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2023年12月23日土曜日

遠くで汽笛を聞きながら

 10月8日に、元アリスの谷村新司が亡くなったが、今日ラジオマンジャックの聞き逃し配信を聴いていて、谷村新司の追悼式の話題でまた思い出した。

私はアリスの曲はギターを弾きながら友達と一緒に歌ったり、一人でも部屋でよく歌った。

ステージの上では一度も歌ったことは無いが、盆や正月に親子兄弟でカラオケに行くと、必ずアリスの曲を一緒に歌っていた。

いとこは高校時代に「終止符」を自分でギター演奏して歌って録音したものを、谷村のラジオ番組に送って、ラジオでかけてもらった。

谷村本人からすごく褒められていて、いとこの母親も非常に喜んでいたのを憶えている。

私は当時隣に住んでいたいとこの様子をよく知っていたので、歌に本人のその時の気持ちがしっかり込められていたのが良かったのだと思っている。


私も「遠くで汽笛を聞きながら」は、自分の経験に重ねてしまう歌で、未だに時々一人で歌っている。

  俺を見捨てた女(ひと)を 恨んで生きるより

この言葉は心に突き刺さる。

正確には見捨てられたと言うより、愛想を尽かされた私は恨むことさえできなかった。

身勝手だった私は見捨てられて当然だったと思っていたので、この歌詞には違和感があったが、見捨てられたことを吐露する気持ちには共感できた。

しかし、自分が見捨てられたことの意味を自分に納得させることは、この歳になるまでなかなか出来なかった。

つまり、相手が自分にどんな感情を抱いたのかを、想像できない、否、したくなかったのだ。

そういう自分の心を誤魔化すには、

  せめて一夜の夢と 泣いて泣き明して

と心を通わせた日々が夢だったのだと、泣きながら歌い続けるしか無かった。

しかし、今は彼女がどんな気持ちで、私と訣別したのかを思い巡らせることができる。

自分が彼女の立場だったら、同じように愛想が尽きていただろうとも思う。


谷村新司の歌の素晴らしさは、こうして自分の気持ちを託せる歌詞とメロディーだ。

たぶん、いとこも

  あの夏の日がなかったら 楽しい日々が続いたのに

という歌詞に自分の気持ちを託したのかもしれない。

死にたいほど辛く傷ついた心でも、なんとか「生きていきたい」という自分の気持ちを、私もこの歌に託していた。

今住んでいる上郡の我が家では、遠くで貨物列車が通る音も聞こえるし、本当にたまに「汽笛」も聞こえる。

その線路をそばで眺めて、彼女と一緒にこのレールの上を寝台列車に乗って通ったことを思い出したりもした。

この歌の「汽笛」は青函連絡船の汽笛だそうだが、私にとってはかつての「あさかぜ」や「はやぶさ」と同じ電気機関車の鳴らす汽笛だ。

ただ、今住んでいる所は、二人で過ごした街とは全く関係が無く、「何も良いことが無かった街」では決して無い。

相変わらず身勝手な私を見捨てずに一緒に生きてくれている妻や子供と、心を開いて生き続けている村だ。

そういう意味では、この歌は自らも見捨てて忘れたかった、かつての若き日の自分への鎮魂歌として歌い続けているのだ。





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