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2020年1月1日水曜日

庚子に期待を込めて

私の元旦は例年通り、愚犬との散歩から始まった。
神社への賽銭だけポケットに入れて、初陽を拝みながらまずは散歩する。
歩き始めてしばらくして、いきなりクロがダッシュして引っ張られて、痛めている腕がうずいた。
元旦早々、クロを怒らねばならなくなった。
そもそも、クロには元旦だからという意識はないのだから仕方ない。
考えてみれば、子どもの頃は元旦から親に叱られたこともある。
それとあまり変わりは無いのかも知れない。

いつもの観音さんと、荒神さんのお参りを済ませて、自宅で朝の祝いを簡単に済ませた。
今年も例年通り、息子は勤務、娘は旅行で、二人だけの年越し、そして元旦となった。
そして、宮総代として10時までに八幡神社に行かねばならなかったので、そうゆっくりは出来ない。
早々に身支度を調えて、自治会長さんのと落ち合わねばならなかった。
この日ばかりは、上着とネクタイの正装をしなくてはならない。
寒い境内に備えて、しっかり防寒対策をして出かけた。

祭礼を待っている間に、同年代で別の村の宮総代の人と話をした。
その人は、元金融関係に勤めていた人で、私より二つ上で、退職して年金暮らしをしている。
東京で単身赴任していたということもあって、色々と共通の話ができていた。
その人は、今は農作業の悠々自適の生活をしておられる。
聞いてみれば、JAの農産物の直売所に里芋を出荷している言う。
儲けにはならないけど、ネットから売り上げ情報が入ってくるのが、わくわくして楽しいそうだ。
暮らしを維持するための出荷ではなくて、自分の作った農産物を買ってもらえると言うことが喜びになっているようだ。
私が思い描いていた暮らしを実現していることを知って、非常にありがたかった。
宮総代は面倒な役割だと思い続けていたが、こういう情報をもらえる良い場でもあるときがついた。
70歳以上の年配が大半を占めて、地元出身ではない自分は会話にはなかなかついて行けなかった。
自分と共通話題での会話が出来る数少ない宮総代がいてくれるだけありがたい。

また、自分が地元の高校で教鞭を執っていた時の教え子に声をかけられた。
私は当然憶えていなかったが、しっかり名前を覚えてくれていて嬉しかった。
今は失業中で、再就職のための訓練を行っているという。
年齢も39歳で氷河期と言われた世代でもある。
こうやって地元の神社の祭礼に一般参加して、広く関わりを持とうというのは良いことだと思った。
どうしても、神社の行事は年寄りと子どもの行事になってしまうが、若い世代や働き盛りの人にも加わってもらいたい。
今の若い宮司は、今年から小学生に秋祭り浦安の舞の参加、正月に絵馬の奉納など、新しい取り組みも行ってくれている。
地域が寂れていく中、もっともっと地元のことを考える人が増えていってくれればと願わずにはいられない。
 
今、地球が温暖化で環境崩壊が叫ばれ、日本は地震や猛烈台風など災害の危機が懸念されている。
「庚子」が表す意味は、新たな芽吹きと繁栄の始まりだそうである。
この危機的な状態を変えて行くには、新しい考え方生き方が必要だと思う。
私は今年こそ、執筆でもそれを訴え、生活でも実践していきたいと思っている。



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