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2024年1月6日土曜日

となぜのお姉ちゃん

 慈しみと言う言葉は、我が子だけでなく、肉親の他、恋人、ペット、花などあらゆるものに使える素晴らしい言葉だと思う。

英語で言うとaffectionが一番近いようで、loveはもともと性的な意味合いが強かったそうだ。

英語の語感より、日本語の「いつくしみ」の方が、心にその語の音が響いてくる。

フロイトの精神分析の影響で、全て性に結びつけて考える風潮が一時流行り、私自身もその考えに縛られていたかもしれない。

しかし、この歳になって性と距離ができてくると、性とは結びつかない、周りの全てのものに対する慈しみの心が分かってくる。

たぶん、幼い頃もそういう情で、外の世界と結びついていたのだろうと思う。


一昨年前、いとこの姉が数え年70歳で、心筋梗塞のために急死してしまった。

その姉は、本家の一人娘で、婿養子を迎えて家を継いでいた。

私は、幼い頃本家に預けられることが度々あって、その姉によく可愛がって貰った。

私はその姉を慕い、ずっと一緒に暮らせればいいのにと思っていた。

しかし、成長するにつれて、関わりも薄れていき、中学生の頃は人前で会うことさえ、恥ずかしく感じた。

今でも悔やまれるのは、バレンタインデーにチョコレートをくれたときのことだ。


その頃、中学生だった私は姫路の私学に通い、姉も姫路の女子高校に通っていた。

私の学校は進学校で、姉の学校はどちらかというと、公立に進学が難しい女子の受け皿になっていた。

バレンタインデーの日、姉は姫路駅のホームでわざわざ待ち受けてチョコレートを渡してくれた。

自分は女性から貰うことの恥ずかしさ以上に、その女子校の制服を着た人から貰うことが、側にいた友達に対して恥ずかしかった。

お礼もまともに言えず、お返しもしなかった。

思春期とはいえ、あれだけ慕い、そして慈しんでくれた姉に対する態度ではなかった。

その後、姉が成人式を迎える時には、私の心も少しは成長していて、まるで昔に戻ったかのようにトランプをして遊んだりした。

いまだにその時の重ねて叩きで、姉の手に触れたときの複雑な気持ちを憶えている。

ただ、ものが分かっていなかった年頃での振る舞いをずっと悔やんでいて、いつか謝ろうと思っていたのに、それもできず亡くなってしまった。

そして、何よりも幼い日に一緒に遊んだ楽しい想い出を、語り合える人がいなくなってしまった。


亡くなってから改めて思い始めたのは、その姉が人を慈しむことの出発点だったのだろうということだ。

確かに見た目の美しい女性には心を奪われて、アプローチもした。

しかし、結局私のそばにいてくれたのは姉に似た人だった。

家内が何よりもそのひとである。

無意識に姉から受けた慈しみを、見いだそうとしていたようにも思う。

年老いてもなお一緒に仲良く暮らせるのは、幼い頃からの慈しむ心を忘れずにいたお陰だと思っている。


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