このところ教員の中から、教師としてのやりがいを訴えて、教師になることを若い世代に訴える新聞投稿等を見かける。
実際、生徒とのふれあいやその生長、教壇に立って生徒から真剣に話を聞いてもらえることにやりがいを感じることは確かである。
先日、非常勤講師をしている高校のとある先生から、夜の10:30頃にLineで教務事項に関する問い合わせがあった。
翌日、家から送ったのかと聞くと、学校からだと言う。しかも、そういう時間は日常茶飯事だと聞いた。
その人は責任あるポジションであり、仕事熱心なことは見てからわかる。
かつて、現役で亡くなっていった教師のことも話したが、今の彼には仕事をこなすことが先決で、減らすことなどできないことは十分理解できる。
私が訴えたかったのは、現役で亡くなった教師は、自ら進んで仕事をしていた人が多かったということだ。
大きな仕事をこなすことにやりがいを感じているのは、側にいてよくわかった。
亡くなった人の中には文科省から表彰された人もいた。
夜中まで働く教師や管理職がそういうやりがいのある仕事をして、活躍してくれるお陰で成り立っていることも事実だ。
かく言う私も授業準備や校務、クラブ活動で同じように時間外勤務をして、やりがいを感じていたことも確かである。
その結果が医者から「あんた死ぬで」と言われたHgA1cが12.0になった糖尿病である。
今働いている職場にも、年金で十分暮らせて、余分に稼ぐ給料は税金や保険料で消えてしまうと言っている人がいる。
その人も糖尿病だが、膵臓がんの発症を怖れつつ、仕事にはやりがいを感じているようだ。
そもそも、教師の多くは自分がやりがい搾取を受けているとは思っていないと思う。
むしろ、そのやりがいを失ったら生活が成り立たない仕事人間でさえある場合が多いように思える。
退職教師の場合、仕事を生きがいとして健康や精神的安定が保てる人もいるので、一概に悪いとは言えないが、そのことが教師全体の待遇改善の足を引っ張っている可能性もある。
その一方、家庭の事情や個人的な考えから、時間外勤務を殆どしない人もいることも確かだ。
本当はそちらの方が普通であるべきなのに、白い目で見られることもある。
やりがい搾取の実態に目を伏せて、若い世代にやりがいだけを説くのは甘言を用いた勧誘のように思える。
若い世代が教師を志望しなくなれば、しばらくは従来のやりがい搾取に無頓着な教師で学校を維持せねばならないのだろう。
それはやりがい搾取を受けていない現役の正教員には都合がいいことかもしれないが・・・
このところ、完全退職教師に対して、現場復帰への勧誘がなされたりもしているが、私は来年度は非常勤講師に対するやりがい搾取を放置するのならば続けるつもりはない。
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