまに賑やかさを味わうのも、こういうモールにやってくる目的でもある。

帰りは私が運転して、西日を背に受けながら赤穂に向かう。
この日は帰りに母を見舞いに行く予定にしていた。
帰りは状態の良い電波にラジオを合わせることが出来て明瞭に聞こえる。
西日を受けた前面の景色が浮き立って見える。
特に倉敷から備前に向かうバイパスはなだらかな山が遠くに見えて、見通しも抜群に良い。
そんな中で、小田和正の曲がまさしく風のように流れていった。

病院に母を見舞い、買い物を済まして家に帰ってからもラジオを聴き続けていた。
夕食後いつしか、そなままラジオを聴きながら眠ってしまったのだが、心地よい眠りであった。
農作業の多かったこの三連休を、最後の半日で心地よい想い出に換えてくれた。











2019年11月3日日曜日

でーしょん祭とタマネギ

この連休は赤穂の畑にタマネギとニンニクを植えようと思っていた。
赤穂の畑はこのところほとんど手を加えていなかったので、家内にも手伝ってもらうことにした。
タマネギを植える日は、赤穂のでーしょん祭と重なることが多いが、今日(11/3)もそうだった。
千種川の河原の祭のために指定された駐車場には、車やバスがいっぱい駐まっていた。
まず、農作業の前に、母親の病院に見舞いに行ったのだが、日曜にも関わらず駐車場がいっぱい。
結局、立体駐車場の一番上に置かねばならないほどであった。
どうやら、総合体育館の催しや、でーしょん祭に関係する人が駐めているらしい。

母を見舞った後、ホームセンターに肥料を買いに行くついでに、家内は隣のディスカウント・ショップで弁当を買いに行った。
戻ってくるのにかなり時間がかかったので理由を聞くと、でーしょん祭の関係者がを弁当を多量に買っていたという。
でーしょん祭の関係者はその着ている衣装で分かるのだが、店員が運んでくる弁当を一斉に買っていくそうだ。
とにかく、店は大賑わいであったようだ。

今回、私はうっかりと一輪車を積んでくるのを忘れた。
小型耕運機や草刈り機はちゃんと積んできたのだが、忘れてきてしまった。
そこで、軽トラの荷台から直接肥料を撒くために、畑に通すために邪魔になる枇杷やスダチの枝を伐らねばならなかった。
畑に乗り入れた軽トラから有機石灰、油かす、牛糞、鶏糞を家内と一緒に撒いていった。
結局、小型耕運機で耕すまでに手間取って、午後一時頃になってしまっていた。
そこで買ってきてもらっていた弁当を食べることにした。

海鮮丼290円には驚いた。
それでもけっこう刺身の品数があり、そこそこいけた。
コンビニで買うより、ディスカウントショップはずいぶんと安い。
他にも、安いサラダや野菜ジュース、クロワッサンも買ってくれていた。
何よりもありがたかったのは、第三のビール。
家内が運転してくれるので、美味しく頂ける。
同じ内容を家で食べたとしたら、わびしく感じられたかも知れない。
畑で食べると、ごちそうのように思える。
そして、十分おなかがいっぱいになった。

ご飯を食べて早々に、手作業で畝をたて、マルチを張っていった。
タマネギの苗を植えるのは家内の仕事である。
その間に私はニンニクを植える準備をしていた。
農作業をしている間、色々と周りの音が聞こえてくる。
海浜公園のテニスの試合の声、救急車や消防車のサイレンはいつものことだ。
今日はでーしょん祭のアナウンスの声まで聞こえてきた。
いつも静かな上郡に住んでいて、こういう賑やかさには元気がもらえる。
家内も手伝ってくれているので、いつもより疲れを感じなくて、色々と作業をこなすことが出来た。

午後3時頃になると、さすがにこちらも体力に限界が来たので、まだ途中であったが切り上げることにした。
家内は夜勤の仕事に出かける息子の弁当や夕食の準備がある。
私も家に戻ってから片付けやクロの散歩が待っている。
出かける時は農作業の後に見舞いにしようかと思っていた。
作業後、汗と泥にまみれてしまった状態になって、先に行っておいて良かったと思った。
家内にはしんどい思いをさせたが、私は手伝ってもらってありがたかった。
上郡の近所の人も夫婦で農作業を行っている人が多い。
一人で黙々とやるよりも、二人で農作業をやると作業もはかどるし、気分的にも楽である。

家内は持ってきたスマホで好きなラジオを聴きながら作業をしていた。
ちょうど、ニンニクの種をほぐしている時には、マーラーの曲がかかっていた。
畑でクラッシックを聴くのも悪くはないが、映画「プラトーン」で使われたの「弦楽のためのアダージョ」は切ない気分にさせられた。
この畑には幼い頃からの想い出がいっぱい詰まっているので、その記憶がフラッシュバックしたりする。
いつもの休日は夫婦でドライブや買い物で過ごすのだが、農作業を一緒にやるのも悪くないと私は思う。
家内にとっては負担が多くて申し訳ないように思うが・・・・








2019年11月2日土曜日

千種水汲み2019年秋

11月入って初めての土曜日で、まだ水は幾分残っているのだが、千種に水を汲みに行くことにした。
このところ私の母が入院していて忙しく、行ける時に行こうと思った。
午前中に母の見舞いに行き、赤穂の畑仕事をして、午後から家内と出かけた。
近隣の神社の祭りは終わったのだが、もみじ祭や白旗城祭りの幟が道沿いに立っている。
そういえば、赤穂に行く時には、赤穂マラソンの告知板が、病院近くにあった。
これからは良い季節で、あちらこちらでイベントが催されるのだ。

もみじ祭りと行っても、山の木々はまだそれほど色づいていない。
むしろ、千種に行く前の道ばたの畑には、ひまわりとコスモスが綺麗に咲いていた。
そして、南光町の自然観察村にはいっぱいテントが張られている。
そのままテントで眠るのか、コテージを利用するのか分からないが、夜は冷え込むことが予想される。
子供連れの家族が川沿いで遊んでいたが、寒がりの家内には縁の無い光景に感じたようだった。

水汲み場に到着して、外に出てみるとさすがに気温は低い。
家内は寒さに備えた服装をしていなかったので、水を汲みながら震えていた。
他には誰一人汲みに来る人は無く、キャンピングカーがそばのトイレを使いにやってきただけだった。
そのキャンピングカーは、かなり立派で高価に思えた。
私はキャンピングカーで日本国中を回ってみたいと常に思っている。
しかし、家内はそもそも普通のホテルでもよく眠れない。
宿泊を伴う旅行を家内はいつも無理だと決めつけている。
そのたびに私は、教育学部を出て教師を志したこともある家内に、「教師にならなくてよかったな」と皮肉をわざという。
小学校の教師であれば、自然学校などで、それなりに長く宿泊せねばならないからだ。
当然、中学校や高校は宿泊研修や修学旅行で長く宿泊することがある。
もし、家内が教師になっていたら、平気でどこでも眠れるようになっていたと、私は思っているのだが・・・

水を汲んできて、納戸にしまった後、食事をしてゆっくりしていた。
そのうち、家内が愚犬のクロがいないことに気がついた。
散歩をして鎖に繋いだ息子は、責任を感じて探しに行ったが見つからなかった。
私はしばらくしたら帰ってく来ることは分かっていたので、放っておいた。
案の定、数時間ほどして戻ってきた。
以前は、脱走すると一晩中遊びほうけることが多かった。
今回は首輪の金具がとれてしまって脱走したのだった。
元捨て犬だったクロは、そういうチャンスを逃さない。
ただ、もう野宿は出来ないようだ。
自分の小屋以外で眠れない飼い犬になってしまった。
クロともキャンプは無理かも知れない・・・