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2025年2月28日金曜日

村移住の失敗原因

私の住んでいる村は、農村で暮らしたことの無い人が移り住むことは、転入というよりも移住に近い。

そもそも、私たち家族が村に引っ越してくる時は、村入り費用として多額の支払いを行った。

それによって、村における権利を得ることにになるのだが、この制度はさすがに最近は一部廃止して減額されている。

また、自治会に属すつもりの無い人は支払いを拒否して、まるで別荘に住んでいるかのように暮らしている。

また、途中で自治会に不満を持った家族は脱会して、一切の付き合いをしていない。

そこまで、孤立しながら住み続ける人もいるが、たいがいは途中で転出してしまう。

そういう家屋敷は価格が安くなるので、自治会を無視し、モラルを欠いた家族が住み着いてしまった。


私たちの家族が何とか村の人とやって行けているのは、それなりの経験があったからだ。

結婚当初は赤穂のとある地区の親戚の空き家を借りて住んでいた。

そこはそれまで住んでいた赤穂の地域とは違って、農村の古い習慣を維持したところだった。

今住んでいる村ほどでは無いが、村作業や葬式などで役割を果たすのが当たり前だった。

私がその地区から早く出たいと思ったのは、村作業後の飲む席で、私が借りている家の庭の草を抜けと年上の人から説教されたことからだ。

隣に住んでいる親戚の大家さんではなくて、あたかも代わりに叱ってやっているとばかりに、高圧的に言われた。

確かに、庭に草を生やしているのはみっともないかもしれないが、他人に説教されるいわれはないと腹立たしく思ったが、言い返せなかった。

そのこともあって、借家しているから自由にできないと思い、今の村に家を建てて住むことにしたのだ。


今の上郡の村の家屋敷は、赤穂の時よりももっと草木を生やして、手入れできていないが人からとやかく言われることは無い。

近所の人は綺麗に庭を手入れしているのを見ると、後ろめたく思うがうちはうちだと割り切っている。

その代わりに、村の仕事や役員もしっかりと務めた。

むしろ、元々地元の人がしていない祭りなどの世話役さえやった。

だけど、毎月行われる寄り合いには隣保長になった時を除いて殆ど行っていない。

最初は集会所での喫煙を理由にしていたが、禁煙となった今も理由なしで欠席している。

そもそも、毎月話し合う必要性を感じていないからだ。

今の村に移り住んで30年以上経ち、若い頃から自治会の仕事をしていたので、もはや古株の域に達している。

というのも、私と同じ世代の跡取り達は親が死んだり引退して自治会の仕事をし出したので、私の方が経験が長いのだ。


街から移り住む人が一番嫌がるのは村作業だ。

参加しないと以前は出不足金が課せられた。

毎年、村に自治会費を年間1万円余り払った上に、毎月のように作業がある。

これは古来からの賦役のながれだと思う。

だから、こういう村で住む人はこういう作業参加の覚悟が必要なのだ。

今風で言えばボランティアを強制的にやらされていると思っても良いかもしれない。

ただし、村の幹部役員は幾分かの報酬を貰っているが、決して割には合わない。

テレビやネットで移住の失敗例を見て、そこあたりの調整がうまく行っていないのだろうと思った。

最初から村作業を説明して募集するのか、移住者は完全に別格として扱うかを決めておくべきだろう。

そして、借家の立場はそれなりの扱いや干渉を受けるということも説明しておくべきだろう。

全て金で動く時代に村作業や祭りなどの行事、自治会役員の仕事をボランティアで行うのは時代遅れになっているとも思う。

ただ、地方の村はそういう人と人との助け合いが重要であり、魅力であって、それを通して私たちのようなよそ者でも仲良くやっていけたのだ。





2025年2月25日火曜日

米依存からの脱却

先日、都会で暮らしている弟と話していて驚いたのだが、白米10kgで夫婦が半年暮らしているという。

これなら、たとえ10kgが1万円になっても、1日あたり一人50円にもならない。

多くの人がこういう生活になれば、米不足は起こらないだろう。

私も持病の糖尿病対策で、糖質を極力減らす食事をしている。

このところ、おなかの調子が悪いせいもあって、玄米を朝に茶碗八分と納豆、味噌汁だけで、昼は野菜主体のシチューとおかずだけで済ましている。

間食としてはウォーキング後に豆乳ヨーグルト*1、農作業や水泳後に腹が空いたら豆乳やみかんなどを食べている。

夕方にはソイリッチで作った購入した国産小豆の無糖無塩しるこの固まりをつまみ*2に第三のビール(缶350ml)二本を飲みながら一人カラオケをする。

夕食はおかずを主に食べて済まし、たまにうどんが出たりするが、どうしてもご飯が食べたい時はおにぎりを作って貰っている。

家内には米を極力食べない生活をすることを宣言している。


私は文化人類学や民俗学を研究してきたので、日本人がかつてはそれほど米を食べていなかったのをよく知っている。

米依存は明治以降の富国強兵の産物で、どうしても兵糧として必要だった。

平和になった戦後もその流れは変わらず、米だけは自給を果たして万一に備えているが、実態は肥料や燃料を考えると自給など出来ていない。

要するに見せかけの備えでしかないのだ。

最近はカロリーの自給から、栄養の自給に考えが変わってきているのに、JAと結託した政府は改めようとしない。

米作は農機や肥料、農薬と深く結びつき、それに関係する産業を潤している。

有機農業などは、そういう産業にはあまり貢献しないのだ。


私が現在自給できているのは大豆だけだ。

この大豆は安い鶏糞を肥料にして、不耕起で作ったので燃料代はかかっていない。

100mlほどを、800mlの豆乳にして3日ほどで飲んでいる。

ソイリッチを使っているので、おからまで食べていることになり、腹持ちも凄くいい。

それに加えて、輸入品だが蕎麦とキヌアをいれた、タマネギスープを同じようにソイリッチで作って昼に飲んでいる。

これからはタマネギ、ジャガイモやサツマイモ、大豆・小豆を自給して、輸入穀物を減らしていこうと思っている。

モチ麦や高黍、里芋も作ってみたが、モチ麦は機械なしでは手間と時間がかかるし、高黍、里芋は高温障害に弱いことが分かった。


豪農は別として多くの農民にとって、米は年貢、小作料で持って行かれたり、金に換える物で、普段の食糧では無かった。

対して、武士や特権階層、町人は米を主食にしていたようだが、全国の人口比率からすると大したことはない。

そもそも、沖縄・奄美では戦前まで庶民はサツマイモが主食で、北海道では良質米が作られ始めたのは一九八〇年代であった。

「日本人は米が心のふるさと」という作られた伝統をうまく利用されてきただけだ。

今回の米騒動は農家だけの問題で無く、それを利用して設けようとする投機筋の業者の問題ともなった。

命に関わる食料を儲けの対象とする相手には、それなりの自衛手段が必要だ。

それには、都会の人でも出来る国産の安い大豆や小豆*3を利用した「米依存の生活からの脱却」を図らねばならないだろう。


因みに先日、通院している糖尿病専門医院の先生が、私のHgA1cの数値が6.2(60代男性基準値6.0)まで下がっているのを診て非常に驚かれていた。

先生は週に二回している水泳の効果と褒めてくれたが、米依存からの脱却の食事の影響も大きいと私は思う。

適度な運動と米依存脱却の食事は、1000万人を超えると言われている日本の糖尿病患者に適したものだと私は思う。

特に私のように縄文系の遺伝形質が多いと考えられる人は、水稲米を持ち込んできた弥生系の遺伝形質とは違うことを意識すべきだ。

大豆は日本に原種が有ったと言われ、縄文時代からも食べていた。

木の実、雑穀や芋類、山菜も取り入れて、縄文時代に負けない豊かな食生活が健康に繋がると思う。


*1 豆乳ヨーグルトは市販の物を種菌にして家で作っており、ソイリッチを使ったおから入りの豆乳でもソイリッチの発酵で豆乳ヨーグルトにできる。

*2 砂糖が乏しくて貴重な頃はしるこやぜんざいは塩味だったようだ。しるこは冷えると固まるので昔の人も酒のアテとして食べていたという。私は血圧対策として塩も入れていないがそこそこおいしい。

*3 米価が1kgで1000円なら、それと比べてもそれほど高くはないし、栄養面で米よりも優れている。




2025年2月21日金曜日

孤独死大国日本

 私の身近な人が孤独死した。

半世紀ほど引きこもったまま、お母さんが寝たきりになると介護を長くしていたが、お母さんが入院した後は一人暮らしだった。

亡くなったのが分かったのは、死後数日経ってからだった。

いつも届けて貰っていた弁当の金曜日に配達された物が、月曜まで残っていて市役所に連絡を業者がとって身内に連絡があった。

心臓麻痺だったようで、近くに置いてあった携帯電話を使うことも出来なかったようだ。

私の住んでいる村でも半年前に孤独死があった。

二人ともそれほどの高齢ではなくて、共通するのは男の一人暮らしということだが、村の人は自営店の勤めだったので発見が遅れた。

うちの村では数年前にも男性の一人暮らしの孤独死があり、もう珍しくなくなっている。

孤独死の話題には事欠かなくて、私が新任教師の頃に世話になった赤穂市内の人が、風呂の中で孤独死をしたことも聞いた。

奥さんが入院されており、一人で暮らしていたのだが、しばらく経って発見したのは離れて暮らしていた娘さんだった。


つい最近芸能人でも、中山美穂が孤独死したことが話題となったが、もう孤独死はそれほど異常なことと思われなくなっているように思える。

ネットで調べたら、孤独死は日本がダントツに多いようだが、韓国やイギリス、イタリア、アメリカなどでも多いようだ。

最近は若い人でも孤独死の不安があって、スマホのアプリで生存の確認をしている有料サイトやボランティアもあるとテレビでやっていた。

今日(2/23)の朝日新聞の1面には、引きこもりの男性が40歳半ばで孤独死をして1年間も気付かれなかった記事が載っていた。

孤独死は既に高齢者だけのものでなくなっている。


孤独死は亡くなって早く発見されれば良いのだが、そうでなければ大変のことになる。

今回は冬場で腐敗があまり進んでいなかったようだが、暖かい季節や風呂の中で数日見つからなかった場合は、それに対処するのが大変なようだ。

私の知り合いの人は、アパートで自分の上の階の人が孤独死をして、そのシミが天井に広がってしまったと言っていた。

腐敗が進んだ遺体の対処をするのがいかに大変かを、実際に行った人から聞いたこともある。

本来、葬式はそういう状態を避けるために、早々に行われていた。

昔は亡くなった日の夜に葬ってしまうのが普通だったようだ。


我々は、子どもの頃より一人でも生きていけるように、競争社会の中で生きる力を身につけるための勉強を励まされてしてきた。

女性も男性に頼らなくても経済的自立をしていこうと、学歴を身につけてきた。

競争の末に自己実現を果たし、家業とは違う企業や官庁などに貢献して、その見返りとして報酬や年金を手に入れることが出来た。

ただ、みんながみんな安定した職を手に入れたわけでは無く、特に就職氷河期の世代は厳しかった。

そして、たとえ定職についてもそういうところは老後の面倒など見てくれないし、退職後の仲間との親しい関わりはあまりない。

古代に貴族の邸宅で年老いて役に立たなくなった下人が、放り出されたことよりはましなだけだ。

現代は独り身も増えているし、結婚しても子どもも巣立って夫婦だけの二人暮らしが普通となり、子や孫などと暮らすことが稀になった。

夫婦もやがてどちらかが亡くなれば一人になる。

一人になったら施設に入るか、入院するしか孤独死を避けらるのは難しい。


私の母は父の死後に一人暮らしをしていた時には、介護認定を受けて赤穂市から緊急連絡装置を置いて貰っていた。

持病の心臓の調子が悪くなり、それを使って救急車を呼んで入院したこともあった。

これも万全では無いので、これからは毎日無事が分かる装置を、仕事を持たない一人暮らしの人には義務づける必要があるだろう。

それは単なる対処方法でしか無いから、例えば毎日弁当を配達する人には補助金を出して、一言でも会話をしてもらったり、海外のように老人の食堂を作るべきだろう。

訪問介護も政策によってどんどん減らされていて、孤独死もこれからどんどん増えるだろう。

海外から人気が高くて観光客が多くなった日本であり、今年は巨額の資金をつぎ込んだ万国博覧会が開かれる日本。

その日本が孤独死大国と知ったら、海外の人は日本のような国になりたいと思うだろうか?

むしろ、日本人こそ、互いに助け合いながら生きている発展途上国の人々に学ぶべきだと思う。

そして、以前に森永卓郎さんが主張していたネット記事を読んで知ったのだが、ベーシックインカム制度を導入すべき時が来たように思う。

日本人は政策や学校教育、世論によって、血縁・地縁の互助的な関係を崩壊させてしまったのだから、それを国家が補うしかないように思える。

朝日新聞で報道された孤独死男性が「(実家に住みながら)室内に食べ物はなく、通帳の残高は百数十円。財布に現金は残っていなかった」とされていた。

現代は自分の家で野垂れ死にしてしまう時代なのだから・・・・




2025年2月20日木曜日

かすがいでなくなった子ども

 昔から「子はかすがい」と言われ、子どもへの愛情を通して夫婦は仲良く暮らした。

学歴社会が進んで、子どもに教育を受けさせる重要性が増して、夫婦の協力も増してきたように思う。

それは夫婦が仲良く暮らすという意味とは違って、父親は単身赴任をしてでも子どもの学業を優先させたりした。

ある意味これは特殊な夫婦関係と思えるだが、原ひろ子が著した『へヤー・インディアンとその世界』(平凡社)を読むと、似たようなものにも思える。

それによると、

ヘヤー・インディアンの社会には「夫婦が子どもを育て、その子どもが独立してその家庭を離れるまで、一つ屋根の下で暮す」というような時間的持続性はないわけである。彼らの間では夫婦、親子といえども、かりそめの宿を共にしている気持ちで共同生活を営んでいる。

近代日本人:これは長く単身赴任している父親にとって、自宅は「かりそめの宿」に近い。


ヘヤー・インディアン:「男女の同棲は、あくまでも気の合っている間だけつづければいい」という気持ちが流れていることだ。したがって、「偕老同穴の契りを結ぶ」というような考え方はいっさい存在しない。

近代日本人:最近は離婚も増えて、母子家庭、父子家庭も珍しくない・


ヘヤー・インディアン:「乳児は、その子を生んだ母親が育てなければならない」という我われ近代日本人の理念における大前提が、この社会には存在しない。「子どもは、育てられる者が育てればいい」のであって、「それが実の母なら望ましいが、何も実の母に限ることはない」

近代日本人:理念の大前提が崩れてきて、育児放棄や虐待のために養護施設への入所が増えている。


これは生きるのに精一杯であったヘヤー・インディアン(狩猟採集民)とそれほど近代日本人はかわりないということだと思う。

私の知っている人の中には、夫婦の間で子どもができなくて、里子制度を利用して養子として二人も子育てをしている人がいる。

ヘヤー・インディアンは養子制度を老後の問題と絡めて、うまく活用している。

近代日本人には養子に老後を補償して貰えないので、裕福な人しか養子を迎えることはできないだろう。

これは子どもを育てた親にも言えることで、熟年離婚や卒婚もそれを表していると思う。

子どもがいなくても、仲良く夫婦で暮らす生活をしていた方が、老後は安心して暮らせる時代になっているようだ。

場合によっては一人暮らしでも、仲の良い仲間がいる方が安心かもしれない。

その点で言えばヘヤー・インディアンの方が柔軟性に優れているが、ただし古くは常に死を覚悟して生活せねばならなかった。

近代医療に依存させられてきた近代日本人には無理なことだろうが、子どもに依存しない覚悟は必要だろう。





2025年2月17日月曜日

農家から直買している米

我が家では米は近所の農家から直接買っている。

今年は米騒動で価格も相当上がるかと覚悟をしていたが、昨年より1000円だけ高く玄米30kgで9000円だった。

この農家にはなじみのお客さんがついていて、車で買いに来る人もいる。

うちは近所なので配達してくれている。

困るのは夏前頃には売り切れてしまうので、道の駅などの直売所やネットで買わねばならない。

どこも、こんなに安い価格で売ってくれるところは無い。

今回この農家が大幅に値上げしなかったのは、なじみのお客さんを大切にしたかったからだった。


ネットやテレビでは色々と米高騰の犯人捜しをしている。

根本的な問題は、日本の工業発展のために農業を犠牲にしてきたことなのだ。

今は工業以外に観光業が伸びてきて、米の需要が多くなった。

一方で農家がどんどん減少していっている。

近隣の地域では、田んぼの所有者が専業農家に頼んで米を作って貰うのに苦労している有様だ。

専業農家も手間と費用のかかる米よりも、転作して補助金を貰って収入を得たりしている。

その補助金も見直すと言うことで、今年は小麦を作っていた農家も作るのをやめてしまっている。

これから水田も荒れていって、いずれ太陽光の発電所になるかもしれない。

少し前に、赤穂の大津に久しぶりに行ってみたら、水田や畑が殆ど太陽光発電になっていた。

我が家の近くの山際の農地は荒れ果てて大木や竹が茂っていたりしたが、大がかりに太陽光発電の用地に変わっていっている。

やがて、平地の水田もそうなっていくかもしれない。


幸いなことに、今米を売って貰っている農家には後継者がいて、もうしばらくは米を安く分けて貰えそうだ。

こういう農家が一軒でも生き残れるように、村に住んでいる人も協力している。

水田の用水路の溝掃除や、道つくり、畦焼きなどがそうだ。

都会の人は田植えや稲刈りしか興味ないかもしれないけど、水田は地元の人の下作業によって成り立っている。

と言いながら、うちのような転入者以外は農地を所有しているので、家の農地管理の延長上である。

もし、これが失われれば、企業化して賃労働でやらねばならなくなり、米価は高く設定しなくてはいけないだろう。

近くでもそういう企業化した農家があるが、ドローンや大型重機を使っての米作りになっている。

これから溜め池や用水路、農道の管理が大きな問題となるだろう。

殆ど村の人のただ働きで成り立っている管理を、企業農家がやらねばならなくなる。

効率化を図って除草剤を多用すれば自然破壊にもつながるだろう。

もう、コウノトリは来なくなるかもしれない。







 

2025年2月14日金曜日

狩りをする野良猫と元野良犬

赤穂の海岸近くには野良猫が居着いている。

決して、打ち上げられた魚を拾ったりするためではない。

餌を持ってきてくれるのをあてにしているのだ。

先日は見晴らしの良い赤穂御崎の海岸公園で散歩していたら、猫の鳴き声が聞こえてきた。

そして、しばらくするとおじいさんが自転車に乗ってきて、その猫にメザシらしき物を与え始めた。

どちらかというとみすぼらしいおじいさんは、わざわざ坂道を猫のために上ってきたのだ。

これはここだけで無くて、赤穂の唐船海岸でもおばさんが餌を与えているのを見かけていた。

そして、餌をやらない私にまで、近づいて鳴きながら餌をねだってきたりした。

家で猫の飼えない人には、こういう猫とのふれあいが楽しいのかなと思う。

私は猫に好かれるタイプで、村落調査などではそこで飼われている猫がよく膝の上に乗ってきた。

実は、私が幼い時に船に乗せられて生活した頃は、猫が船で飼われて共に暮らしていたのだ。

猫も飼いたいと家内に言うのだが、部屋を片付けるのが先だととりあってくれない。


近所でも猫はいるのだが、決して人に媚びないし、犬の散歩中では天敵だ。

クロが見つけると追いかけて猛ダッシュしてしまう。

そのために握っている引き綱で制止するのに、どれだけ痛い思いをしたか分からない。

先日も、池のそばの茅の叢の前で、猫が座ってじっと眺めている。

こんなところに餌など落ちていないのに何をしているのか、遠くを散歩しながら眺めていた。

しばらくすると突然草むらに飛び込んだら、ヒヨドリが飛び立った。

鳥を狙っていたのだ。

夏に虫を捕って食べている猫を見かけたりしたが、鳥を狙う野良猫を見るのは初めてだった。

因みに、トラも雀などの幼鳥を狙って成功することがある。

散歩の途中でいきなり道ばたのヒバリをしとめて食べてしまった。

口元を見ると可愛い鳥の足が見えたので、哀れに思った。

餌をちゃんと与えているのに、野良犬時代の味が忘れられないらしい。


餌を与えて貰える街の野良猫と違って、田舎の野良猫は自立して生きている。

今は野良犬がいないので、昼間は野良猫の独断場だ。

時に、人が田畑に捨てた残飯を漁ったりしているが、本命は草むらや田畑に棲む小動物や昆虫だ。

それは野生の狐ともかわりはないが、狐は昼にはさすがに活動していない。

人に媚びることなく、たくましく生きていて、同じ猫を何度も見かけることも多い。

私もこの逞しい野良猫を見習って、すこしでも自立して生きていこうと思っている。

これからは、野良人だと言えるくらい逞しくなりたい。








2025年2月9日日曜日

心身の支えとしての孫

先日、大学のゼミの同窓生に孫が誕生してじいさんになったので、ライン仲間で祝福のメッセージが寄せられた。

その時に、「ばあさん仮説」を引き合いに、「じいじもばあば」も長生きできるよとメッセージを送ったが、実は正確さには欠けていた。

本当は「男性は高齢になっても繁殖力が続くのに、女性のほうは人生の半ばで子供を産まなくなること」に対する仮説で、子育ての手伝いにばあさんの長生きの意味がある。

しかし、現実的には男性は若い世代と同じように働いていたら、短命に終わるだろうし、老いてから子どもをもうけることは困難だろう。

だから、じいさんにとっても、孫との関わりが長生きを促したようにも思える。

そういえばニューギニアだったと思うが、じいさんは歳を取ると男小屋で、少年と一緒に暮らす例も有ったと思う。

子どもに神話を聞かせたり、狩りや農作業の手ほどきをするのもじいさんの大切な役目だったと思う。


私の父は子どもに対しては、幼い頃は可愛がっていたと思うが、大きくなるにつれかなり厳しく関わっていた。

だから、幼い頃の可愛がられた記憶が忘れられて、思春期に喧嘩した想い出が強く残ることになった。

子どもは男だけで4人もいたことにもよるが、父は職工の気質によって弟と取っ組み合いをしていたようだ。

私の若い頃は父も若くて元気だったので、迫力で負けていて挑もうとは思わなかったが、弟らの時はそれを失っていたのかもしれない。

そういう父は、幼い孫に対しては非常に甘くて、よく可愛がっている姿を目にした。

逆に母は子育てのしんどかった記憶のせいか、孫との関わりはそんなに楽しんでいなかったように思う。

父が死んだ時には、その頃一番幼かった孫の夢枕に立ったことが弟から聞かされた。


2月8日付の朝日新聞の記事で、子ども夫婦の離婚で孫との関わりを失ったじいさんが孫の母親に対して殺人未遂事件を起こした事例が紹介されていた。

生きがいとなっていた孫との関わりを絶たれて精神的に追い込まれてしまったようだ。

実の父には会う権利が認められても、祖父には認められなかったのが大きな原因だった。

母親は祖父が子どもにとって無用と思ったのかもしれないが、祖父にとっても孫にとっても、その関わりは大切なものだったようにも思える。

最近は子どもを虐待する肉親の話ばかりがクローズアップされるが、子どもを通しての絆が結ばれている関係を無視されてしまっている。


ばあさん仮説が正しいとしたら、高齢者が子育てに不要となれば人間の寿命が短くなってしまうことになる。

それは、現代のように高齢者でもできる仕事が無く、年金制度や生活保護で生活も保障されなかった時代や地域の話である。

日本では子育てに役割を失っても長生きできるようになった一方で、抜け落ちてしまったのが幼い子どもとの深い関わりだろう。

多くの高齢者がその代償としてペットを可愛がるのも仕方ないことなのだと思う。

そして多くの高齢者が自分たちだけで娯楽を楽しみ、若い世代との関わりをどんどん失っていっている。

そして、孤独死を迎える人も少なくない。

長寿であることの意味を問い直さねばならない時代だと思う。







2025年2月6日木曜日

フィジカルな修理と治療

 私はスキャナーを使う機会が多いのだが、時々キャリッジというセンサー部分が動かなくなっていた。

重い書籍などをスキャンする時になるので、原稿台のガラスが接触しているだろうことは分かった。

そこで、分解して改善しようと思ってネジを外したが、中まで開けることが出来ない。

それで諦めて、ネジは緩めに締めて再チャレンジした。

するとどうだろう、スムーズに重い書籍でもスキャンすることが出来るようになった。

おそらく分解する時に逆さまにしたので、ガラスとキャリッジの隙間が開いたらしい。

ところが、しばらくしているとまた動かなくなった。

今度は分解せずに逆さまにして、また従来通り動くようになった。

修理に出したら、時間と費用がかかっただろうが、それを単に逆さにするだけで節約できている。

CMでディスプレイを叩いて直そうとするシーンがあるが、意外とうまくいくのかもしれない。


一方で私はこのところ前立腺の調子が悪かった。

以前から尿の出が悪かったので、漢方を飲んだりしたのだが、十二指腸潰瘍になって以来飲まなくなった。

そこで、なぜ悪化したのかを考えてみた、やはり十二指腸潰瘍と同じく座りっぱなしが良くないことに気がついた。

可動式椅子だけで無く、円座も必要だと思って調べたら、前立腺炎にも効果があると書いてあった。

一時は前立腺癌も疑ったが、おそらく炎症を起こしたのだろと判断した。

普通の椅子はどうしても前立腺を圧迫することになる。

若い頃なら問題なかったことだろうが、この歳になると負担が大きかったのだ。

長い時間椅子に座っていると、尿の出も悪く軽い痛みが感じられたので確信した。

今のところ、可動式椅子と円座を利用して前立腺炎の症状は改善し、それなりに自信も取り戻せている。


私はこのように十二指腸潰瘍と前立腺炎を自分で治療すべく、可動式の椅子と円座を用いてPCのキーボードに向かっている。

今まで椅子に長く座ることが危険であることは、エコノミー症候群で知ってはいたが、他にも色々と悪影響を及ぼすことに気がついた。

むしろ、胡座や正座の方が長く座るのに適しているように思えた。

調べたら胡座用の椅子も売ってあることに気がついた。

そういえば身体の小さい家内は、楽だと言って車の助手席では胡座をかいたりしていたことを思い出した。

座禅も全跏の姿勢ですることを考えれば納得できる。


とかく、治療には薬やサプリに頼りがちになるが、自分の身体の扱いで治療すべきことが多く有ると思う。

NHKの「あしたが変わるトリセツショー」で、膝の痛みを運動によって解消することをやっていた。

要するに、現代の当たり前の生活での落とし穴を、しっかり意識していなければいけないといういうことだ。

私が20歳代で十二指腸潰瘍を患ったように、単なる加齢の問題では無い。

現代の文明生活には、思わぬ危険が潜んでおり、それを解決するのは薬やサプリだけでは駄目だということだろう。



2025年2月4日火曜日

加齢食で生活防衛

 岡山弁で「カレーを食べていカレー」といいう面白言葉がある。

「○○していカレー」で「○○していきなさいよ」という意味になる。

私にはむしろカレーは加齢の方に意味が傾く。

「年とったら、加齢食を食べんさい」と普通に言いたい。

歯が悪くなり、胃腸が弱ってきた高齢者に相応しい食事を心がけねばならないと言うことだ。

今回十二指腸潰瘍で思い知ったのは、もう消化に悪いものや、強い酒が飲めなくなったということだ。

左の奥歯の2本が部分入れ歯だが、外したまま食事をして、右の奥歯の歯茎が痛くなったりしている。

だから、固いものを噛むのが苦痛になってきている。


そんな折りに、ソイリッチを買って以来、豆乳だけで無く、しるこや野菜スープを作るように心がけている。

「ためしてガッテン」で小豆が良いと知って、炊いてそのまま食べたり、甘酒風にしたりして食べていた。

十二指腸潰瘍を再発する前は、雑穀米にも混ぜたりしていた。

今は、ソイリッチでしるこを作って、夕方にビールを飲む前に食べている。

しるこは冷蔵庫に保存すると、ゼリーのように固まってしまうが、江戸時代は塩味で酒のあてにもしていたそうである。

そして、何よりも塩や砂糖を一切加えなくても、美味しく食べられている。


野菜スープはネットや健康雑誌で取り上げられていたので、湯がくだけのを作ったが持て余して、結局捨ててしまった。

ソイリッチを使って、タマネギ、ニンニク、人参にブイオンを加えてポタージュにするとけっこう美味しくて食べきることが出来た。

今回は、以前買ってそのままにしていたむかごも入れてみたが、粘り気は豆乳で薄めて良い感じでおかずになった。

何よりも、消化に良くて胃にもたれない。

腹持ちもそこそこ良い。

今度は、親芋を使ってポリネシア料理のポイを作ろうと思っている。

今後、畑で取れた芋類などは、ポタージュにしてしっかりと美味しく食べられそうだ。

政府の無策で高騰した米からの生活防衛にもなる。



2025年2月1日土曜日

歌って踊れサピエンス

先日の金曜日に図書室に行った折に、同じ施設内にある大ホールでカラオケ大会が行われていた。

驚いたのは、朝から夕方までの終日設定されており、歌声が館内に響いていた。

平日にすることが出来るのが、高齢者の強みだろう。

そういえば、以前にも昼に出くわして、弁当を受付で渡していたのを見かけたことがある。

コロナ以来、カラオケは下火になったと思っていたが、田舎では根強く残っていたのだ。

ただ、以前は何処にでもあったカラオケボックスなどは見かけなくなってしまった。

私の親兄弟が正月や盆に集まると、必ずカラオケに行っていたのだが、もうそれがなくなり、長い間そういう場所に行っていない。

私はもっぱら、夕方に缶ビールを飲みながらPCで一人カラオケをしている。


今読んでいるアンダマン人の民族誌*で驚いた記述があった。

  誰もが自分の歌を自分で作る。他の誰かが作った歌を(ダンスで)歌う人はいない。伝統的な歌などない。(中略)彼は女性コーラスを親戚の女性1人か2人に教えるようにします。そうすれば、彼女たちが女性コーラスをリードすることができます。 彼は自分の歌を歌い、それが成功すれば何度か繰り返し、その後はレパートリーの一部となる。なぜなら、どんな年齢の男でも、いつでも繰り返し歌う準備ができている歌のレパートリーを持っているからだ。


ちゃんと、自分で作詞作曲して、親戚の女性に協力してもらって、歌うのが男の嗜みなのだ。

現代のアーティストが自分で作詞作曲するように、ここの狩猟採集民の男は自分の歌を作って歌うのだ。

私もオリジナル曲はあるが、一度だけ県立大附属高校の離任式で、生徒の前で歌っただけである。

それは附属高校の想い出を歌にしたものだった。

本当はカラオケのようにヒット曲を歌うよりも、自分のオリジナル曲を歌えた方が良いのは分かっている。

でも、プロの歌の方が、当然素晴らしいので、そちらに頼っているのだ。

かつて、私の高校時代はギターを弾いて歌うのが当たり前で、カラオケはまだそれほど普及していなかった。

だから、プロの歌も自分の歌のように歌えたのだった。

そして、ギター1本でどこでも、皆と一緒に歌うことが出来た。

今は、その気になればPCとスピーカーでどこでもカラオケは出来る。

誰もが参加できるカラオケの集まりができれば、孤立した人を減らせるのではないかと思う。


歌の苦手な人もいるだろうから、そういう人は手拍子をしたり、踊ったりすれば良い。

その場に一緒にいるだけでも良いように思う。

かつて琉球では三線や太鼓で普段から楽しんでいたと思う。

今でも沖縄では結婚式の最後はみんなで踊って閉めるそうだ。

暮らしの中に歌や踊りが根付いているなんて素晴らしいことだろう。


近年子どもの自殺が増えているようだ。

学校は競争の場だけになって息苦しくなっているのかもしれない。

かつて勤務した特別支援学校では歌と踊りを授業に多く取り入れて、楽しめる雰囲気を大切にしていた。

それを普通校は学ぶべきだと思う。

私は赤穂高校で担任していたクラスでカラオケ大会をした想い出が忘れられない。


*A. R. Radcliffe-Brown, The Andaman Islanders, Cambridge: Cambridge University Press, 1922.