ページビューの合計

2024年1月27日土曜日

不登校と社会

 私の父母は中学校に行っている程度で、高等学校に行っていない。

父は中等学校に進学したが、卒業1年前に家業の船運送業のために中退させられた。

母は、中学校を出てから洋裁学校に通ったが、会社勤めの経験は無い。

祖父母の学歴はよく分からないが、父母よりも高いとは思えない。

一番仕事で羽振りが良かったのは、父方の祖父で船運送業で稼いで、それを子供に譲ってからは造園業を営んでいた。

あまり、人には大きな声で言えないが、四国には妾さんもいて、その人の子供の面倒まで見ていたと聞いた。

父はもう一年で高校卒の学歴がついたのに、辞めさせられたと怒っていたが、祖父にしたら家業の役にも立たないことは遊びと同じと思ったのだろう。

因みに母方の祖父は、職業軍人として海軍に入ったが、除隊後米屋を営んだり、造船所で働いたりしていたが、招集されて戦死した。

父方の祖母は勤めの経験が無いが、百姓のかたわら7人の子供を育てた。

母方の祖母は夫が戦死した後、造船所で勤めていたが、遺族年金があったから子供が成長してからは辞めた。

父母は、中卒ながら田畑を買って、家を建てて、4人の息子を大学までいかせた。

高度経済成長期で時代が良かったのだとも思う。


今、不登校が問題になっているが、もし、学校へ行かなくても、普通に生活できれば何ら問題は無いだろう。

教育史や教育社会学の論を俟たなくても、普通に考えれば分かることだ。

学歴が無くても、何ら問題なく仕事を手に入れることが出来たのが、祖父母の時代だった。

私の村落調査した奄美の与路島では小学校でさえまともに行っていなかった人が、20年ほど前まで立派に民宿業や商店を営んでいた。

そういう人は、漢字や計算を学校では無くて、必要に迫られて独学したようだ。

そもそも、目が不自由な人でも、一人で商売が出来ていたのだから、どれだけ周りの人が気を配ってくれていたか分かると思う。

助け合って生きていかないと、小さな島では生きていけなかった。

しかし、かつて黒糖生産力が高かった頃は、家人(ヤンチュ)という過酷な強制労働制度で苦しめられた時代があった。


国家は人と人の争いを防ぐためにあるのだが、人と人とが競争して、仕事に励むことを奨励している。

学校がそのために必要不可欠だったのだが、もし、一般の人が競争を拒否して、助け合った社会を築いていたら、学歴など必要なかっただろう。

しかし、現実は高学歴の者が高収入を得て、羨望の的になった。

それでも、今住んでいる農村地地帯の村では、私たち夫婦以外に大卒者はほぼ住んでいない。

稲作農業によって潤い、立派な家を建て、婿養子をとっている家も少なからずある。

ところが、農業の衰退と共に、少子高齢化がどんどんと進み、幼稚園や小学校の統廃合が進んでいる。

若い人も大学へ進学したら、跡取りでも地元には帰ってこない。


そういう時代の中で、不登校だけを問題にするのはおかしい。

学歴がなくても商売が出来たのは、以前は大店舗が規制されていたからだ。

学歴がなくても農業で生活できたのは、農産物の自由化が抑制されていたからだ。

だから一番の問題は、学校へ行かなくても生活が出来る場を、政策によって奪われてしまったからなのだ。

そして、競争が苛烈になって、それについていけない子供達に不登校が多く誕生して当然だ。


かくいう、私は中学受験から競争にさらされてきた一人だ。

確かに、小学校の6年生での受験勉強は一番勉強したと思う。

しかし、それまでは剣道をしたり、カブスカウト、ボーイスカウトに入って楽しんでいた。

今は、中学受験は小学校3年くらいから準備せねばならないらしい。

また、いったん私学に入ってしまえば、高校受験もないし、受験対応の授業なので塾にも行かず、バンド活動に明け暮れていた。

私は浪人して三流大学にしか行けなかったが、私のバンドの友人は欠点だらけの成績の学年最下位で早稲田大学の法学部に現役合格できた。

今ほど公立高校が受験に対して熱心に取り組んでいなかったからできたのだろう。

今は、母校はそのゆるい指導のせいか、進学実績はかなり落ちているようだが、公立がその分伸びているのだから、それもしかたない。

前の環境大臣を輩出した学校は、過去の栄冠でしかなくなった。


不登校をなくすには、学校を居心地良くするしかない。

当然、競争をほどほどにするしかあるまい。

それでGDPが落ちて、世界4位以下になっても、多くの人が幸せに感じられ、学歴に絡んだ無差別殺人事件が発生しない方が良いと思う。

かつての奄美が黒糖生産で食い物にされて荒んでいたのが、経済力を失って、過疎に悩みながらも、心豊かに暮らしていたのが見本だろう。

また、逆の観点で考えれば、学校に行かなくても、生活が成り立てれば良いのだ。

狩猟・漁労・採集+自給的農業と特産品のネット販売というのも一つの案だが、まだ答えは見いだせない。

とにかく、ブラック企業と言われる学校に責任を負わせすぎると、今度は教師が不登校になって学校が崩壊するだろう。

実際、教師のなり手がどんどん減って困っているのだが・・・・











2024年1月24日水曜日

二階建ての後悔

 この能登の地震で多くの古い家屋が倒壊しているのを見て、古い家に住んでいる人は不安に思っていると思う。

実は、我が家も阪神淡路大震災の前に建てたもので、耐震構造は備えていない。

私は奄美の住居や建築物を研究していたのに、分棟式の家を自分も建てることは思いつかなかった。

同じ村の中に、奄美の分棟式を連想するような平屋を建てているのを見て、自分も建てれば良かったと後悔した。

確かに、土地から購入したのだから、かなり費用はかかったと思う。

しかし、現在は家内がリューマチを患って二階への上り下りが困難で一階に寝ている。

将来自分も、いつまで二階への上り下りが出来るか分からない。


それと、自分の母を家に招いたことがあったが、やはり独立性を保てた方が、どちらにも良かったと思う。

この歳になって、新しい家を建てることも困難なので、とりあえず、耐震工事をすることも考えている。

もう一つは、隠居部屋を別棟にして建てることも考えて良いかもしれない。

奄美の人も老人夫婦が同じ敷地内の別棟で独立して生活していた。

別棟の問題は費用以外に、棟をつなぐ廊下のことも考えねばならない。

奄美のように風通し重視以外にも、冬の寒さへの対策も必要だ。


今回の地震でも耐震構造をもった家は倒壊を免れたようだ。

ただ、気になるのは最近の家の素材だ。

私の家はシックハウスにならないように、昔ながらの土壁にした。

断熱材も屋根以外は使っていないように思う。

環境や健康に配慮した住居はどういうものなのか、根本的に考え直す時代になっていると思う。

場合によって、半地下式の竪穴住居も参考になるような気もする。

何せ縄文時代以前から1万年以上の歴史を耐えていた構造なのだから。

2024年1月9日火曜日

沖縄と内地(大和)は、ウクライナとロシア?

 NHKのラジオで、ウクライナはウクライナ語、ロシアはロシア語を公用語とするのが、きちんと憲法に記載されていることが解説されていた。

そして、日本では憲法には公用語の記載が無い、日本語が当たり前すぎているからだと解説員は語った。

またか、と思った。

国会議員が単一民族という言葉を使って問題になったのに、天下のNHKがアイヌ語や琉球語の存在を無視している。

戦後に作られた日本国憲法は、明治以降に東京山の手の言葉を基に作られた共通語を当たり前の国語としている。

少数民族や多言語を無視したお惚け国家であることにNHKは追随しているのだろうか。


沖縄奄美の方言札は有名だが、私たち赤穂尾崎育ちの者にも、小学校では徹底的に共通語を使うように指導された。

方言札は無かったが、授業中に方言で発言すると、何度も言い直させられたし、休み時間でも友達と話す時にも使うように求められた。

友達が方言でしゃべっていることを、先生に報告させるようにも求められていたと思う。

ただ、中学校や高校では方言は失われること無く、授業中以外は普通に仲間の間で話すのが当たり前で、むしろ、共通語や東京弁を話す者を陰で笑っていた。

要するに、公的な場や書き言葉として共通語は使うが、生活の場ではかなり崩れてはいるが、方言を使い続けてきた。

ところが、現代の若い人たちは、マスコミの影響の方が、普段の生活より影響力を増して、生活の場でも共通語を使っている。

惚けた学校教育もその片棒を担いできて、惚けた政府の思うつぼになったとも言える。


今朝のNHKのテレビニュースで、国家が失われることの無いように命がけで戦う意思を示しているウクライナ人が映し出されていた。

先日のラジオの解説では、ロシア語とウクライナ語は違いは少なく、1年も勉強すれば話せるようになるという。

日本語と韓国語の言語距離よりも、共通語と琉球語の違いぐらいのように思える。

そう考えれば、日本本土と琉球とが戦争するようなものと言えそうである。

今、基地問題を巡って、沖縄県と政府が裁判で争っている。

もし、沖縄の人たちが琉球王国から引き継いだ民族国家意識を持っていたとしたら、戦争になっていたかもしれない。

琉球の研究者の中には琉球国の独立を唱える人もいるが、国民国家を目指せば戦争が避けられなくなることを分かってのことだろうか?

むしろ、国民国家そのもののあり方を、考えるべき時が来ているのでは無いかと思う。

一極集中から地方分権への移行が叫ばれる中で、国民全体で基地問題をウクライナとロシアの戦争とも絡めて考えるべき時が来ていると思う。


2024年1月6日土曜日

となぜのお姉ちゃん

 慈しみと言う言葉は、我が子だけでなく、肉親の他、恋人、ペット、花などあらゆるものに使える素晴らしい言葉だと思う。

英語で言うとaffectionが一番近いようで、loveはもともと性的な意味合いが強かったそうだ。

英語の語感より、日本語の「いつくしみ」の方が、心にその語の音が響いてくる。

フロイトの精神分析の影響で、全て性に結びつけて考える風潮が一時流行り、私自身もその考えに縛られていたかもしれない。

しかし、この歳になって性と距離ができてくると、性とは結びつかない、周りの全てのものに対する慈しみの心が分かってくる。

たぶん、幼い頃もそういう情で、外の世界と結びついていたのだろうと思う。


一昨年前、いとこの姉が数え年70歳で、心筋梗塞のために急死してしまった。

その姉は、本家の一人娘で、婿養子を迎えて家を継いでいた。

私は、幼い頃本家に預けられることが度々あって、その姉によく可愛がって貰った。

私はその姉を慕い、ずっと一緒に暮らせればいいのにと思っていた。

しかし、成長するにつれて、関わりも薄れていき、中学生の頃は人前で会うことさえ、恥ずかしく感じた。

今でも悔やまれるのは、バレンタインデーにチョコレートをくれたときのことだ。


その頃、中学生だった私は姫路の私学に通い、姉も姫路の女子高校に通っていた。

私の学校は進学校で、姉の学校はどちらかというと、公立に進学が難しい女子の受け皿になっていた。

バレンタインデーの日、姉は姫路駅のホームでわざわざ待ち受けてチョコレートを渡してくれた。

自分は女性から貰うことの恥ずかしさ以上に、その女子校の制服を着た人から貰うことが、側にいた友達に対して恥ずかしかった。

お礼もまともに言えず、お返しもしなかった。

思春期とはいえ、あれだけ慕い、そして慈しんでくれた姉に対する態度ではなかった。

その後、姉が成人式を迎える時には、私の心も少しは成長していて、まるで昔に戻ったかのようにトランプをして遊んだりした。

いまだにその時の重ねて叩きで、姉の手に触れたときの複雑な気持ちを憶えている。

ただ、ものが分かっていなかった年頃での振る舞いをずっと悔やんでいて、いつか謝ろうと思っていたのに、それもできず亡くなってしまった。

そして、何よりも幼い日に一緒に遊んだ楽しい想い出を、語り合える人がいなくなってしまった。


亡くなってから改めて思い始めたのは、その姉が人を慈しむことの出発点だったのだろうということだ。

確かに見た目の美しい女性には心を奪われて、アプローチもした。

しかし、結局私のそばにいてくれたのは姉に似た人だった。

家内が何よりもそのひとである。

無意識に姉から受けた慈しみを、見いだそうとしていたようにも思う。

年老いてもなお一緒に仲良く暮らせるのは、幼い頃からの慈しむ心を忘れずにいたお陰だと思っている。


2024年1月5日金曜日

コウノトリに見限られた?

 このところコウノトリを全く見ない。

12月初旬に見かけて以来に、これまで一度は見たと思うが、最近ではさっぱりなのだ。

当初心配していた中で、山陽道の通行止めで交通量が増した影響は、半月前に解消されている。

残る危惧で一番考えられるのは、農薬の空中散布の影響が出ていることだろう。

コウノトリは、田んぼや池の小魚、カエル、蛇などを餌にしていた。

それがめっきり減ってしまったことは以前にも書いた。

コウノトリだけで無く、以前では池のそばや上空でよく見かけたミサゴも最近は見ない。

鷹類はいるのだが、小鳥を狙っているようだ。

相変わらず多いのはカラスだが、木に残っている柿にはあまり目もくれず、耕した田んぼに群がっている。

カラスも地中の虫や小動物の栄養を求めているようだが、それが減っているのでそういう事態になっていると思われる。


産業廃棄物の処理場設置反対では盛り上がっているが、身近な環境破壊には無関心なのはどういうことだろう。

米作から得られる収入は暮らしにとって重要なことはよく分かる。

しかし、農薬に汚染されている所に誰が住み続けたいと思うのか?

誰が、この村に住むことを勧められるのだろうか?

今でも遅くないと思う。

EUのように農薬の空中散布禁止が出来ないなら、散布できる高さを制限するべきだ。

例えば1m50cm以内の高さ制限を設けたら、これまでの地上での散布とそう変わらないだろう。

また、雀などの食害に対しては、稲の収穫時には、好みとなるヒエやアワなどを生やした休耕田をあちこちに設置する。

ドジョウの養殖は難しいので、比較的簡単に増やせるカエルなどを繁殖させる。


やっと、上郡町も有機農業への取り組みが始まった。

稲に関しても、「コウノトリ飛来米」として、特別栽培米を作ってブランド化できないだろうか?

私は雑穀作りを来年度にはもっと力を入れようと思うが、農薬が少なくて済むもち麦などの雑穀栽培も考えて欲しい。

有機肥料にしても、落葉樹の多い山に囲まれているし、少し足を伸ばせば、牡蠣殻や海藻も手に入りそうだ。

そのほか、山間での鶏の平飼いや、牛などの放牧も考えられるだろう。

JAの職員も年金支給時に焼き芋を配る心遣いがあるなら、もっと、農家の育成への心遣いをして欲しい。

もう一度、コウノトリを呼び戻すために!


追記

今日(1/6)、散歩中に一羽のコウノトリが、高圧線の鉄塔の上で、カラスと争っているのを見かけた。

くちばしでカチカチとカラスを追い払い、なんとかてっぺんに留まることが出来た。

単に、立ち寄っただけかもしれないので安心は出来ない。

去年は三羽も、この季節はずっと居続けていたのだから・・・



2024年1月2日火曜日

勝戦に対する戦争否定

 戦争を経験した人は、その悲惨さを語り、戦争は絶対いけないという。

では、市民が悲惨さを経験していなかった戦争はどうだろう。

日本で言えば、日清戦争、日露戦争の後で、市民はそう思ったのだろうか。

アメリカは太平洋戦争でさえ、兵士以外に市民にはあまり犠牲がなかった。

アメリカの一般市民は、戦争は悲惨で絶対してはいけないと言ったのだろうか。

ベトナム戦争での犠牲を経験しながらも、戦争を否定せず、その後も戦争を続けているのは、国が繁栄しているからだろう。

悲惨だから戦争はしてはならないのでは無く、戦争そのものを犯罪行為と見なすべきだが、現実の国際情勢ではそうはならない。


私の母方の祖父は太平洋戦争で戦死した。

もし、アメリカに勝って、生き残っていたら、英雄として誇りに思っていなかっただろうか。

勝った方の兵士は英雄となり、破れた方の兵士は、名誉は与えられることは無い。

日本への原爆投下にしても、アメリカは勝ったから、戦争犯罪とは見なされない。

ロシアが核を使えないのは、勝つ確証が無いからだろう。

今回のウクライナ戦争も、ロシアを敗戦国にしてしまったら、どう残虐行為への責任をとらせるのか。

ソ連が崩壊したように、ロシアが崩壊するしか、解決しようが無いだろう。


戦争を否定するには、勝った国が豊かで、優れた国であることを否定しなくてはいけない。

それが出来ないから、敗れた国が経済的に繁栄したことで、誤魔化すしか無い。

ところが、今の日本はかつては豊かだったのに、貧しくなりつつある。

戦争に負けて従属国になり、戦勝国の都合に振り回されて利用されて、結局没落していったとなれば、やはり強い軍事力を持たねばならないことになる。

かつての戦勝国にも頼られる軍事力を持って、対等にならねばならないと思うだろう。

それが、新兵器のレールガンだと最近知った。


戦争を本当になくすには、戦争の残虐さを強調するだけでなく、戦争によってもたらされた繁栄や名誉も否定しなくてはいけないはずだ。

ところが、歴史として過去のものとしてしまい、まるで大河ドラマの戦記物を見る気分で戦争を過去の物語にしている。

大河ドラマでは、戦闘のシーンがあって楽しむが、残虐性や悲惨さを殆ど描かれない。

平和を掲げるNHKが、戦争の娯楽番組で、殺し合いを楽しませ、英雄の家康をも讃えてもいる。

来年は平安貴族の物語だそうだが、記録の無い貧しい庶民の上で、栄華を極めた勝者としての貴族の世界に、視聴者を誘ってくれるだろう。


いま行われている戦争も、優れた兵器の戦闘シーンと一般市民の悲惨な場面が、画面の中で見世物になっている。

政府側にすれば、こんな戦争が現実にあって、それに備えるために防衛費を上げることの説明につかえるだろう。

マスコミとしては、戦争の悲惨さを訴えて視聴率や売り上げを伸ばすことが出来る。

ウクライナやガザに侵攻している兵士やその家族は取り上げられることは無い。

そして、武器が大量に売れて利益を上げている企業も知らせていない。

その一方で、日本では軍事産業に関わる企業が求人数を増やしたことが平然と取り上げられている。

太平洋戦争での悲惨さで戦争をなくしていこうというキャンペーンさえ、ただの誤魔化しに感じてしまう。