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2024年5月31日金曜日

プールに戻った爺海豚

 この春から年金暮らしが始まり、研究と百姓に明け暮れていたのだが、朝の散歩だけでは運動が足りない。

百姓も体をよく使うときとそうでないときもあり、運動を確保できるわけではない。

持病の糖尿病の数値も仕事していた時と変わらず悪いので、また、水泳を始めることにした。

上郡町にはB&Gの温水プールがあり、年間利用券(年券)はそう高くない。

年券を買って週に二度は泳ぐことに決めた。


最初はここ5年ほど泳いでいなかったので、まともに泳げるか心配だった。

案の定、ゆっくり泳いでも息が上がった。

ただ。クイックターンは下手ながらできたので安心はした。

スピードも情けないくらい遅くて、クロールで50m泳ぐのに1分以上かかってしまった。

すぐに顔が熱くなってしまって、連続して泳げないので、休み休み泳いでいた。

以前練習していた4泳法の泳ぎは、キック、プル、スイムと組み立てて、3000mほど時間をかけて泳いでいた。

しかし、今は種目はこなしても、量はこなせなく、2000mほどしか泳げない。

しかも、時間をかけすぎていたので、監視員に2時間までだと注意さえされた。

そして、何よりも情けなかったは、練習の疲れが数日続いたことだった。

以前は毎日のように泳いでも、翌日に影響することはほとんど無く、泳がない方が調子が悪かった。


そんな状態でも練習を続けるために年券を買って、火曜日と金曜日の15時から17時までを練習時間と設定した。

時間の設定は、スイミングスクールの関係で練習コースに余裕があるからで、17時からは一人で1コースとることはできない。

都会のプールではまず無理だろうが、私はバタフライを練習したいので、できたら一人で1コース使いたいのだ。

18時以降ならコースも余裕なのだが、早く飲みたいので無理と思った。

とにかく、泳いだ後のビールがたまらなくうまいのが、魅力であるから続けられる。

ただ、スクールのない時間帯で、一人泳ぐのは嫌いで、子供たちが元気に泳いでいる姿を眺めながら泳ぐのが楽しい。


ここ一ヶ月は、泳いでる時も泳いだ後も、疲労感を感じることが多かった。

しかし、やっとこのところ、元に戻りつつある。

クロールの50mも、45秒を切って泳ぐこともできるようになった。

バタフライや背泳ぎもスムーズに泳げるようになってきた。

ただ、相変わらず平泳ぎはまともではないし、個人メドレーは100mが限界だ。

練習量は約2000mのままにして、休憩を少なくしてスピードを少しずつ上げていっている。


先日、以前一緒に練習していた人に久しぶりに会った。

風邪を引いて長い間これなかったそうだ。

その男性は競争好きで、一緒に練習したがった人だが、心臓を手術してから、一日1000mほどしか泳いでいない。

その泳ぎ仲間が時間をとっているのは水中歩行で、監視員の人とおしゃべりも楽しんでいる。

私よりも確か6歳ほど上だったと思うが、私もその歳になったらそうなるのかなと、不安を覚えている。

マスターズレースで活躍していた知り合いの女性も、練習中にくも膜下出血でプールで亡くなっているので、気をつけなくてはいけない。

それでも、自宅にこもりがちな生活には、この週二回の練習は欠かせないと思っている。

今は農繁期で火、金以外の曜日のその時間帯と、土曜日は農作業に充てている。

農繁期が過ぎたら、泳ぐ回数を増やしていこうと思っている。

なにせ、このところ体重が90kg前後と重いままなので、お医者さんから減量するように強く言われている。

老齢となった自分の心身ともの健康のために始めたが、孫のような子供と並んでする水泳は、自称海豚とって何よりの楽しみとなっている。

孫のいない私には、それが一番のモチベーションなのだ。




2024年5月27日月曜日

ダウングレード

 私はパソコンを使い始めて以来、ワープロはジャストシステムの一太郎である。

漢字変換を担うATOKは、阿波徳島に由来すると大分前から聞いていた。

マイクロソフトとwordが主流になっていって、職場である高校の事務文書はwordやexcelになっても、ATOKだけはつかい続けていた。

教材やテスト問題はずっと一太郎のままで、業者から提供されている資料などとの不具合も生じたが、一太郎を愛用してきた。

そして、いまだに個人的な研究に用いているのは一太郎で、「一太郎2023」を使っている。

ところが、ATOKが年間契約方式になってしまい、今日(5/27)から、使えなくなってしまった。

マイクロソフトのIMEを使ってみたが、日本や中国の歴史に使う漢字の変換がスムーズではない。

私はATOKの文字パレットにずっと頼ってきたのだ。

ネットで調べると、ATOK2018からATOK2022までなら、再インストールできると書いてあった。

自分が以前使っていたのはATOK2017である。

年間8000円近く払って契約更改するか、ATOK2017をインストールするか迷ったが、結局毎年8000円近くの負担は耐えきれないと思った。

それで、ATOK2017をインストールすることにして、現在のところうまく働いている。

残念なのは単語登録をもう一度やり直さねばならないことだ。

これまで、一太郎はver3から、バージョンアップして使ってきたが、初めてダウングレードした。


実は、私はOCRソフトは「読んでココ!!ver12」を2006年以来使い続けている。

一時はWinXP以降のOSに対応できてなくて、ほかのOCRソフトを使ったが、Win10でまた十分使えるようになったので今でも大活躍だ。

一太郎と読んでココが無いと私の研究が成り立たないのである。

一太郎の文書では、ハイパーリンクでデーターをリンクしていて、検索機能も用いて膨大な文献データーの構築を行っている。

また、文献はスキャンしてOCRで一太郎文書にして読んでいるのだ。

たぶん、今の若い研究者は生のデジタルデーターやデジタル書籍をそのまま使っているのだろうと思うが、デジタル化されたものが利用できない私にはこの方法しかない。

勿論、国会図書館のデジタル化された文献も使ってもいる。

しかし、県立図書館の文献を活用するにはこの方法しかないのだ。


最近、友達の大学の先生に英文書籍のことを尋ねたら、邦訳より安くKindleで手に入ると教えてもらった。

ただ、amazonで調べてみると、5000円近くした。

プロの研究者にとっては、書籍代は必要経費だが、私のようなアマでは無駄遣いでしかなく、どうしても必要な書籍しか買っていない。

だから、図書館の書籍を利用しているので、そのことを彼に理解してもらうことは無理だと思った。

年金だけの収入に頼っている百姓にとって、研究は道楽でしかない。

しかし、その道楽が生きがいになっているのだ。

その生きがいを続けるために、節約してダウングレードもするし、もう販売されていないソフトを使い続けている。

パソコンも壊れるまで長く使い続けている。

きっと、次買い換えるときは、OSがバージョンアップしていて、ATOK2017も使えなくなっているだろう。

せめて自分の健康寿命が尽きるまでは、なんとか動いてほしい。

ジャストシステムさんも、そういう利用者にも配慮してほしい。





2024年5月24日金曜日

倭人回帰

 南山大学の後藤明氏の論文をたまたま読んだことをきっかけとして、大林太良氏の書籍を読みあさっている。

大林氏は私が南山大学に通っていたときに、講演に来られた折りに遠くから、お姿を見た経験がある。

地下鉄本山駅の近くには、文化人類学関係の書籍が多く置いてあった古本屋があったが、大林氏はそこのどの棚に、何が置いてあるか憶えていると言われていた。

私は正直、大林氏の研究には当時関心が無かったので、あまり氏の作品を読んでいなかったのを、今になって後悔している。

後藤氏は大林氏の弟子だそうだで、「知の巨人」と称されていたが、私も氏の書籍を読むにつけてそう思う。

73歳という若さで亡くなってしまったが、もし、長生きされて今のDNA研究に接しておられたら、どんな論を展開されただろうかと思う。


大林氏は岡正雄氏の研究を受け継いで、日本文化の源流を追い求められた。

私も、奄美の文化の位置づけとして、今その研究を行っている。

ちょうど、「邪馬台国」を読んでいるのだが、そこに描かれた倭人の姿が奄美の人と重なって見えるのだ。

そして、赤穂の鳥撫で海運に携わりながら、農作業をしていた私の祖先とも重なる。

ただ、焼畑らしきものはしていなかったが、山の石を商いつつ水稲も作っていた。

私は船乗りになるはずが教師になって、細々と畑をしてきた。

今は完全退職なので、性懲り無く研究に戻りつつ、畑仕事にいそしんでいる。


今力を入れているのは、雑穀作りだ。

ちょうど、もち麦の収穫で、先日から草刈り機に補助器具をつけて刈り取ったり、鋸鎌で刈ったりしている。

脱穀は足踏み脱穀機なのだが、今後籾すりが大変だ。

近所の人がトマトの苗を上げようと言ってくれたが、麦の収穫で手が回らないので遠慮した。

麦だけではなく、高黍を播いたり、落花生を植えたり、大豆もこれから播かねばならない。

既に、サツマイモの苗は植えている。

水稲が入ってくる前には、こういう雑穀を主体に倭人達は生活していたのだと思う。

稲も陸稲として同じように畑で作っていたのだろう。


家庭菜園は野菜作りが定番だが、雑穀や芋類を多く作れば、自給生活に近づける。

今作っている作物は農薬など必要ない。

ただ、どうしても鶏糞や有機石灰を買わねばならないので、それに代わる物や必要としない農法も考えていかねばならない。

また、水田の用水も利用させて貰っているので、行く行くは水田用水からの自立も図ろうと思っている。

水稲モノカルチャー農業からの脱却こそ、私の研究の実践でもある。

大林氏は文献での研究に命を捧げたが、私はフィールドと農業実践の方が合っているようだし、焼酎をよく飲むので肝硬変にならない努力が必要だ。

かつて村落調査をしていて、与路島で奄美の人によく間違えられたが、同じ海人的な形質があるのかもしれない。

このところ、海には行けないので、週に2回はプールに行って2000m以上は泳いでいる。

机上だけで無く、倭人的生活を体験するのも愉快な暮らしだ。




2024年5月20日月曜日

おひとり様という名のフリーライダー(ただ乗りする者)

 人間行動生態学では人間の利他的行動を説明するのに、「ただ乗りする行動を組織的に処罰して抑止する」ことの重要性を指摘している。

子育ては自分の遺伝子を残すという意味では、非常に利己的だが、自分の老後を犠牲にする子育てはある意味では利他的だ。

それで子どもから老後の面倒を見て貰わなくていいようにしないと、子育てをしないので年金制度や介護制度が充実していった。

するとその年金や他人の子どもからの福祉介護を当てにするおひとり様が増えてくる。

ここで言う「おひとり様」とは、結婚や子育てをしないで自由に暮らしていこうとする人のことで、望んでもできない人のことを言っているのではない。

おひとり様は自分が払った年金だし、介護も介護保険を掛けているから何が悪いと言うだろう。

一方、かつての終身雇用や年功序列型給与というのも、子育てに対応したものであった。

しかし、その制度も公務員などを除いて、子育てに不利な雇用形態に変化して、子育てをしない方が逆に有利になった。

そういう状態で、子どもそのものの数が不足する事態になったことで、子育てをしない人は、他人の子どもを当てにする利己的なフリーライダーと化した。

発展途上の段階では、子どもが財産であり、場合によって売買できたのだが、子どもからの支援もなく、売買が不可能な先進地域では、子育ては利他的行為に近い。


当然、資産家は子どもに資産を継がせる利己的な目的があるし、利他的な子育てそのものには大きな喜びをもたらしてくれること確かでもある。

ただ、最近は利己的な行為や考えが原因で、離婚や不婚が増えてきている。

そもそも、種の保存にも関わる性行為そのものを嫌う人さえ出てきている。

そういう時代に、惨めな老後への不安を考えると、利己的なおひとり様になった方が結果的には幸せなのだろう。

その上、このフリーライダーを処罰して抑制する社会機能を持ち合わせていない。

扶養手当、扶養控除や子育て支援で子育てするよりも、おひとり様の方が自由で気ままに暮らせる。

むしろ、子育て以外に能力を発揮して、組織に貢献した方が名誉と金と地位を得る。


狩猟採集民の平等な社会は利他的な行為で成り立っていたという。

現代資本主義社会は民主的で平等といいながら、利己的なシステムで成り立つ格差社会だ。

格差をなくそうとした社会主義や共産主義社会は、フリーライダーの対策ができないので、崩壊せざるを得なかった。

結局、資本主義社会も、利己的なおひとり様のフリーライダーの対策ができなくて、将来崩壊する運命にあるだろう。

利己的に成り立っている社会で、残された利他的な行為としての子育てをしなくなれば当然なのだろう。







2024年5月17日金曜日

企業戦士が企業牢人に

 退職した企業戦士の五月病は深刻で、企業戦士の奥さんにも影響が及んでいるそうだ。

よくサラリーマンを戦士に喩えるけれど、明治になっても、士族と卒族はきちっと区別されていた。

本来、武士は家禄を持つが、それに使える足軽などは単なる使用人で、家禄を持たない。

そして、大名行列の臨時雇いなどで、臨時雇用の人足もいた。

終身雇用は家禄に似ているので、武士に近いけど、自分の子どもの雇用が保証されていないし、退職金という手切れ金で縁を切られる。

当然、臨時雇用の勤務者は武士に喩えられるわけでなく、代々使用人として勤められた卒以下と言うべきだろう。

そういうことでは、一年契約のスポーツ選手は、武士としてのサムライではなく足軽に近いサムライというべきかもしれない。

とにかく、家来や部下を持てない立場では、武士とか戦士というのも、おかしく感じる。

ただ、大学を出て学士の資格を得ているのだったら、「士」を名乗る資格はあるだろう。

五月病になっているようなサラリーマンは、役付だった人が多いかもしれない。

平のサラリーマンは何か職を見つけないと、生活が苦しいだろうから、五月病になっている場合ではないかもしれない。


私の父は中学卒だったが、正規の職工だったので、企業戦士というより、企業兵卒と呼ぶべきかもしれない。

工場では事故で命を落としかけたし、年下の高学歴の上司に偉そうに使われるので、よく愚痴をこぼしていた。

だから、父は私には勉強して人を使う立場になれとよく言っていた。

「卒」は工場でも、戦争でも死を覚悟して働かねばならなかった。

先日見たNHKの再放送のプロジェクトXでは、黒部ダムの建設で殉職者を171名もだしたのに、本人のことも遺族のことも、何も触れていなかった。

戦時下の兵卒はなおさらなのだが、将校や下士官の絶対的な命令で、死もいとわなかった。

それは奴隷が生殺与奪の権を主人に握られていたのと、さして変わりは無い。

でも大きな違いがあった。

それは「名誉」だ。


今回のウクライナ戦争で囚人がロシアでは多く使われている。

囚人はある意味で奴隷以下である。

ところが、囚人は兵卒で戦地で働いて手柄を立てると、名誉を与えられる。

懲役でほとんど無収入だった者が、賃金と名誉を死のリスクを引き換えに得られる。

奴隷にはそれほどの死のリスクはないが、名誉など全くない。

特に武士は名誉が重要で、へまをすれば自分で腹を切らねばならない。

現代でもエリートが過労死や過労自殺に追い込まれるのも、この名誉やプライドと関係しているだろう。

かつて名誉ある企業戦士が、五月病を患ってしまうことは、本当は不名誉なことなのだろう。


かく言う私は「修士」の学位を得ているので、「戦士」を名乗っていい筈なのだが、百姓もしてきているので、薩摩の郷士とかわらない。

郷士は上級武士からは蔑まされていた。

しかし、薩摩では百姓ができない上級武士より、百姓のできる郷士の方が維新後に生き延びたように聞く。

考えてみれば、兼業農家をしていた多くの人は大卒はほとんどいなかったので、「鄕卒」と呼ぶべきかもしれない。

現代の「士号」をもつ企業戦士も、薩摩の郷士のように百姓をするか、商売や事業をしていた方が激動の時代には生き延びられそうだ。

そのうち、AIに仕事を奪われそうだからだ。

戦が終わって行き場を失った牢人に似た企業戦士は、仕事を失った企業牢人と言うべきなのだろう。

五月病は企業牢人の悲哀なのだろうか・・・・





2024年5月12日日曜日

孤独な村人

 また、うちの村の組(小字)で、66歳の単身男性が孤独死した。

5年も経たないうちに、同じ組から二人目である。

この方とはつい先日、村の総会で近くに座っていたので、色々と話をしたばかりであった。

亡くなったのが分かってから、検死もあった後、身内だけの葬式もひっそりとしたらしく、回覧板で報せが届いたのは、一週間近く経っていた。

村には男性の単身者が何人かいる。

女性の単身者は少ないが、ひとりは高齢者で、娘夫婦が毎日のように様子を見に来てくれている。

男性の単身者は、それほど高齢ではないが、遠い親戚はいるが、身内も近くにいなくて、亡くなっても分からない不安がこれからもある。


私がこの村に引っ越してきた当時は、葬式といったら、通夜から準備して、当日も同じ組なら朝から夫婦で手伝いに出て、骨揚げ後の読経まで手伝った。

隣の組でも組全員でお別れの読経を通夜にしにいった。

このごろは、葬儀屋で近い親戚だけで済ませてしまうことが多く、葬式に関わることが殆ど無く親しい人でもお別れができなくなった。

だから、せめて個人的にお別れをさせてほしいと、要望が出ているほどである。

かつては、村八分(村の制裁)になっても、葬式だけは関わった村人も、その葬式でさえ関わりが無くなってしまった。

ちなみに。このごろは村八分どころか、自ら自治会を脱退したり、最初から入らない人もいる。

葬式は、あまり良い機会では無いけれど、通夜から本葬まで、男性は飲みながら、女性は料理をしながら、色々と近所の人と話をしたものである。

私の赤穂の実家も父が17年前の葬儀では、近所の人が葬儀場での受付や参列してくれて、骨揚げ後も読経してくれた。

ところが、昨年の母の時には葬儀場でさえ、手伝いや読経どころか、近所からは一人の参列者もいなかった。

コロナの影響とはいえ、空き家の増えた地域の関係が崩壊状態にあることを思い知らされた。

私の実家は、決して町外れではなく、近くにスーパーや市民病院、県立高校、海浜公園もある便利なところである。


学生時代に名古屋や東京でアパート暮らしをしていたが、それとあまり替わらなくなっているのかもしれない。

ただ、今日も溝掃除の村仕事に参加したが、公共のサービスが不足している分、自分たちで力を合わせねばならない。

以前は、村祭りや盆、とんどで楽しむ機会も多かったが、それもかなり簡略された。

私がこういう田舎暮らしで心の癒やしとして残っているのは、散歩の時にふれあう自然なのだが、それも除草剤によって、「冬の散歩道」化している。

町でも村でも住みづらい時代になったのかなと思うが、畑仕事で土に触れていることだけは、大きな癒やしになっている。

昨日も、二年放っておいたらっきょを掘って、家内に漬けて貰った。

二人の共同作業だった。

村の多くの人は、そういう田舎ならではの農作業も辞めて、気楽ではあるが孤独な暮らしに陥っているようだ。

2024年5月9日木曜日

人は本来、鳥以上に男が子育て参加

 男が子育てに参加する哺乳類はあまりいないらしい。

ゴリラは雄でも子供の面倒を少し見るそうだが、基本一夫多妻である。

一夫一婦制で子育てをする類人猿はいないようだ。

男を子育てに巻き込んだのは、子供が未熟な状態で生まれるので、男の協力が必要だった。

それは、卵から幼鳥を育てるのに、つがいでの協力が必要だった鳥と同じだ。

そして、鳥は子どもが巣立つまでの子育て期間は短いが、人は非常に長い。

また、鳥以上に子育てが済んだ老人が子どもの面倒をみてくれたし、若い娘なども子育てを手伝った。

また、男は父親の立場以外におじさんとして、子育てに関わるのが普通だった。

要するに子育てがしやすいような暮らし方を鳥以上に、元来社会ができあがっていたのだ。


ところが、子育てよりも、金儲けが一番大切で、金こそが生活を保障してくれる社会になってしまった。

普通のサラリーマンは、子どもを育てて、維持すべき家業も無いし、老後の面倒を見て貰うこともできない。

要するに、サラリーマンは金儲けや老後のことを考えたら、今はお一人様の方が有利なのだ。

男女雇用機会均等法以降は、却って未婚率が増えたのは当たり前のことで、男の働き方が女にも要求されるようになった。

そして、男も面倒な家事に時間をとられるよりも、気楽な一人暮らしや親との暮らしを選んでいるようだ。

女が当たり前に金を稼ぐようになったら、当然家事や育児の分担は夫婦で必要だろう。

それを男がしないから、未婚や離婚が増えているというのだが、男にとって結婚しない方が自由で楽という前提が忘れられている。

事実、未婚男性の結婚しない理由の1位は、自由を奪われたくないということだった。


私の家内は専業主婦だったので、私は家事の手伝いはあまりしなかった。

家内がパートで働き始めても、家事を手伝うことは少ない。

その代わり、畑仕事をして暮らしを助けてきた。

それは自分の父親も同じようにしていたからだ。

田舎では女は畑仕事をし、男は田んぼ仕事をするのは当たり前なので、家内は畑仕事をしなくて済んでいるのだ。

男は農作業に加えて、賃労働に精を出し、女は家事以外に内職をしたりした。

因みに父は田んぼもしていたが、私はできないので、父のしていた畑の倍以上はしている。

子どもの面倒は母方の祖母が手伝いに来てくれていた。

つまり、昔の農家などのように男女が働かなくてはならなくなったのに、昔のように子育てを支援できる仕組みを失っているだけなのだ。

それに代わる仕組みを作らない限り、未婚率は上がるだろうし、出生率も減る一方だろう。

専業主婦とは、子育て支援が無くても子育てができるシステムで、子どもを大学に入れなくて済んだことや、高度経済成長期で景気が良いときにできただけなのだ。

経済状態が良くても女性が働きたいときは、欧米のようにベビーシッターを雇うしかない。

高給取りの甥っ子夫婦は、ベビーシッターを雇っているらしく、ベビーシッターの収入の良さを強調していた。

ということは、普通のサラリーマンの賃金ではベビーシッターなど雇えず、子どもを持つことは負担でしか無い。

高収入の人だけが子育てができる時代になったようだ。

一般サラリーマンは、働き手を増やすために主人から子育てを支援されていた奴隷以下の存在になったようだ・・・・


2024年5月4日土曜日

寂しさを感じさせるゴールデンウィーク

 私の両親が顕在で、兄弟家族の子供も小さかった頃は、ゴールデンウィークに必ず赤穂の実家に集まった。

一緒にドライブしたり、夜にはみんなで近くのカラオケに出かけて楽しんだ。

それが、当たり前のゴールデンウィークの過ごし方で、海外旅行など考えてもみなかった。

ところが、両親も亡くなり、子供も成長して独立すると、兄弟家族は集まらなくなった。

私は完全退職して初めてのゴールデンウィークなので、旅行も考えたが家内の体調が良くないこともあって、計画しなかった。

いつでもできる農作業なのだが、渋滞の中を出かけなくて済むように、このところ農作業に励んでいる。

先日の雨の日は、農作業もできなくて、再開した泳ぎにプールへ行った。

いつもの日中に会うことが無いスイマーが来ていて、ゴールデンウィークを実感した。


忙しく農作業をしていている時は、寂しさも忘れているのだが、夕方から晩酌をし始めると、賑やかだった昔を思い出す。

元気だった頃の両親のことも思い出した。

もし、自分たちの子供に孫などがいたら、同じようなことが出来たのにと、せんないことを感じたりする。

人口減のことで、色々問題が指摘されているが、賑やかで楽しめる機会を失うことが、重大に感じる。

昔は貧しくても、家族や親戚が色々集まって楽しむことができた。

これからは、旅行や食事などに出かけて、個人や夫婦で楽しむしかないのだなと諦めている。


そういえば、奄美の与路島で仲良くなったツッユオーウジは一人暮らしで、淋しいものだから近くで私が若い人と飲んでいる声を聞くとやってきた。

若いシマの人も邪険にはしないのだが、気まずい雰囲気になるので、私はウジの家に連れて帰ったりした。

かつてその青年団は、ウジが初めて飲む炭酸の缶ジュースをわざと振らせて、びっくりさせてかららかったりした。

一方で、ウジの家に呼ばれてご馳走された塩漬けの豚肉を食べて、青年団の全員腹を下したりした。

ウジは冷蔵庫があったのに、電気をつながず、豚肉も漁網に使うプラスティックの浮きをくり抜いた容器で塩漬けして常温保存していた。

当然、ウジはいくら食べても平気だったから、ご馳走したのだ。

もうシマの若い人には、そういう豚肉への抵抗力が失われていたのだ。


シマに残されたお年寄りが、農作業をしたり、海で魚介類を獲ったりして、ひっそりと暮らしていた生活と私の生活も似てきた。

40年前の超過疎のシマのお年寄りの気持ちが、実感として分かってきた。

話を伺いに家に訪れた私をとっかかりに、若い人とも関わって夜の寂しさを紛らわせたかったのだろう。

ただ、当時のシマのお年寄りのように、大学生や研究者に話すべき昔話も暮らしぶりも私には無い。

単に時代に流されて取り残されて、淋しいゴールデンウィークを過ごしているだけの老人だ。

まあ、来年は寂しさを誤魔化すために、遠くまで旅に出かけても良いと思っている。

それこそ、奄美や先島に行ってみようかな・・・・




2024年5月1日水曜日

地場産業の明暗と将来

 今回の補欠選挙の保守王国島根1区で自民が敗れた敗因特集が、色々とテレビや新聞で報道された。

その中で、二世議員が真剣に地元の産業を育成しなかったことが、大きく取り上げられていた。

二世議員は、地元に育って真剣に地元の将来を考える議員では無かったということだ。

昔なら鉄道、近年では道路や橋、トンネルを作れば、それでありがたいと思われていた。

この近辺では、新幹線の駅を作って貰った相生は、造船頼みの構造から脱却できず振るわない。

確かに西播のテクノポリスを作って貰って、近年では企業誘致も進んでいるのだが、地元で働いている人をあまり知らない。

住むのに良い環境だという赤穂も、臨海型関連工業も振るわず、塩業関係も発展していない。

唯一、龍野だけが、色々と産業を発展させている。


龍野は古くから、皮革や醸造、製麺で、地場産業をしっかり築いてきたところである。

確かに、そのことが身分格差の問題を抱えてきたり、地方自治でも色々と取り沙汰されたが、産業は力強く発展している。

私は龍野実業(現龍野北高校)と播磨特別支援学校に勤めていて、生徒の就職に関わっていたが、地元企業への就職希望も多かった。

特別支援学校では職業実習でお世話になったが、その一つがテレビで大々的に新製品を売り出していたりするのを目にする。

旧来の地場産業も時代に合わせて発展させ、新しい産業も興して行っている。

そして、インターチェンジ近くでは流通関連の企業も多くできているのだ。

同じように地場産業があった赤穂とは発展の度合いが違うのだ。


その背景に2005年の市町村合併の時に、たつの市として近隣を統合することができている。

赤穂、相生、上郡は話が持ち上がりながら、合併はできなかった。

赤穂は特に、駅前開発に絡んで、行政の混乱から県との関係を悪くして、病院や高校での困難を抱えてしまった。

そのあたりは、龍野が県と非常に太いパイプを維持していたのとは正反対だ。

相生は国会議員を出すほどの政治基盤がありながら、赤穂や上郡をリードできない。

上郡は赤穂に頼ろうとしたが、袖にされてしまい、独自の行政や政治基盤も脆弱なままである。

ただ、工場や産業廃棄物の処分場を誘致して雇用を確保するやり方は、これからの時代にはもう合っていないと思う。

残された自然を生かした栽培漁業や新しい農業、ゆっくり過ごせる滞在型観光など、地道に取り組んでいくべきだと私は思っている。

龍野が伝統産業を発展させたように、赤穂、相生、上郡は隣接する岡山県の備前市などと協力して、環境破綻、食糧危機を見据えた取り組みを考えるべきだと思う。

今年はウクライナ戦争の影響であろうか、小麦の栽培が多く見られる。

まずは、今の我々が地元で色んな分野で一粒の麦となる覚悟がいるのかもしれない

でも、安く買われて食べられて死ぬ麦より、播かれて苦労する麦の方が生きている証拠なのだと思う。