私は中学校から受験して私学に通っていた。
家は裕福では無かったので、公立にはない授業料を支払うために親は苦労していた。
赤穂市からも奨学金を借りたり、母の親姉妹からも援助を得ていた。
だから、勉強をせずに遊んだり、ボーとしていると必ず父から高い授業料のことを持ち出せれて怒られていた。
私は元々勉強が好きだったわけでなくて、小学校では学校以外で勉強することは無く、担任の先生がゴンタクレの私を案じて母に奨めてくれたのだった。
その担任の先生の口利きで通い始めた進学塾でその気にさせられて、半年あまり必死で受験勉強して144人中24番の成績で合格した。
最初は、受験の延長で中学入学後も勉強を真面目にして、2年生頃までは上位の成績を保っていた。
しかし、もともとの奔放で遊び好きの性格が表に出始めて、バンド活動や女性との恋愛にのめり込んだ。
それ以来、大学に入るまで父親とは金のかかる私学の負い目を背負いながらのいさかいが続いていた。
結局、大学受験も失敗し浪人までしたのに、一流でない私学*しか受からなかったので、その結果への父の対応は厳しかった。
私学なら叔父の家に世話になるという条件で、名古屋なら許されたので仕方なく滑り止めに受けた。
別日程だった小樽商科大学は遠方過ぎて諸経費がかかりすぎるので、願書さえ出させて貰えなかった。
大学で授業料は払ってくれたが、叔父の物置長屋の居候からアパートに移っても、家賃が月に1万円かかるのに仕送りは2万円しか無かった。
期待はまじめに勉強して翌年国立大学に入学した弟にかけられて、一方の私は就職に関しても期待されなくなって、もう金を理由に指図されることは無くなった。
何とか特別奨学金3万6千円を途中から手に入れて、倹約した生活や土木作業のアルバイトなどで奄美にも自費で村落調査に行けていた。
ミュージシャンになる足がかりも失って、世間知らずで夢を追うことしかできない自分が、本気で取り組めたのが文化人類学という学問だった。
親からも期待されず、私学の負い目で貧しい暮らしとなっていたが、恋人もできて楽しい日々も過ごすことができた。
進学した大学院は公立であり私学の負い目は無くなったが、大学以上の進学は親は認めていなかったので一切の援助は無かった。
3番目4番目の弟の大学進学が予定されており、中学高校と公立だったふたりには、下宿して私立大学行くのが普通だったので全く親にはゆとりが無かった。
大学院では入学当初は奨学金募集枠が1人しかなく、親の収入が競争相手で社会学院生の親(自営業)よりも高かったので、選考に落ちて受けられずにいた。
それで家庭教師などのアルバイトに明け暮れたが、2年目から伴侶からの支援を受け、親の扶養から外れたことで得られた奨学金で何とか研究は続けられた。
そして、授業料を払わずに済むために1年間休学して、3年かけて修士論文に臨んだ。
しかし、元々修士だけと教官から宣告されていた上、研究の仕上げ方を誤り進学レベルに達せず、他の大学院も奨められたが私学だったので学資のめどが立たなかった。
何とか研究を続けようとしたが、伴侶との生活も終わることになって、再起を期して教師になるべく実家に戻らざる得なかった。
多額に積もった奨学金の返還を免除されるには、教師になるのが一番だったからだ。
母は私の最悪事態を恐れていたので温かく迎えてくれたが、父は厄介者が帰ってきたという気持ちをあからさまに表した。
それでも臨時教員として働きだし、教員採用試験に受かってからは手のひらを返したように協力的になってくれた。
それ以降、私学で負担をかけていた親への負い目からやっと解放されることになった。
ただ、中学校から私学に行きながら、大学は一流でない私学しか行けなかった負い目は死ぬまで残ることになってしまった。
以前にも書いたことがあるが、先輩の中には関西ではトップの私学に入りながら、恥ずかしいと言って自殺した人のことも聞いていた。
私学の負い目は単に経済的な問題だけでは無いことも、留意せねばならないと思う。
私学の授業料が無償化になることは、経済的な負い目から解放されることかもしれない。
無償化になれば勉強しなくなるという人もいるが、それは人それぞれだろう。
私のように多額の負担を理由にけしかけられていても、勉強しなかった者もいる。
しかし、私学の自由な校風やそこで得られた仲間との体験が、その後の人生を形作ってくれている。
私は学歴ロンダリングのお陰と、教師になった同級生も多いので、高校の同窓会には色んな仲間に会いたくて今でも必ず参加している。
私学もスパルタ教育指導していたところもあるし、私の母校のように自由で生徒の主体性に任せるところもある。
世界が多様化していく時代だからこそ、それに応じた生き方ができる若者を育てる必要が有ると思う
おそらく、公立中学・高校もそれなりの特色を出さないと入学希望者が減ってしまうだろう。
授業料の無償化になれば教育内容・指導法、集まってくる生徒資質によって学校が選ばれる時代になるということかもしれない。
そして、大きな所得格差が生じないように、私立の小学校や中学校の授業料も無償化した方が良いと思う。
不登校が多い現在において、それを防げる私学をもっと作るべきだと思う。
仕事が多すぎる上、縛りの厳しい公立の教員では対応が困難だと思うからだ。
因みに、私の高校の担任は部活指導を殆どしてなかったし、自宅で塾もして同級生を教えていたようだ。
ただ、私学にすすむことは精神的な負担のリスクを背負うことだけは知っておくべきだと思う。
*曽野綾子『太郎物語』では、太郎さんは慶応大学の補欠を蹴って、あえて南山大学の文学部人類学科に入学されたが、私はそこしか合格できなかった。南山大学に関する物を調べたり、過去問をやっていなかったので人類学が何かも知らなかった。当然、当時は『太郎物語』は全く知らなくて、NHKの『太郎の青春』が放映されたのは大学2年の時だったが、下宿にテレビは無かったので殆ど観ていない。太郎さんは既に院生だったが、飲み会で議論した懐かしい想い出もあるし、聴講生だった奥さんの暁子さんとは机を並べてフランス語の勉強をしたことも懐かしい。