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2024年7月23日火曜日

コウノトリの食事と余暇を大切に

 野生の動物は肉食鳥獣を除いて、何となく一日中食料を求めて動き回っているイメージなのだが、よく見る機会のあるコウノトリは、結構暇そうにしているのを見る。

確かに、一生懸命に田んぼの中の小動物を探して、食べている姿もみるのだが、電柱の上や田んぼの畦で何をするともなく、つがいでボーとしたり羽繕いをしている。

今近所にいるコウノトリは高圧線の鉄塔には停まらないが、以前いたコウノトリは高い鉄塔の上でのんびりしているのをよく見かけた。

恋の季節にはその鉄塔の上で、クチバシをかちかちを音を立てて求愛したりしていた。

また、空を旋回している時もトンビなどよりも、ゆっくりと空を楽しんでいるように見えた。

ただ、そののんびりとした暮らしを邪魔しているのはカラスで、鉄塔で休んでいたり、空を旋回しているのを邪魔しに来た。

一方カラスは、コウノトリに比べて忙しく餌を探しているし、トンビにけんかをふっかけるし、散歩する私に対しても警告鳴きをするなど、忙しい鳥だ。

また、雀は餌を採っているのか、おしゃべりしているのか分からないほど、騒がしく群れている。


最近やっと、若い人は仕事よりも余暇を楽しみたいと、普通に答えられるようになったらしい。

我々の世代は「24時間働けますか?」と、タフなビジネスマンを讃えていた。

飲み会まで仕事の延長上で、付き合うのが当たり前でもあった。

私はやらなかったがゴルフや釣りの付き合いも、仕事の延長上だったように思う。

そもそも、パチンコなども余暇と言うより、実益を兼ねた仕事の穴埋めだったのかもしれない。

狩猟採集民は一日に3~6時間ほど、食料を求める労働をするが、それ以外は日中などではおしゃべりをしていることが多いという。

奴隷制度が発達しているところは、労働は奴隷に任せて、主人は信仰活動や芸術活動を楽しんでいたようだ。

要するちょっと前のビジネスマンは、奴隷並みに働いて、主人並の衣食住を手に入れていたのだろうと思う。

結局、奴隷主のように信仰も芸術にも関わりが無いので、労働しなくなると、ボーとするしかなくくなるのだろう。


この頃、もう退職したであろう年配の方が、コウノトリの写真を撮っているのをよく見かける。

狭い道路の路肩に車を停めて、コウノトリを追いかけているのだ。

コウノトリもまんざらではないのか、ポーズを決めていることもあるが、うっとうしくて飛び去ってしまうことも多い。

その瞬間が写真には良いのかもしれないが、コウノトリの身になって考えれば、面倒くさい存在だろう。

食事をしたりゆっくりと過ごす余暇を邪魔するのは、ボーとするのが嫌な退職者のように思える。

コウノトリが好きなら、少し離れたところで腰掛けて、ボーと様子を眺めた方がお互いに良いようにも思う。

私はたいがい犬の散歩の途中で出会うだけで、足を止めたり、写真を撮ることはまずない。

近所の写真愛好家は車に乗って追っかけているのだが、それが生きがいとなっているようだ。

その人たちは高価な望遠レンズで離れて撮っているので。それはそれで良いのかもしれない。

高価な望遠レンズがない人は、できる限りコウノトリの食事と余暇を邪魔せずに、少し離れて、コウノトリとおなじようにゆっくりと時間を過ごして欲しい。






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