家内は学童で働いていて、普段は昼食を一緒にとってから出かけていく。
ところが、長期休暇とその前後は午前中からの勤務になるので、一緒に昼食は取れない。
完全退職した昨年度も春休みや夏休み、冬休みには昼食は一人で食べるのが普通だった。
ただ、非常勤講師から解放された気分で春休みを過ごし、夏休みは昼食時間にプールに出かけて、腹を空かしていたので夢中で食べていた。
だから、淋しい孤食という感覚は無かったが、現役の頃はゆっくり食事のとれない職員室よりも、準備室の方での孤食の方が気楽で良かった。
ところが、年金暮らしも2年目になり、人との関わりも薄れているので、食事は家内との会話が大切なおかずになっていた。
初日の昨日(3/19)も、たまたま孤食で食欲がわかずにおかずは残したので、帰ってきた家内に「淋しくて食欲が無かった」とわざとぼやいてみせた。
このところ、人との関わりが薄れているのを改善しようと思っていたので、孤食を避けるための理由で街に出かけて、食べようかなと考えていたからである。
孤食で思い出すのは、一人暮らしをしていた母のことだ。
母は利用できる有料老人施設の食事が不味いからと言って、入所せずに病院から退院後は老健を経て自宅でひとり暮らしていた。
週に3回はデイサービスで昼食は食べていたが、そのほかは宅配の弁当や私や訪問ヘルパーさんが買ってきた具材で自炊していた。
私は母のため買い物する時は、昼食の弁当も買っていったが、一緒に食べて欲しそうだった。
私は色々と用事もあったし、二人で弁当を家で食べるのも気が進まなかったので、滅多に一緒に食べなかった。
結局、食生活も良くなかったのか病気を再発させてしまい、再びしばらく入院した後は有料老人施設に入ることになった。
それなら、自宅に戻らずに最初から施設に入っていれば良かったのだろうが、自分の好きな物を食べたいという食欲がそうさせたのだった。
もし、昼食だけでも毎日孤食を避けて食べる場が、あったら健康はもう少し保てたかもしれない。
家内の母も、コロナが原因で閉じこもるようになり、週に一度家内と買い物した具材を使って自炊していた。
やはり、孤食は食欲が出ないらしく、体重もどんどんと減っていった。
認知症が疑われたので、何度も介護認定を勧めたが、自分は大丈夫だと頑として受けようとしなかった。
そして、とうとう肺炎を起こしてしまい認知症も進んで、嫌がるのを無理に救急車で入院させて現在に至っている。
コロナの流行る前は外に良く出る人で、こんなことになるとは予想だにしていなかった。
孤食による栄養不足が病気や認知症を招くことを、本人が意識して気をつけなかったことが一番の原因だが、周りもそれなりの配慮ができたら良かったと思う。
私の孤食は昼だけで、しかも長くて1ヶ月程だけだ。
私は最近は滅多に昼には酒は飲まないが、以前の私だったらつい手を出しているかもしれない。
自由に食べられて、意見されることも無いから、家内が用意した物とは違う物に手が出てしまうことも確かだ。
実は大学院時代に修士論文を書いている際、昼はずっと孤食で、自分で唐辛子の良くきいたパスタを作ったりしたのが、十二指腸潰瘍の原因とも思える。
最近は「孤独のグルメ」など、孤食では無くて個食がドラマなどで人気があるが、一緒に食べる人がいないので、食事に集中させられるからだろう。
本当は、一緒に食べる人との楽しい会話が、一番良いスパイスになるはずだと思う。
そして、テレビを見ながら食事をするのは孤食を癒やしてはくれるけど、家族一緒の時は個食を促進してしまうので、これも考えものだ。
狩猟採集民や初期農耕民などは、仲間や家族とする食事をなによりも大切にしている。
我々文明人は食事の内容は豊かになったが、あり方は貧相になってしまったようだ。
鍋や焼き肉もひとりで食べるのが普通になってきている。
おひとりさまは施設に入っても、元気な内は個食を続けられるのだろうが、いずれ介護が必要となって個食ができなくなるのだが・・・・・
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