久しぶりに姫路駅周辺の商店街に行く用事ができた。
姫路には週に二度、非常勤講師の仕事で行っているのだが、お城は半年以上見ていない。
私は中学高校と6年間お城の側の学校に通っていたので、お城を見ると旧友に会ったような気持ちになる。
姫路は駅を中心に大きく様変わりしてしまい、50年前に有ったものを探すことさえ難しくなっている。
ちょうど、ヤマトヤシキも解体されていて、昔のまま残っているデパートは無くなってしまったと思う、
私は中学部時代に通学として使っていたのは主に御幸通りだったが、高等部になってからはお溝筋を使ったり、大手前通りの歩道を歩いたりした。
今日は、城に向かうときはお溝筋を通っていった。
しょっぱな、フォーラス(旧ジャスコ)がマンションに変わっている姿に、改めて時代を感じさせられた。
フォーラスがあった頃はお溝筋も賑やかだったが、今は本当に路地裏の飲食店街になってしまったように思う。
通学していた頃は、市民会館の前を通って直進したが、今日は途中から御幸通りに戻った。
私がフォークギター(yamaki)を友達に選んでもらって買った楽器屋に立ち寄ってみたが、店の中は店の人は一人で楽器を修理していたが、とても殺風景だった。
因みにこのギターは糸巻きを取り替えて、今でも私には欠かせないものとなっている。
本町商店街は、やはり薩摩屋が懐かしい、もう日の丸の鉢巻きをして店の前にいたおじいさんはいないが、残っているだけでも嬉しい。
古本屋にも立ち寄ったが、昔はおじいさんがいたはずだったが、おばあさんが店番をしていた。
本が雑然と並べてあって、洋書で出物が無いか見てみたが、積み上げられた本で探すことさえ難しかった。
大手前公園はコスプレのイベントがあったらしく、華やかと言うよりも、異質な別空間という感じだった。
サムライ姿のコスプレには姫路城がふさわしく思われているのだろうが、歩兵連隊本部があったことを考えれば軍服のコスプレもお奨めである。
大手門をくぐって天守閣を見上げると、こんなに荘厳だったかと改めて見直した。
通学していた頃は毎日見飽きていて、雪が降ってきれいな時くらいしかその美しさを感じることは無かった。
私が苦手としていた東北弁の美術の先生が、ずっと城を描き続けていたことが分かるような気がした。
因みに私は小学校の時には絵を習っていて自信があったのだが、どうもその先生とは合わなくてよく叱られていたし、成績も悪かった。
その先生はお城の波風の形を覚える方法を授業で語っていたが、当時は全く関心が無くて憶えていない。
姫路城が他の城よりもずいぶん立派に見えるはやはり大千鳥破風のおかげだろう。
私は天守閣と動物園の間の坂を通って学校に向かっていたのだが、その道は当時は舗装されていなかった。
一番驚いたのは、動物園そばのもみの木が大木になっていたことだった。
これこそ、半世紀の時の流れを視覚で感じるものだった。
きれいに舗装された道は歩きやすかったが、かつて無かったロープでの進入禁止、石垣の鉄条網付きのネット塀が無粋に思えた。
確かに見上げた天守閣は今でも心を奪われるほど荘厳で美しい。
しかし、世界遺産になって、それを維持管理するために人を寄せ付けなくなった感じがした。
かつては、堀の上の石垣に登って、友達としゃべくっていた所にも、立ち入りができなくなっていた。
私たちはかつて、天守閣の周りを冬場には体育の時間に走らされたり、国語の時間に俳句を作るために歩かされたりした。
特に天守閣の北側の公園は、友達と放課後にぶらついて歩く楽しみの場所でもあった。
学校の三階トイレの窓から用を足しながら眺める天守閣が一番好きだった。
ただ、姫路西校に出張で行く用事があって、上階の南側の窓から眺める天守閣が今までに無く素晴らしいと思ったこともある。
今日は土曜日で観光客や修学旅行生徒で溢れた城だったので、余計に昔と変わったのかもしれない。
また、平日の人が少ないときにやってくれば、昔のように親しみを感じさせてくれるだろう。
ただ、私の通っていた学校は建て替えられてしまって、当時の面影は体育館横のコンクリート塀と、北側の教会だけに残されたのみだった。
と言うことで、母校よりもお城の方が懐かしい存在であり続けてくれている。
いずれ、動物園も消えてしまうと言うので、今はよそよそしく感じる城は、一番親しい存在になるだろう。
駅の方に戻るときは、御幸通りを使った。
一番に目に飛び込んだのは、アーケードに取り付けられたイルミネーションだった。
この通りがシャッター街にならず、今でも賑やかであり続けるのは、お城のお陰だと思う。
播磨姫路こそ城でもっているのだと改めて思った。
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