私が有機農業や自然農法に拘っていたのは、家族の健康を考えてのことだった。
農作業に掛ける時間と労力、経費を考えると、これまではスーパーで買った方が安く付いていたと思う。
でも、その殆どが化学肥料と農薬、機械に頼っていることに抵抗を感じていたのだ。
それが、このところの気象破綻の影響で、そういう農業がダメージを受けて農産物が高騰してしまった。
特に野菜の値上がりは食生活に直結してしまった。
家内には3年連続で大根を失敗したことを指摘されたので、「農薬を使って良いか」と聞くと「仕方ないんじゃない」という返事だった。
30年以上も無農薬の原則を放棄せざるを得ない状況になってきた。
まわりが農薬を使うので、いくらネットで覆っていても、集中的にやられてしまう。
以前は、馬酔木やタバコの吸い殻を用いた自然農薬も試したが、それらは簡単に手に入らなくなっている。
これからは市販の安全性の高い農薬を使わざるを得ないと腹をくくった。
一方肥料に関しては、有機肥料が販売されているので間に合わせられるが、不耕起を主体として草マルチの自然農法は頑張ってみたいと思っている。
こちらは、機械や石油製品になるべく頼らないモットーを維持したいと思っている。
また、モチ麦や高黍の栽培は機械なしでは、かなり困難であることが身にしみた。
脱穀と籾すりの手間が非常にかかってしまうからだ。
水田稲作がこういう破綻気象でも耐え得られていることを考えると、稲作農家に米を頼るしかないと思った。
その代わりに、大豆と小豆、落花生に力を入れることにした。
また、夏場は里芋よりもサツマイモ、冬場はジャガイモの根菜類に力を入れようと思っている。
これらの夏場はエンジンポンプに頼らざるを得ないが、水さえ有れば何とか持ちこたえられていた。
肝心の野菜だが、夏場の水対策だけでなく日除けを中心とした温度管理をするつもりだ。
また、春先の空豆、エンドウや葉野菜にも力を入れようと思っている。
これからの家庭菜園は健康指向という生やさしいものではなくなった。
高騰する農産物への生活防衛としての重要性が増してきた。
かつて人類学者のピエール・クラストルは「国家に抗する社会」の中で次のように述べている。
西欧文明は確かに、その黎明の時代から二つの公理によって導かれてきたと思われる。すなわち、第一の公理は、其の社会は、国家という庇護者の影の下でこそ自己を展開するとする。そして第二の公理は、次の定言命令を与える。すなわち、労働せねばならない、と
欧米に追随した日本人も、同じような文明を築いてきた。
その結果が破綻気象であり、人間性を失った賃金労働だった。
これから我々は国家の庇護とは距離を置いて、自然と共存できる生活を営み、そこからの恵みを頂きながら生きていく必要があると思う。
ささやかな「生活防衛」こそ、未来に向けての「闘い」なのだ。
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