私は大学院時代に親からの支援が一切無くて、アルバイトに打ち込まざるを得なかった。
家庭教師のアルバイトをするまでは、郵便局で短期働いたり、警備会社で高校の宿直や交通整理をしたりした。
宿直の仕事は身体的にも精神的にも負担が重くて、長く続けられなかった。
家庭教師は家庭教師センターに登録して紹介してもらい、裕福な家を常時数軒掛け持っていたので、比較的収入を上げることができた。
しかし、当然ながらアルバイト中心の生活となり、何のために大学院に進学したのか分からない状態だった。
その後、私を支援してくれる人のお陰で、研究に打ち込めたが、結果としては研究も生活も破綻してしまった。
破綻しても未練から、しばらく設計事務所で常勤のアルバイトをしたり、塾のアルバイトをしていたが、生活にも精神的にも行き詰まってしまった。
失意の内に赤穂に戻ってからは、教員になるしか道が開けそうに無かったので、試験までは親の厄介者になった。
試験が終わってからは中学校の短期間の常勤臨時講師と赤穂市の発掘調査のアルバイトをしてすごし、採用前は高校の産休裏の常勤臨時講師をしていた。
大学時代の短期アルバイトを含めて、10年くらいは非正規の仕事をしていたことになる。
その間、年金も横浜市に支払ったはずなのに、その記録は消えてしまっていた。
採用された教師は57歳で早期退職したので、64歳の今日まで7年間は無職や非正規雇用で過ごしてきた。
それができたのは家内の理解と支えがあったらなのだが、若いときの非正規の仕事以上に悲哀を味わわざるを得なかった。
それは、正規の仕事を30年間してきたから余計に感じたのかもしれない。
やはり、仕方ないとは言え、若い人からぞんざいに扱われるのが一番辛かった。
また、仕事を引き受けてから、最初の話と大きく違うこともあり、管理職と実務者の意向の違いが甚だしく、正規以上の過酷さを強いられることもある。
そもそも、授業の時給換算であるので、その準備や定期考査の採点、評価、課題の点検に費やす時間は無給となる(学校によって有給もあるが時間としては割に合わない)。
いくら授業自体の時給が高くても、それに付随する労力を換算すると決して高くは無い。
しかも、一クラスしか無い授業の場合は、時間換算で行くと兵庫県の最低時給を下回るはずである。
そして、通勤時間の負担は、常勤よりも重くなる。
また、夏休み等の長期休みには無給になるので、プールの監視員のような短期のアルバイトを入れて体を壊した若い教師もいた。
だから、正規の教師になる目的を持っている、教師そのものにやり甲斐を感じている、家にいてもやることが無い等、という人しか続けられないと思う。
非常勤講師には過重な新課程に移行している現在、私には家にいてもやることがないからと、引き受けられるような生やさしいものには思えない。
私は今年度、その新課程の過重さを知らなかったものだから、勤務内容も交渉せずに安請け負いしてしまった自分を恥じている。
選択科目が多い高校では非常勤講師は欠かせないだろうに、もう私のような脳天気の退職教師(管理職は見透かしていたようだ)はそんなに多くはいないと思う。
ただ、正規の仕事の時のように、辞めることはいつでも自由だと思い、追い詰められて自律神経を患うことは無い。
以前のように出勤前の吐き気も最近はあまりない。
先日もぞんざいに扱われたのがきっかけで、正規の時に言ったことも無かった「来年度は絶対辞めます」と管理職に公然と言った(後日、実際に継続を断った)。
それは、自分たちが正規の時は、非常勤の人にはそれなりに気を使っていたことを引き合いに出してのことだった。
また別の所では、冗談を粧いながら、管理職に騙されて今年は勤めているが、来年はここで仕事はしないと公言している(こちらも後日、継続を断った)。
非正規は不安定ではあるけれど、辞める選択肢があって、精神的に自分を追い詰めてしまわなくても済む。
来年度からは年金が満額出るので、家内に迷惑を掛けなくて済むと強気でいられるのも確かだ。
やはり、私にとって非常勤講師で働いた動機は、家内への配慮だった。
そして何より、自分を今精神的に救ってくれているのは、若いときからの研究なのである。
希望に満ちた生活を破綻させた研究なのだが、今は心のより所になっている。
それも、家内の理解があってのことで、ありがたく思っている。
たぶん家内も私から研究をとったら、気儘なぐうたら人間でしかないと思ったからなのかもしれない。
皮肉なもので、正規の教師としての仕事の経験は心の支えにはならず、非正規の時にしていた研究の方が心の支えとなっているのだ。
プロの研究者は正規の仕事も心の支えにもなっているのかもしれないが、プロはプロなりに追い込まれてもいるのだろうとも想像はする。
私の研究はプロで無いばかりか、金を多額つぎ込んでそこからの収入もなく、全く道楽でありながら気楽でいるのは少々恥ずかしい。
身を削ることが美徳であるなら、自分は全くそれに欠けているのかもしれない。
研究につぎ込む金は、近所の人がパチンコに金をつぎ込むよりはましぐらいにしか思っていない。
今、ちょうど研究しているのはデヴィッド・グレーバー2016(2011)『負債論―貨幣と暴力の5000年』に関連したものだ。
この高名な人類学者は59歳で波乱な人生を閉じている。
アナーキストでありながら、結局商業経済の中で命を縮めたように思える。
私は恩師である故村武精一先生のお言葉「長生きしてこそ研究は生きる」を信じている。
因みにこのお言葉は、現役で癌で亡くなった知人である人類学者を悼んでおっしゃったものだ。
また、同じく恩師の石川栄吉先生も80歳で亡くなられるまで、ずっと研究を続けておられた。
私は多くの人に「恩」という人間経済の「負債」を背負っているのだが、佐久間寛氏の「返済論」ではないけれど、商業経済とは無縁の研究を通して少しずつ「返済」していこうと思っている。