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2020年1月5日日曜日

二作目への挑戦

先日、ふとAmazonで自分の著書が37,000円とか52,000円で売り出されているのを見て驚いた。
しばらくして、「この本は現在、取り扱いできません」という表示に変わったが、定価3,000円が10倍以上に取引されるとはどういうことかと思った。
今は、「日本の古本屋」で検索すると、3,580円の値段をつけている本屋があった。
普通の本は古本で買うと値段が安いのだが、定価以上の値段が付くということはどういうことなのかも考えた。
要するにそれなりにニーズはあるのだが、出版社は再版しないだろうと言うことで、プレミアムが付いたということかなと思う。
私は現在二作目を執筆中だが、なかなか思うように進んでいない。
次の本は一作目の内容がよく分かるように論を進めているので、二作目によって評価が上がることを期待している。
だから、二作目によって、一作目の再版も可能ではないかとも思っているのである。
だから、再版が不可能と評価されるのは、執筆への発憤材料にもなった。

私は調査研究をしていた学生時代の日記や手紙を繙くのを避けていた。
夢が叶わなかったことの原因を、生活のあり方に帰したので、まともに向き合うことが辛かった。
しかし、歳のせいにして、気弱になっていく自分が、当時どういう思いで、また、どういう支えがあって研究を続けていたのかを振り返ろうと思った。
それらを繙いていくと、自分が当時のことを決めつけていたり、誤解していたことが多かったことに気がついた。
そして、研究と当時の暮らしや人との関わりは一体のものであったと改めて気がついた。
これは、今も同じことで、私が研究を続けられているのは、ありがたいことに家内が理解して支えてくれているからだ。
今は、どうしても仕事の上でのストレスもあって、執筆活動が疎かになりがちだが、当時のように追い詰められているわけではない。
だから、却っていい加減にもなっているし、モチベーションを失いがちである。
その自戒の意味を込めて、当時のことをしっかりと自分で受け止めようと思えるようになった。
それができるまで、35年という年月はあまりにも長すぎるが、それが歳を重ねることの意味なのだろう。

そして、何よりも自分が夢かなわなかった本当の理由が分かったように思う。
それは、自分がその当時に出来ることの見極めが出来ていなかったということだ。
今もそうだが、ある期間に仕上げねばならないことは、その期間で出来ることを見極めることが一番重要だ。
当時、妙な意地があったり、欲を出し手を広げすぎて、まともな修士論文に仕上がらなかった。
それは、早期退職して、半年で出版できなかったことと重なる。
今は、期間を延長することができる、本当は当時もできたのだが、当時の自分は自分を見失っていた。
そしてその結果、その時に夢と掛け替えのない絆を失ってしまった。
今改めて、その経験から次の作品に気を引き締めて臨もうと思う。
それは当時、私を支えてくれていた方への少しでも感謝の気持ちを表したいからである。
そして何よりも、今も自分を支えてくれている家内の苦労に、恥じないようにと思うからである。





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