「子供は3歳までに一生分の親孝行をする」という言葉を久しぶりに聞いた。
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2023年11月28日火曜日
子育てと恋愛
2023年11月23日木曜日
髭と髪とデニムジャケット
髭を蓄えるようになって4ヶ月以上経つ。
はじめは無精髭だった。
目的は農作業の時に顔を蚊に刺されるので、少しでも防ごうと思った。
ちょうど夏休みということもあったので、非常勤講師の仕事もなく都合がよかった。
新学期には剃っていくつもりだったが、母の49日の際にそのまま臨んだら、似合っていると弟嫁から褒められた。
そうなると、髭を嫌がっていた家内にも言い訳がたった。
そして、ネットで手入れ方法を調べて、それなりの道具もそろえた。
自分に髭があると、他の人の髭も気になる。
単に無精で伸ばしていると思っていたが、結構手入れしていることがわかった。
髪の毛と同じで、ちゃんと整えないとみっともなく見える。
最近は諦められたのか、家内も髭に関しては何も言わなくなった。
私自身、髭がある方が男として自然に思えてきたので、剃るつもりはなくなった。
一方、髭はちゃんと生えるのに、髪の毛が薄くなってしまっている。
ネットの情報につい乗って、発毛剤を定期的に購入してしまった。
ちゃんとした確証はないのだが、効果があるように思える。
何よりも、長く伸ばしてもまとまりができて、薄さをごまかせるようになった。
そういうことで、私は半年以上散髪をしていない。
髭もあって、髪も長いとなると、それなりにお洒落をしなくてはいけない。
夏場のように、綿パンに半袖の襟付きTシャツでは済まされない。
そこで、お気に入りのデニムジャケットを身につけて、中に着るポロシャツもピンクを着たりした。
すると、女生徒から「今までで一番コーデがいい」と褒められてしまった。
山間部の高校の生徒は人なつっこく、物怖じせず教師の着こなしを評価してくる。
私は初めて生徒からお洒落だと言われた。
そこで、都市部の高校でもどうかと同じ服装で出勤した。
都市部の生徒は挨拶はしっかりとしてくれるが、私にはあまり関わってこなくて、全く反応はなかった。
ところが、職場の知人の女性教師から、山間部の生徒と同じように褒められてしまった。
その方は着こなしに気を遣っていて素敵な方だ。
本当はその方のコーデも評価すべきだったのだが、「若く見せるために」と照れ隠しでただ答えるだけだった。
若いときはお洒落をしなくても、それほどみっともないとは思わないのだが、年をとるとそれなりのお洒落が必要だと気がついた。
まるで、高校時代に戻ったかのように、身なりに気を使い始めた。
以前は晩年の南方熊楠の放埒な容姿を理想としたが、今はジーンズとTシャツの似合う白洲次郎が目標である。
白洲次郎のようにこざっぱりとはできないので、私はあたかも学者のような趣を出したいと思っている。
そういえば、大学院の恩師も長髪だったり、髭があった方もいらっした。
思春期は女性にもてるためにお洒落をしたが、今は貧相に見られないようにお洒落をしなくてはいけないと思うようになっている。
実のならない雄花ならば、せめて花びらを散らすまでは、しっかりと萎れず咲いておくのがお洒落だと自分に言い聞かせている。
まさしく「美しさは生きる力」かもしれない・・・
2023年11月17日金曜日
蕎麦の収穫と麦播種
蕎麦は以前にも作ったことがあるが、まともに収穫したことはなかった。
今回もまた失敗して家内に笑われそうに思いながら挑戦した。
それも、もち麦と高黍(こうりゃん)の収穫に自信をつけていたからだ。
前回は実をつけながら、丁寧に刈り取らなかったので失敗した。
今回は、高黍の穂刈りの経験から、最初は実をしごき採ったが、途中で面倒になってしまった。
そこで、下から全部手で刈り取って、シートをかぶせて置いておいた。
そして、時間のできた今日(11/16)、その半分を手で脱穀した。
まず、実を葉が少しついたまま、しごいて採って、粗めの篩(土木用のとおし)で実をほぐして落とす。
今度は目の細かい篩にかけて、葉っぱのかけらなどのゴミを落とした。
試しに以前しごきとって乾燥していた実を籾すりすることにした。
そば殻をなんとか外そうと、麦と同じように精米機にかけたが、全く歯が立たなかった。
そこで、小型のミルミキサーにかけると、殻が外れて粗い粉となって現れた。
本当は蕎麦粒にできると思っていたのだが、粉になってしまった。
そこで、ざるを篩にして荒いそば粉をボールにとった。
次に、仕方ないので30年ほど前に親から譲り受けていた家庭用の電動製粉機を用いて細かくした。
この製粉機は古くて調節レバーがうまく動かなくて、なかなかきれいに粉にしてくれなかった。
製粉機がない場合は、思ったより蕎麦は柔らかいので、擂り粉木などでも粉になりそうだ。
今回はだいたい500ccほどの蕎麦の実で、100ccほどの粉をとった感じだった。
蕎麦は20㎡ほど作ったので、この作業はしばらく続けねばならない。
製粉に関しては手間を考えると全く割には合わないが、栽培に関しては手間いらずで時期も都合がいい。
生存維持的自給生活を目指している自分にとって、必要な作物として位置づけようと思っている。
このところ、やっともち麦の種まきも終わり、最初にまいた種は芽が出てくれている。
今回は、エン麦の種も買って播いてみた。
これまで冬場は、タマネギ、ニンニクとジャガイモ程度だったが、これからは麦も加わって期待が増えた。
何よりも毎日の主食となるものだけに、その価値は重要だ。
心配した大根と蕪は今のところなんとか生長してくれている。
このところ、間引いた大根と蕪の漬け物を毎日食べている。
蕎麦の後日談(11/17)
昨日粉にした蕎麦をそばがき?にして食べた。
ネットでは熱湯をかける方法、鍋にかける方法、電子レンジで熱する方法の三種類があったが、一番簡単そうな電子レンジにした。
分量も適当で、玉ができないように水で練った上で、600wで3分かけた。
どうも時間をかけすぎたみたいで、少し固いパンの塊のようになってしまった。
それでも、意外といける物で、生臭い匂いが気になったが、何もつけなくても飽きの来ない味である。
家内が間引いた大根をふりかけにしてくれていたので、それと一緒に食べると普通においしい。
冷えると匂いも消えて、小麦パンよりもいけると自画自賛。
だけど、家内も息子も見た目が黒くて悪いのか食べてくれなかった。
製粉機の分解補修(11/18)
今回使用した製粉機は30年以上も前の物で殆ど使わず放置していたのだけど、なんとか動いて細かく挽いてもくれているが調子が悪い。
ネットで電動製粉機や石臼なども調べたけれど、高額なのでまだ買う踏ん切りがつかなかった。
とにかく、古い製粉機を分解して調整してみようと中を開けた。
この製粉機はちゃんと分解掃除できるようになっている。
なのに一度も分解掃除をした記憶がないのである。
製粉部分の構造は至ってシンプルだったので、潤滑スプレーをかけて動きにくい調節レバーを動きやすくした。
これでまだまだ使えるかもしれない。
2023年11月10日金曜日
やりがい搾取と教師
このところ教員の中から、教師としてのやりがいを訴えて、教師になることを若い世代に訴える新聞投稿等を見かける。
実際、生徒とのふれあいやその生長、教壇に立って生徒から真剣に話を聞いてもらえることにやりがいを感じることは確かである。
先日、非常勤講師をしている高校のとある先生から、夜の10:30頃にLineで教務事項に関する問い合わせがあった。
翌日、家から送ったのかと聞くと、学校からだと言う。しかも、そういう時間は日常茶飯事だと聞いた。
その人は責任あるポジションであり、仕事熱心なことは見てからわかる。
かつて、現役で亡くなっていった教師のことも話したが、今の彼には仕事をこなすことが先決で、減らすことなどできないことは十分理解できる。
私が訴えたかったのは、現役で亡くなった教師は、自ら進んで仕事をしていた人が多かったということだ。
大きな仕事をこなすことにやりがいを感じているのは、側にいてよくわかった。
亡くなった人の中には文科省から表彰された人もいた。
夜中まで働く教師や管理職がそういうやりがいのある仕事をして、活躍してくれるお陰で成り立っていることも事実だ。
かく言う私も授業準備や校務、クラブ活動で同じように時間外勤務をして、やりがいを感じていたことも確かである。
その結果が医者から「あんた死ぬで」と言われたHgA1cが12.0になった糖尿病である。
今働いている職場にも、年金で十分暮らせて、余分に稼ぐ給料は税金や保険料で消えてしまうと言っている人がいる。
その人も糖尿病だが、膵臓がんの発症を怖れつつ、仕事にはやりがいを感じているようだ。
そもそも、教師の多くは自分がやりがい搾取を受けているとは思っていないと思う。
むしろ、そのやりがいを失ったら生活が成り立たない仕事人間でさえある場合が多いように思える。
退職教師の場合、仕事を生きがいとして健康や精神的安定が保てる人もいるので、一概に悪いとは言えないが、そのことが教師全体の待遇改善の足を引っ張っている可能性もある。
その一方、家庭の事情や個人的な考えから、時間外勤務を殆どしない人もいることも確かだ。
本当はそちらの方が普通であるべきなのに、白い目で見られることもある。
やりがい搾取の実態に目を伏せて、若い世代にやりがいだけを説くのは甘言を用いた勧誘のように思える。
若い世代が教師を志望しなくなれば、しばらくは従来のやりがい搾取に無頓着な教師で学校を維持せねばならないのだろう。
それはやりがい搾取を受けていない現役の正教員には都合がいいことかもしれないが・・・
このところ、完全退職教師に対して、現場復帰への勧誘がなされたりもしているが、私は来年度は非常勤講師に対するやりがい搾取を放置するのならば続けるつもりはない。
2023年11月5日日曜日
阪神日本一からもらった希望
1985年は私の運命を変えた年だった。
その年から38年後、再び阪神が日本一になるのをテレビで観た。
野球観戦をテレビでじっくり観るのは何年ぶりだろうか。
若い頃は野球を見るのが好きで、大学時代には彼女と阪神ー中日戦をナゴヤ球場に見に行ったこともあった。
実は38年前は修士論文の執筆中で、阪神を応援する余裕がなかった。
それでも、阪神の優勝に触れて、それが自分にもいい結果へと結びついてくれるものと信じた。
しかし、結果はその逆となってしまった。
この年になって、阪神の優勝がそん時のつらい記憶を蘇らせるとは皮肉なものである。
ただ、38年前選手として活躍していた岡田選手が今年監督として阪神を日本一にしたことは、自分には大きな希望だ。
私にも別な形で研究を実らせる励みとなる。
岡田監督は66歳なので、私も66歳までにはまだ時間がある。
一方、オリックスは播磨養護(特別支援)学校に勤務していたときに、校内のマラソン大会などに来てくれたチームだ。
当時活躍していた、イチロー選手も間近に見ることができたし、田口選手ともお話ができた。
小学生から応援していたのは阪神だが、18年前からはオリックスのファンでもあった。
オリックスの山本由伸選手は隣の備前市の伊部出身ということで応援していた。
この両チームが日本一を競うことは嬉しいことだったが、どちらかというと今回は連覇のオリックスより38年ぶりの阪神の優勝を願った。
それにしても、阪神は自分のように夢を果たせなかった者に親しみと希望を持たせてくれるチームだ。
財界と官界で推進している大阪万博が胡散臭いのに対して、一般庶民が希望と勇気を与える阪神優勝の方がよほど価値がある。
それは幼い頃からソフトボールなどを自分で楽しんだり、野球に励む選手を身近に見ていたからだろう。
今度の大阪万博は奇妙なキャラクター「ミャクミャク」が象徴するように、何か得体の知れない感じがする。
万博は採算にあうかどうかよりも、一般庶民に何をもって希望と勇気を与えられるかが重要に思える。
阪神日本一以前に開催された大阪万博を再びやる以上、阪神優勝以上に心弾ませるものを期待したい。
はたして万博開催の開催責任者に岡田監督はいるのだろうか・・・・
生存維持からの視点
デヴィッド・グレーバー2016(2011)『負債論―貨幣と暴力の5000年』の研究の流れから現在はジェームス・C・スコット著(政治学者、人類学者)『モーラル・エコノミー ―東南アジアの農民叛乱と生存維持』を読んでいる。
この作品は書かれたのが1976年で、翻訳本が出たのは1999年だった。
もし、1976年にオリジナルを読んで理解できていたら、自分の研究は大きく違っていたろうと思う。
この著者をネットで調べたら藤原帰一氏の留学時代の指導教員と言うから、なるほど、鋭さと反骨さは合点がいった。
そして、羊を育てていることには親しみを感じた。
奄美の人々のみならず、貧しかった時代の人々を生存維持の視点から考えるべきだったと後悔している。
それは自分の祖父母や父母の生き方の理解に通じることでもある。
戦争も終わり、高度成長の中で豊かさを手に入れながら、自由を謳歌できた自分たちの世代は、生存維持よりも、自己実現という名の下、競争に明け暮れた。
生きていけることだけで価値があるのに、競争に疲れて自ら死を選んだ人も知っている。
そういう自分も死にたいと思ったことは数知れずあるのだから、別の意味で生存維持の脅かされている時代に生きたともいえるかもしれない。
飢餓と戦っていた人々は、生存を脅かす権力と戦う底力があった。
権力を手に入れようと戦う自分たちは、生存を脅かす権力にひれ伏してしまう。
そして、その権威を身につけた人に人生相談までしてしまう。
社会保障のなかった時代に、生存維持のために家庭を築き、子育てをしていた人々の存在を忘れたかのような発言をされて納得してしまう。
そして、世襲で権力を手に入れた政治家にはその生存維持の理解ができないようだ。
ジェームス・C・スコット氏は税によって生存維持を脅かされた農民の叛乱を理路整然と説明してくれている。
今の日本では飢餓は身近ではないだろうが、孤独や絶望とは隣り合わせである。
お一人様でも生きていける権威ある人には乗り越えられても、権威のないものにとっては乗り越えることの困難な試練である。
我々は叛乱どころか、孤独死や絶望死を覚悟せねばならないのだろうか・・・・
2023年11月4日土曜日
熊目撃情報と柿
昨日(11/3)の回覧板で、上郡町の與井新でクマが目撃された通知があった。
近所では柿の実がいっぱい鈴なりになっている。
先日も近所の方から土嚢袋いっぱいの柿を例年通りもらった。
去年はお返しにはサツマイモをあげたが、今年は不作なので枝豆を差し上げたが、土嚢袋は底がちょっと膨らんだ程度だった。
近所でさっそく夕方には柿をとる姿が見受けられた。
急いでいるのか、太い枝ごと採ってしまっていた。
気がつけば隣の家の柿の実も殆ど採り尽くしている。
その人に話を聞けば、上郡や有年は結構出没するらしい。
私は毎朝早くクロと散歩するので、気をつけねばならない。
曲がりなりにもクロはハウンドで、イノシシ狩りにも使われる犬種だが、からっきし意気地がない。
以前も我が家の庭に出没したアナグマと格闘して、鼻をひっかかれてうずくまってしまったことがある。
ましてやその何倍もあるクマと格闘すらできないだろう。
とにかく、用心のために散歩には釣り竿ケースにゴルフクラブを入れて持ち歩くことにした。
今朝はうっかり何も持たずに薄暗い霧の中を散歩したが、長い棒を持って散歩しているご老人にも会った。
おそらく杖を兼ねた護身用だろう。
先日も職場から帰りに国道端で猿がゆっくりと草を食べているのを目撃した。
波賀町在住の同僚から話を聞くと、クマと猿を見かけたら必ず役場に連絡しなくてはいけないそうだ。
そして、どこで目撃してどちらに向かっていったかを必ず言わねばならないそうだ。
たぶん上郡町では義務づけはされていないと思うが、万一目撃した連絡せねばならないと思う。
山に食べ物がなくて、里の柿の実を食べねばならないクマも哀れだが、殆ど食べずに放置している柿に振り回されている町民も哀れだ。
元はといえば気象の大変動を引き起こした人間が悪いのだが・・・・