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2024年1月2日火曜日

勝戦に対する戦争否定

 戦争を経験した人は、その悲惨さを語り、戦争は絶対いけないという。

では、市民が悲惨さを経験していなかった戦争はどうだろう。

日本で言えば、日清戦争、日露戦争の後で、市民はそう思ったのだろうか。

アメリカは太平洋戦争でさえ、兵士以外に市民にはあまり犠牲がなかった。

アメリカの一般市民は、戦争は悲惨で絶対してはいけないと言ったのだろうか。

ベトナム戦争での犠牲を経験しながらも、戦争を否定せず、その後も戦争を続けているのは、国が繁栄しているからだろう。

悲惨だから戦争はしてはならないのでは無く、戦争そのものを犯罪行為と見なすべきだが、現実の国際情勢ではそうはならない。


私の母方の祖父は太平洋戦争で戦死した。

もし、アメリカに勝って、生き残っていたら、英雄として誇りに思っていなかっただろうか。

勝った方の兵士は英雄となり、破れた方の兵士は、名誉は与えられることは無い。

日本への原爆投下にしても、アメリカは勝ったから、戦争犯罪とは見なされない。

ロシアが核を使えないのは、勝つ確証が無いからだろう。

今回のウクライナ戦争も、ロシアを敗戦国にしてしまったら、どう残虐行為への責任をとらせるのか。

ソ連が崩壊したように、ロシアが崩壊するしか、解決しようが無いだろう。


戦争を否定するには、勝った国が豊かで、優れた国であることを否定しなくてはいけない。

それが出来ないから、敗れた国が経済的に繁栄したことで、誤魔化すしか無い。

ところが、今の日本はかつては豊かだったのに、貧しくなりつつある。

戦争に負けて従属国になり、戦勝国の都合に振り回されて利用されて、結局没落していったとなれば、やはり強い軍事力を持たねばならないことになる。

かつての戦勝国にも頼られる軍事力を持って、対等にならねばならないと思うだろう。

それが、新兵器のレールガンだと最近知った。


戦争を本当になくすには、戦争の残虐さを強調するだけでなく、戦争によってもたらされた繁栄や名誉も否定しなくてはいけないはずだ。

ところが、歴史として過去のものとしてしまい、まるで大河ドラマの戦記物を見る気分で戦争を過去の物語にしている。

大河ドラマでは、戦闘のシーンがあって楽しむが、残虐性や悲惨さを殆ど描かれない。

平和を掲げるNHKが、戦争の娯楽番組で、殺し合いを楽しませ、英雄の家康をも讃えてもいる。

来年は平安貴族の物語だそうだが、記録の無い貧しい庶民の上で、栄華を極めた勝者としての貴族の世界に、視聴者を誘ってくれるだろう。


いま行われている戦争も、優れた兵器の戦闘シーンと一般市民の悲惨な場面が、画面の中で見世物になっている。

政府側にすれば、こんな戦争が現実にあって、それに備えるために防衛費を上げることの説明につかえるだろう。

マスコミとしては、戦争の悲惨さを訴えて視聴率や売り上げを伸ばすことが出来る。

ウクライナやガザに侵攻している兵士やその家族は取り上げられることは無い。

そして、武器が大量に売れて利益を上げている企業も知らせていない。

その一方で、日本では軍事産業に関わる企業が求人数を増やしたことが平然と取り上げられている。

太平洋戦争での悲惨さで戦争をなくしていこうというキャンペーンさえ、ただの誤魔化しに感じてしまう。




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