デヴィッド・グレーバー2016(2011)『負債論―貨幣と暴力の5000年』の研究の流れから現在はジェームス・C・スコット著(政治学者、人類学者)『モーラル・エコノミー ―東南アジアの農民叛乱と生存維持』を読んでいる。
この作品は書かれたのが1976年で、翻訳本が出たのは1999年だった。
もし、1976年にオリジナルを読んで理解できていたら、自分の研究は大きく違っていたろうと思う。
この著者をネットで調べたら藤原帰一氏の留学時代の指導教員と言うから、なるほど、鋭さと反骨さは合点がいった。
そして、羊を育てていることには親しみを感じた。
奄美の人々のみならず、貧しかった時代の人々を生存維持の視点から考えるべきだったと後悔している。
それは自分の祖父母や父母の生き方の理解に通じることでもある。
戦争も終わり、高度成長の中で豊かさを手に入れながら、自由を謳歌できた自分たちの世代は、生存維持よりも、自己実現という名の下、競争に明け暮れた。
生きていけることだけで価値があるのに、競争に疲れて自ら死を選んだ人も知っている。
そういう自分も死にたいと思ったことは数知れずあるのだから、別の意味で生存維持の脅かされている時代に生きたともいえるかもしれない。
飢餓と戦っていた人々は、生存を脅かす権力と戦う底力があった。
権力を手に入れようと戦う自分たちは、生存を脅かす権力にひれ伏してしまう。
そして、その権威を身につけた人に人生相談までしてしまう。
社会保障のなかった時代に、生存維持のために家庭を築き、子育てをしていた人々の存在を忘れたかのような発言をされて納得してしまう。
そして、世襲で権力を手に入れた政治家にはその生存維持の理解ができないようだ。
ジェームス・C・スコット氏は税によって生存維持を脅かされた農民の叛乱を理路整然と説明してくれている。
今の日本では飢餓は身近ではないだろうが、孤独や絶望とは隣り合わせである。
お一人様でも生きていける権威ある人には乗り越えられても、権威のないものにとっては乗り越えることの困難な試練である。
我々は叛乱どころか、孤独死や絶望死を覚悟せねばならないのだろうか・・・・
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