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2020年3月23日月曜日

壊れかけの家

この週末は父の13回忌で赤穂の親元の家を片付けて、法事を行った。
コロナウィリスの感染が無ければ、読経してもらった後は、近くのホテルでみんなで宿泊する予定だった。
しかし、この騒ぎでホテルに宿泊することは取りやめになった。
母が感染してはいけないというので、名古屋や東京近辺に住む弟たちは参加するのを迷った。
しかし、今施設に入所してリハビリをしている母が、感染を警戒して外泊どころか面会もできなくなった。
それで、却って参加するのをためらっていた弟やその家族も参加できることになった。
ただ、家で仕出しをとったり、買い出しをして、こじんまりとやることになった。
だから、その準備や片付けが却って大変になってしまった。

私の実家はもう既に築45年以上となり、特に居間の床などが壊れかけている。
色々と修理する必要が出ているのだが、母が一人で暮らすだけだし、その後に誰も住む予定が無い。
無理して全面的に修理する必要が無いと言うことで、何とか母が暮らせるだけにしてあった。
このところ、母も調子が悪くて、集まって食事などをする機会が無かった。
法事も、これまで殆ど食事は宿泊施設を使っていた。
だから、この家で飲食をするのは何年かぶりということだった。
以前は兄弟の家族が集まって、賑やかに盆や正月を過ごした。
今回は、その場にいた父も母もいない。
ただ、私には甥、両親には孫が結婚して、その嫁が加わってくれた。
残念ながら神奈川県の葉山に住む弟夫婦だけは参加できなかった。

寺の住職さんは、その息子さんを高校で教えた関係から親しくて、色々と話が弾んだ。
赤穂の情報は色々と住職さんから聞くことができた。
また、この法事は去年結婚した甥夫婦のお披露目のようにもなった。
甥はパイロットをしているので、その話を聞かせてもらった。
やはり、上郡の上空も飛んでいるというので、これから空を眺めるのが楽しみになった。
また、みんなには美味しい赤穂の坂越の牡蠣も食べてもらった。

これから家をどうするかなど、弟と話をした。
母が亡くなった後、リフォームしてまで、住もうという親族は誰もいない。
いずれ解体して処分せねばならないだろう。
ただ、家を掃除したり片付けたりしている時に、ふとこの家であったことを思い出した。
この家を舞台にして、色々な物語が繰り広げられた。
親兄弟だけではなく、隣の祖母家族との関わりも多かった。
私は友達を招いて泊まらせて、賑やかにやったこともある。
付き合っていた彼女や恋人との想い出もある。
そして、家内との思い出も残っている家である。
多くの想い出が刻まれた家は、その記憶を甦らせてくれる場所でもある。
できることなら残しておきたい。
しかし、これから先、年金暮らしをするのに、固定資産税など余分な経費をかけられない。
想い出だけのために家は維持できないのだと思う。
せめて、母が元気な内だけは、何とか守っていきたいと思ってはいるのだが・・・




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