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2024年12月15日日曜日

捨てちまった哀しみに

私は家内から古くなった服や物を捨てるように促されると、中原中也の詩「汚れちまった悲しみに」をもじって抵抗してきた。

私が「捨てちまった哀しみに」と言うと、家内は必ず「そんなに哀しいのなら捨てなくて良い」と言って突き放される。

それで、うやむやになってそのまま捨てずに残されてきた。

私は物に対して過去の想い出と重ねて、汚れたり、少し破れたりしただけではなかなか捨てられないでいる。

その中で、今でも着続けているのは登山用のヤッケである。

45年ほど前に買った青色のヤッケは当時で1万円も出して手に入れた物で、学生時代はバックパッキングや村落調査などでずっと使っていた。

その後は思い出したように使ったが、汚れも破れもないので、このところ冬場の散歩には毎日それを着ている。



そんな私が涙を流しながら以前に処分したのは、40年ほど前に長津田のアパートを引き払う時の家具類である。

伴侶に去られた後に行き詰まってしまい赤穂に戻る時、大家さんが置いておいてといった物以外の物はゴミ廃棄場に捨てに行った。

トラックをレンタルして弟が運転してくれたのだが、カラスが群がるゴミ捨て場に捨てて帰る車の中で、号泣してしまった。

想い出のある家具類を捨てる哀しさを我慢していたのに、カーステレオでかけていたジョージ・ウィンストンのカノンで感情が溢れだしてしまった。

隣で運転していた弟に慰めの言葉をかけられる始末だった。

私の「捨てちまった哀しみ」の原点はこの想い出にある。


その後、愛車を買い換える時も、幾分寂しさを感じたりしたが、涙を流しながら処分したものは無かった。

ところが、今回の実家の片付けはその時と似たような状況になってしまった。

自分ですることにしてから、今は母の遺品を中心に処分すべくナイロン袋などに詰め込んでいるところだ。

する前は簡単に思っていたのだが、自分のアパートの時とは違い、父母が結婚して以来ため込んだ品々はとてつもなく多い。

それに庭の剪定も行っておかねばならない。

やってもやっても終わりが見えなくて、気が滅入るばかりだ。

そして、何よりも母に対する思いや、過去の出来事が蘇ってきてしまう。

「捨てちまう哀しみ」も込み上げてきてしまう。

家内も自分の母親の家の整理を考えていると言っているが、私はお金に余裕があるなら業者に任せる方が良いと言っている。

業者は単に物として簡単に片付けられるが、そこにかつて住んだことのある者にとっては、単なる物ではない。

遠い先祖の遺物ならともかく、肉親が身につけたりした物を、何の感情もわかずに処分できるはずがない。


まだ、処分場に持っていたり、ゴミに出したりはしていないが、それを行った後には「捨てちまった哀しみ」が込み上げてくるだろうと思う。

若い頃のように号泣することは無いと思うが、人生の儚さに心が疼くことになるだろう。

かつては出直しのための処分だったが、今回は手放すための処分となることになると思う。

特に、祖父を手伝って築いた庭を手入れし直すと、今眺めても素晴らしいと感じる。

できれば移して自分のそばに置いておきたい。

しかし、その思いは自分の家内や子どもには理解できないだろうとも思う。

この立派な庭を維持できるだけの「家」を築かなかった自分を自覚するしかない。

実家は庭が立派なのに駐車場が狭くて、敷地だけ広い農村の我が家のように、3台も4台も停めるスペースなど無い。

かつて庭に価値があったのは自家用車を持つことが無かったからで、今は駐車場と庭園を持てる人は限られている。

時代に取り残されちまった哀しい家であることも確かである。







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