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2023年10月22日日曜日

故郷は遠くにありても集うもの

 現在、私を含めて兄弟は誰も赤穂には住んでいない。

住所が赤穂市の弟も単身赴任中だ。

その弟が久しぶりに帰ってきて、自分たちの育った尾崎の風景を撮ってLINEにあげてきた。

京都に住む弟も先日用事で帰ってきて、懐かしかったらしくその投稿に共感していた。

私はちょっと前に、赤穂高校の近くにある畑がセイタカアワダチソウに被われていたので、それを必死で刈り取ったばかりだった。

故郷を感傷的に思うより、何とか荒れ果てる家や畑を復旧させねばならない立場だ。

私は農業と環境に拘ったので、赤穂よりも上郡を選んだ。

ただ最近は上郡の空中農薬散布に非常に危機感を感じている。

皮肉にも田畑の荒れた赤穂の方が却って環境に優しい農業ができるのだ。

だから、これからは赤穂の畑にも力を入れていこうと思っている。

先日来、生徒に赤穂八幡神社の秋祭りの紹介とその役割を説明している。

祭の盛んな地域の生徒が多いので、熱心に聞いてくれている。

そこではデヴィッド・グレーバーの「人間経済と商業経済」の対比からの視点で、祭の意味を説明している。

私は祭では人間経済が今でも生き続けていると思っている。

そして、商業経済とは一線画した職業が教師や看護師、介護士などだろうとも思っている。

商業経済にとっては、魅力の乏しいこういう田舎でも、人間経済にとっては価値ある所だと思う。

それに気付いてくれる人が必ず、集まってくれると私は信じている。

弟たちはこういう私を変わり者としか思わないかもしれないけど・・・・

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