ページビューの合計

2025年4月29日火曜日

米が高けりゃパンの耳

 私が家内が焼いてくれたパンは、パンの耳を第一に食べるというと、「奥さんに白くて美味しいところを食べて貰ってるのね」と言われる。

とんでもない話だ。

家内自身はあまりパンの耳は好きではなさそうだが、私は焼きたてのパンは耳の部分が一番美味しいと思っている。

米高騰の折に、自家製のパンを焼くことが復活した。

パンは糖尿病にはあまり良くないので、焼いて貰っていなかった。

ところが全粒粉のパンなら悪くないと言うことで、全粒粉のもち麦を手に入れてこのところずっと自動パン焼き器で焼いて貰っている。


今は米高騰の対策だが、かつて学生時代は耐乏生活で欠かせない物だった。

パンの耳を普通の食パンを買うついでに30枚ほど5円で買った。
当然、食パンよりパンの耳を買うのが目的で、パンの耳が置いてあるのを見計らってその店に入った。

恥ずかしいので食パンもついでに買ったが、パン屋さんはその目的は見透かされていた。

当時、同じようにパンの耳を買う人も他にいたので、ある意味では争奪戦だった。

毎朝、パンの耳を2枚焼いて食べるのが日課であった。

夏場はカビが生えるので、卒業生から貰った冷蔵庫で大切に保存していた。

当時は仕方なく食べていたのであって、金があるときにはフランスパンを買って食べた。

私はこのパンの耳と昼食の冷や奴とご飯で耐乏生活を乗り切っていた。


今は当時ほど倹約する必要が無い。

高い米を買わされるのが癪なのだ。

政府、JA、農家がもたらした米危機に自分なりに強かに乗り切りたいのである。

今年はもち麦を作って玄米に混ぜて食べたのだが、家内も私も腹痛を起こしてしまって、来年からは栽培をやめようと思っていた。

しかし、これから引き続きもち麦は作り続けることに決めた。

今パンに用いているのは買ったもち麦だが、これからは自家製のもち麦を使おうと思っている。

パンに必要な強力粉は今のところ買うしかないのだが、いずれ自分でも栽培してみようと思っている。





2025年4月27日日曜日

コウノトリの愛の結実と村(上郡町中野)

やっと我が村に愛の巣を築いて卵を抱き続けていたコウノトリにヒナが誕生した。 
以前に「コウノトリの愛の棲」で何度も何度も電力会社によって撤去されたり、暴風で吹きとんだりしたことを書いた。
今年は有志グループによって寄付が募られて、私が住んでいる村に巣作り用の鉄塔が建てられていた。
ところがせっかく建てられたのにそこには巣を作らず、隣村の電信柱に巣を作っていた。
しかし、結局電力会社がその巣を撤去して、巣作り用の鉄塔に木枝を移動させた。
コウノトリは移動させられても、その付近が気にいっていたのか近くの別の電信柱でまた巣を作った。
これもまたもう一度移動させられたので諦めて、巣作り用の鉄塔の方に卵を産んだのだった。

それから、しばらくその巣に卵を抱いているコウノトリが見られた。
座っているし、巣は木枝で覆われているので、頭の部分しか遠くからは見えなかった。
私はどこから一番見ることが出来るか知っているので、夕方に愚犬クロの散歩がてら覗きに行ったことがある。
その時には、鉄塔を設置するのをボラティアとして活躍して、その後も見守り続けている隣村のOさんに出会った。
実は今年はこのOさんの家の近くの電信柱に最初巣を作っていた。
彼女はスマホで動画を撮っていたが、知り合いなので声をかけた。
彼女は「そっとしてあげてね」と言っていたが、集落の人は普段通りの生活をするだけだった。
ただ、巣作り用の鉄塔を建てているところに近いJAの物置場には、立ち入り禁止の立て札があった。
私もそれっきり散歩で見に行くことはしなかった。

コウノトリが抱卵し始めてから、近くの道路や公園で車が停められたり、ハイキング姿の年配女性を見かけることが増えた。
そんな折り、それと関係しているかどうか不明だが、その近くの村の公園の水洗便所が流れっぱなしになり村の自治会は12万円の出費を強いられてしまった。
そして、その負担として各家は2000円の負担を強いられてしまった。
その水洗便所を使わせないためにその公園には車侵入防止の障害物とロープが張られ、結局は便所は使えないように水道を止めてしまった。
本来は公園なので車を入れること自体おかしいのだが、そうすることで路上駐車が増えて通行の邪魔になってしまう可能性もある。
見通しの良い場所なのだけど、これから田植えの季節だからトラブルにならなければ良いと思う。
とにかく、色々とマスコミ等で報道されて以来、週末には車で来た見物客が増えて、狭い村の中にも入り込んできている。

この村周辺は過疎が進んで、子どもの数も減る一方である。
私の子どもが通った幼稚園も民間に払い下げられて、カラフルな工場に変身した。
閉園してからそこで開業していた「モリンガの里」は、幹線道路沿いのもと酒店跡に引っ越してそこそこ人気がある。
ただ、金、土、日だけの営業で、昼食時は開いていない。
こういう有志の企画やボランティアに頼るしか無いのが村の実情だ。
このコウノトリのヒナの誕生をきっかけとして、上郡町全体で村を盛り上げて欲しいと思う。
それは派手な観光化によってではなく、コウノトリの棲む自然豊かな場所として、ゆっくりその自然を味わってもらったり、子育てに住んでもらいたい。
それには、前回のブログで書いたように、春は春らしい景色が失われるようじゃ、コウノトリの棲む場所としては情けない。
また、産業廃棄物の最終処分場の設置やゴミの不法投棄問題を抱えている実情を多くの人に知ってもらって、自然豊かな上郡町を維持する応援をして貰いたいと思う。





2025年4月25日金曜日

春なのに冬景色

 

除草剤で枯れた畦と緑の田んぼ

田んぼは青々と草に覆われ、場所によってはレンゲの紫色がきれいだ。

それなのに、畦は茶色の枯れ草に覆われて、冬に逆戻りしている。

先日大型のトラクターに噴霧装置を付けて、除草剤を撒いているところ出くわした。

人手をかけずに畦の草を抑えるには除草剤が一番コストに見合うようだ。

この頃は、稲を自分で作る農家が減って、大規模経営の会社に委託している人が多い。

経営者によっては草刈り機を使って自分で刈ったり、シルバー人材に委託する人もいる。

この景色は扇状地になった集落の田んぼに限られてはいる。

しかし、つい最近までコウノトリが餌を取りに来ていたところでもある。


やがて、田んぼも耕され、水が張られてくると稲の苗が植えられるまで、全くの冬景色になる。

ちゃんと調べたわけではないので、専門家に調べて貰いたいが、除草剤で畦を枯らした水田とそうでない水田の生物棲息状態の違いを調査すべきだろう。

みんなに寄付を募って、営巣できる鉄塔を建てて、そこに実際にコウノトリは抱卵している。

その一方で、餌となる生物の数を減らしていくのはどうかと思う。

除草剤で蛙や蛇は死なないと思うが、食物連鎖で一番弱い立場にある昆虫類の生息場所が失われることは確かだろう。

それは結果的に強い立場にある動物の死にも繋がっていく。

別の場所のコウノトリ(2025/04/25)

これから外国から米を輸入すべきかどうか、議論がなされていくのだろう。
これまで安い野菜が中国から入ってきても、人気はさほど無かった。
アメリカの米が安全であるかどうか検討する必要があると思う。
以前から小麦に関しても農薬やポストハーベストの問題で、国産の小麦に拘る人もいる。
アメリカと同じような大規模経営の方式なら、規模において絶対太刀打ちできないだろう。
それに対抗できるのは安全で安心できて、美味しい米だと思う。
春に冬をもたらすやり方はそれにはなじまないように思う。









2025年4月23日水曜日

海豚の如く海へ!

 昨日からプールでフィン(足ひれ)を付けて泳いでいる。

予め使用の確認をとってあるが、都会のプールでは普通は使用禁止だろう。

以前は、学校のプールで生徒と一緒に泳ぐ時に、クラブで買っておいたフィンを付けて泳いだ。

生徒は滅多にフィンは付けないが、キックの強化にたまに使っていた。

自分は生徒のスピードについていくために用いた。

特にバタフライや背泳では役に立った。


実際に今回フィンを使ってみると、クロールではそれほど早いタイムで泳げていない。

むしろ、足に負担がかかって、重く感じられた。

やはり、バタフライの練習を始めてから、フィンの威力を感じ始めた。

キックにしろ片手バタフライにしろ、普段回すタイムよりも10秒ほど早く回せた。

そして、何よりもバタフライのスイムは50mを50秒をきって泳ぐことができた。

普段は軽く1分はかかってしまう。

しかも、それほど辛くは無い。

25mも20秒ほどで泳げてしまうし、楽だ。

背泳に関してもキックがしっかりと打てるので、早い回しで泳げるし楽に泳げた。


このフィンを練習で使えることによって、練習が楽しくなった。

先日は別のプールで隣の若い現役選手が練習に使っていて、その迫力に魅せられたが。

今度は私も彼の横で彼の泳ぎに少しでも近づけたらと思う。

これまでは糖尿病治療のために義務的に泳いでいたが、これからは楽しみでも泳げそうだ。

週3回といわず、週4回や5回もできるかもしれない。

そして、何よりも海で使うこともできる。

今まではSUPで泳ぐことはやっていなかったが、これからはオープンウォーターとしても楽しみで使えるし、シュノーケリングをしても良さそうだ。


これで、私は文字通り海豚に一歩近づいたことになる。

どうしても水泳は孤独で周りの変化に乏しい運動になってしまう。

水族館のイルカは芸をしているときは楽しげに見えるが、狭い水槽を泳いでいる様子は哀れにさえ見える。

深さはあるが広さでは人のプールに劣っている。

ただ、人もコースロープで仕切られたコースの中を行ったり来たりするだけだ。

水族館のイルカとあまり変わりは無いかもしれない。

海に出て初めて自然に生きる海豚に近づけそうだ。


















2025年4月20日日曜日

連れ添ってきたギターへの思い

 私が今も使っているフォークギターは中学校3年生の時に、友人と一緒に店に行って、彼に勧められて買ったヤマキのギターである。

因みに彼はベーシストで、高校卒業までバンドを組み続けた相棒だ。

彼は音楽性に優れていて、いつも彼の指導を受けていたのが実情だった。
1976年の高校文化祭で私のギターは、彼が完全コピーした"Here Come the Sun"で奏でられて、私が歌った。
その後は、私も志望したが落ちて彼だけが早稲田大の軽音楽部に入ったが、結局は研究者になった。
彼に勧められて買ったギターだが、他のアコギは触ったことが無かったのでその良さはよく分からなかった。
ネックが細くて弾きやすいギターだったにも関わらず、ボーカルに力が入っていたのでちゃんと練習しなかった。
だから、いつまでも上達しないままであった。
それでも、糸巻きを途中で換えた以外は、大切に使ってきた。

たまたま、知り合いの先生に見せたら、実は彼もヤマキのギターを大切持っているという。
しかも、彼のは当時でも10万円以上もする物で、今ではプレミアがついて何十万円もするという。
私のは23、000円で初心者向けだったので、大した値段はつかないと思うが、それなりに価値があるとは思う。
かつてはヤマハと並ぶくらいのメーカーだったらしいが、今は殆ど見かけなくなった。

私は前々から上級者向けのアコギが欲しかった。
というのも、以前に一緒に高校の文化祭でユニットを組んだ先生が、自分のギブソンのエレアコを使ったのでその音の素晴らしさを実感したからだ。
Martin、Gibson、Taylorなど海外の物も良いが、日本のK.Yairiが良いと思って、ずっと調べていた。
このところ、ギターの練習も頑張りだしたのだが、どうも音が悪い。
それもそのはずで、かれこれ5年以上も弦を張り替えていないのだ。
家内には音が悪くなったので、良いやつを買いたいと言っていた。
家内はピアノの調律で弾きもしないのにお金をかけていた負い目もあって、良いよとは言われていた。
しかし、いざ弦を張り替えて、元の良い音が出ると「これで良いか」と思ってしまう。
大してうまくも無いので、高品質のギターには申し訳ないように思う。

今は、昔ギターをやっていたが、若い頃は欲しくても良いギターを買えなかった世代が良いギターを買っているという。
その気持ちは凄く分かるのだが、良い楽器はそれなりに演奏できる人が、それなりの場で演奏ができてこそ活きる物だと思う。
同僚の先生も1000人近くの生徒の前で演奏したから、Gibsonの音質を活かすことができた。
今の自分にはそういう場は無い。
だから、古女房と同じで、自分相応の安いギターで良いのだ。
と言うと、上さんに「私は安いギターか」と怒られそうだが、それだけ想い出と思い入れがあるということだ。
上達して多くの人に聞いて貰える機会ができれば、特別にそれ用として買うことにして、これからもずっとそばに置いて弾いていくつもりだ。
1976年高校文化祭にて





今でも中学校から40年近くも大切に使っているのはこのギターくらいだろう。

2025年4月18日金曜日

全て「負ける」戦争が悪い?

このところ、東京大空襲などの無差別爆撃による市民虐殺の報道がなされた。

あたかも、戦争という天災であったかのように、悪いのは戦争であって無差別に爆撃したアメリカ軍では無かったかのようだ。

日本が先に真珠湾攻撃したので、何十万人もの市民が亡くなっても仕方無かったのだろうか?

だったら、ガザで行われているイスラエルの爆撃も戦争が悪くて、イスラエル軍が悪いのでは無い。

パレスティナのハマスがしかけて始まったのだから、ガザ市民が4万人以上も亡くなっても仕方ないのだろうか?

ウクライナで行われているロシアの都市部への攻撃も、ロシア軍が悪いのでは無くて戦争が悪い。

ロシア軍が勝手に攻めてきて、ウクライナ市民を殺戮しても、戦争したから悪いのでロシア軍は悪くないのだろうか?


戦争は負けなければ、戦争犯罪と呼べることをしても、責任を問われない。

何度も言ってきたが、日清戦争も日露戦争も日本人は悪い戦争などとは言わない。

近代日本をもたらした幕府軍と薩長土肥軍との内戦も悪い戦争とは言わない。

それによって築かれた政権は国体維持という形で残存している。

要するに戦争は悪いとか、しては絶対駄目と言っているのは、前に「負ける」が隠されている。

つまり、「負ける」戦争は絶対してはいけないのだ。

トランプ大統領はアメリカは命がけで日本を守るのに、日本はアメリカを守る必要が無くて不公平だと言っている。

では、「勝てる」戦争ができる国になって、アメリカを守ってあげられる国になって欲しいのか?

場合によって、広島長崎の借りを返されても仕方ないと思うのか?

「負ける」戦争反対の弱い国のまま、温和しく金を出せば良いだけなのだろう?


日本人は原爆や焼夷弾によって大虐殺を受けた国として、真に勝てる戦争にも負ける戦争にも反対しなくてはならない。

毎年繰り返される太平洋戦争の悲劇を伝える報道のあり方も変えるべきでは無いのだろうか。

まるで、戦争という天災のような悲劇が襲ってきたかのように報道するのは、本質を隠したままでいる。

そして、それは太平洋戦争で亡くなった多くのアジアの人々にも、同じことを強いることをも意味する。

全て戦争が悪いのであって、国家や軍隊では無い。

戦争に負けたから戦争被害の賠償金を払い続けただけだ。

ベトナム戦争ではアメリカ軍は勝てなかったが、負けなかったから賠償金を払っていない。

そういう現実もきちっと報道するべきだと思う。


そして、戦争で闘って亡くなった兵士には遺族年金が払われ続けた。

原爆は別として、無差別爆撃で殺戮された人の遺族には何の保障も無かった。

何よりも悲惨だったのは戦争孤児達だった。

戦死者の関係者に遺族年金を払うのは、こんどまた戦争が起こったら国民に兵士になって貰わないと困るからだけだろう。

戦争孤児の悲惨さだけを報道するだけで無く、元兵士の保障や遺族年金と民間人犠牲者の違いをしっかりと報道するべきだと思う。




2025年4月17日木曜日

日曜昼の細やかな幸せ

 家内とはこのところよく回転寿司に出かける。

以前は、いつも駐車場に車が溢れているのをみたり、実際入ってみて順番待ちが凄いのであまり利用していなかった。

たまに、すいている岡山児島のかっぱ寿司に行ったり、全国チェーンとは違う値段の高い回転寿司を食べたりもしていた。

最近よく行くのは東岡山にあるくら寿司だ。

ここも当初はいつも駐車場に車がいっぱいなので敬遠していたが、思い切って寄ってみると広い駐車場が奥にあった。

いつもカウンター席でもボックス席でも良いと受付すると、たいがいは待たずにカウンター席に座れる。

初めての時は混んでいたのでしばらく待たされてカウンター席になった。

時間帯にもよるが、ここはボックス席殆ど座ることができる。


家内は寿司が大好きで、たいてい二貫一皿を一つずつ分け合って食べるのだが、私と殆ど同じ数を食べている。

私はアサリの味噌汁を頼んだりするのだが、飲んでいると先に食べ進んで皿が私の方に溜まったりもする。

くら寿司は皿は投入できてうずたかく溜まらないのが良い。

家内は味噌汁を飲むと寿司があまり食べられないと言って頼まない。

その代わりガリが大根だと特別にショウガのガリを注文して多く食べている。

とにかく色んな種類のにぎり寿司が食べられてしかも手頃な値段だ。

家内は普段ため込んでいるポイントを使って、二人で2000円ほどで済ましている。

これだけリッチに食べてひとり千円で済むことは、スーパーの寿司弁当でもありえない。


家内が本当に大好きなのは、鳥取の村上水産の海鮮丼で、道の駅「きなんせ岩見」で大抵食べる。

このところ値上がりして回転寿司の支払いの二倍の値段がするが、魚介類の物が違ってしっかりと味わうことができる。

ただ、冬場は雪道が苦手なので鳥取には足が遠のく。

冬以外は月に一度ほど鳥取に出かけてここに寄るのが楽しみになっている。


子どもが成長して一緒に出かけなくなってから、家内とは日曜の昼には食事に出かけることが多い。

当初はドライブがてら道の駅で食事をすることから始まった。

私の好きなホルモンうどんは岡山の津山の道の駅「久米の里」から始まったが、最近は時間が良ければ津山のうどん専門店「千両」に行く。

家内はホルモンが苦手だし、肉そのものも好きでは無いので、普通のうどんを色々食べている。

私はホルモンうどん以外にも、そづり鍋うどんを食べるのが好きだ。

私には問題ないのだが、家内には塩辛いそうだ。

ここはいかにも昔からの古い店で、トイレも旧式である。

それでも雰囲気は親しみを感じさせてくれるので良いが、人気があって駐車場には入れそうに無い時もある。

好物のホルモンうどんは時間が無い時は近場で済ますことが多いのだが、まだ佐用には行っていないので今度行こうと思っている。


私の年金と家内の非正規の仕事の収入で楽しめるのはこの程度のことだが、いつかは海外旅行を夢見ている。

大学の同窓生は65才を過ぎても、乞われて高校教師を続けることを自慢げにラインに書いていた。

私は「新課程になって面倒なので、講師は断っています」と打ち込んだら、スルーされてしまった。

仕事に誇りと生きがいを感じている人には、私のような日曜昼に細やかな幸せを感じている生活など想像できないようだ。

私は老人仲間から演奏ボランティアやコーラスを誘われている。

ただでさえ、時間が無いのにこれ以上増やしてしまったら、肝心の研究が疎かになりそうだ。

まっ いっか~!


2025年4月16日水曜日

その後のHotel Californiaの人々

Radicoでアナログコネクションの聞き逃しを聞いていると、田中まこさんがEaglesのHotel California歌詞を訳して解説してくれていた。

だいたいの意味は知っていたのだが、改めて考えさせらる曲だと思った。
この曲は私が高校3年の時(1978年)に文化祭の野外ステージにメインボーカルで歌った曲だった。
弟のリードギターも完全にコピーできていた。
当時は歌詞の内容などあまり考えず、ただ当時のアメリカを表現しているくらいに思っていた。
この曲は後に、1990年頃に職員バンドを組んだ時にも、忘年会でバンド仲間と演奏して歌った曲でもある。
この時も、懐かしい名曲として披露しただけだった。

当時のアメリカは豊かな繁栄の中で踊り続けて、そこから逃れられないと思われていた。
しかし、そのアメリカの大統領が世界からむしり取られたと嘆いている。
アメリカが踊り続けている間、日本では過労死や過労自殺が広がり、若者が結婚さえしなくなっていった。
アメリカも踊り続けていられるのは一部となり、多くが忘れたはずのワインで気晴らししたり、ピストルで命を絶ったりしだした。
アメリカ全体がHotel Californiaの世界であり続けることはできなかった。

私たちはそのアメリカに憧れ、この曲に魅せられて、その真の意味も考えずに歌い続けていた。
ヨーロッパや中東で殺戮が繰り返され、アメリカと中国が貿易戦争を繰り広げているさなかに、万博という踊りが大阪で開催されている。


Some dance to remember,Some dannce to forget
この万博の中で、50年前の希望に満ちた時代を思い出し、希望の持てない今を忘れる。


You can check out any time you like, but you can never leave"

自由と平和が訪れると思ったのに、破滅的な欲望の中から抜け出せないでいる


そう今なら自分なりに意訳している。

2025年4月14日月曜日

水泳を通しての仲間作り

 私はこのところ、糖尿病対策として週に3回プールに通っている。

月曜は隣の市の相生市民プールで、水曜、金曜は地元の上郡町民プールだ。

土日は農業や家のことに使いたいので、週に3回なら月、水、金とならざるを得ない。

すると、月曜が上郡町民プールが休みなので、せっかく年券を買っていても使えない。

本来なら年券があれば、相生市民プールを全て泳げば良いのだが、そこは1ヶ月1万円の施設使い放題しか無い。

年金暮らしの身には、月1万円の出費は痛いし、泳ぐために金を稼ごうとも思わない。

仕方ないので、回数券を使って月曜だけ相生市民プールに通うことにした。


たかだか1回あたり500円のプール代を払うだけで、思わぬ楽しみが増えた。

練習で一緒になり話ができる水泳マスターズに出場している人ができたことだ。

この人はまだ働いていて、使い放題の会員だそうだ。

私より5歳も上だが、背泳に関しては全く歯が立たない。

子どもの頃から水泳を習っていたこともあって、クイックターンやバサロが綺麗にできるのだ。

私は相変わらずクイックターンが下手で、特に背泳の時には鼻に水が入って辛い思いをしている。

こういう人の横で泳ぐことができるのは励みになる。


何よりも嬉しかったのは、子どもが習っていた頃のコーチがまだいて話ができることだ。

私が地元の高校の水泳部顧問をしていた時の選手達が親となって、子どもが練習に来ているという。

なかには選手同士が結婚して、その子どもも親も練習を頑張っているという。

自分には孫がいないが、部活での教え子の子どもという水泳の孫がいるようで嬉しい。

そのコーチも長く水泳に携わってきて、親も子も教えることができているなんて、なんと素晴らしいことだと思う。

私は移動ばかりしていた教師なので、教え子の子どもを授業で教えた経験が無い。


また、現役の選手も練習に来ていて、その選手の選手仲間やコーチも知っていたりする。

若い世代とも話ができるし、応援もできるのだ。

そして、隣で練習している老齢の方とも、知り合った会員の人を通して話ができたりする。

老齢の方は熱心に4泳法を練習していて、私はその隣しか泳ぎ専門のコースが無い。

そのコースは時間帯が良いので独り占めして泳いでいる。

賑やかな練習する人の横で泳ぐのは、ひとりきりで泳ぐことの多い上郡町民プールに比べてずいぶんと励みになる。

本当は、小学生などの選手のそばで泳ぎたいのだが、そういう時間帯はコースを複数人で利用せねばならず、泳力が違うと泳ぎづらい。


教師にとって、クラブ指導はずいぶんと負担となるので、中学校では学校以外で行うようになってきている。

水泳などは冬場に温水プールで泳ぐ関係から、かなり前からスイミングスクールでの練習が多かった。

外部の練習スクールと学校のクラブとの連携も難しいところもあるが、努力すれば何とかやってこられた。

相生市民プールのコーチともそういう関係でもお世話になってきた。

プロ志向や進路に繋がる部活は別として、スポーツや芸術などを通しての部活は仲間作りには良い機会だと思う。

かく言う私は部活では無くて、ロックバンドで校内での仲間を作っていたのだからあまり偉そうには言えない。

でも、学校の文化祭では我々のバンドの仲間が活躍していた。

要するに、もっと柔軟に生徒達がスポーツや芸術に励むことができる機会を与えてあげれば良いと思う。

私は学生時代の部活で経験したことも無い水泳が、今は大切な仲間作りになっている。

教師にも柔軟に色んなスポーツや芸術に携われるような余裕をあげて欲しいと思う。





2025年4月11日金曜日

学童は55年前のそろばん塾以下?

 先日家内に頼まれて、勤めている学童の教室に家内が依頼されて買ってきた大量のおやつを運び込んだ。

教室の一室に、低い長机をたくさん並べて、40人ほどが学習したり、テレビを見たりするという。

児童達は胡座をかいたり、正座したりするが、足を伸ばすと前の人にあたって喧嘩になってしまうそうだ。

思い出したのは私が小学生の頃に通っていたそろばん塾だった。

家の近くに地域の集会所を借りて開かれたそのそろばん塾に、火・木・土の夕方通っていた。

合格した級によって時間帯が変わり、高い級になると時間が遅くなった。

そこには木製の低い長机があって、いつも正座してそろばんをはじいていた。

1時間近く正座するので、終わる頃には足が痺れてしまい、いつも立ち上がるにも苦労していた。

正座が何よりも苦痛だったが、隣の人との間は肘があたらないように広めにとられていた。

学童ではそんな余裕さえ無いようだ。


55年くらい前と同じ状況が、現代でも存在することに呆れるしか無かった。

家内に聞くと、狭い方が暴れずに済んで良いのだそうだ。

元気な児童を温和しくするには狭いところに閉じ込めるのが一番と言うことだ。

学年も異なる40人を3人の職員で面倒見るのだからやむを得ないのだろう。

私が特別支援学校で指導していたのは、学童より少し狭い部屋で児童や生徒は4~5人ほどで教師も3人ほどついていた。

よく、特別支援学校の児童・生徒の一人あたりの経費を事務長から言われたが、20年前当時で年間700万円ほどかかっていた。

また、放課後デイサービスも充実していて、多く利用されていた。

はたして、学童一人あたりの経費はいくらかかっているか、ネットで調べたら東京の中間帯で年間6万円の税負担だそうだ。

放課後の子どもの面倒は親が見るという考えで行くと、こういうことになるのだろう。


学童に来る児童は必ずしも貧しい家庭では無い。

両親が教員であったり、公務員や病院、施設関連とかで働いている人もけっこういる。

問題なのは高学年になると塾へ行ったりするのでやめていく児童と、そのまま残ってしまう児童がいることだ。

そこで明らかに学力の差がついてしまう。

学童でも職員が勉強をする手助けをするが、塾のようにはいかない。

そろばん塾はせいぜい1時間だが、学童は普段は3時間ほどだが、長期休暇になると長いと9時間にもなる。

これが先進国日本の実情だとしたら本当に憂うべき実態だ。

老人や障害者を手厚くするのは選挙権や支援団体の影響が大きいだろう。

学童の保護者は人数の少なさや、そういう組織力をもつことができずらいので、改善できないのだろうか。

これから社会を担うべき人材の育成が、このようであって良いのだろうか。

2025年4月8日火曜日

狂った性欲

 文化人類学では性の問題は重要とされながら、そんなに研究は多くない。

私が大学院で学んだことで、一番記憶に残っているのは「近親相姦」に関しての松園万亀雄先生のゼミだった。

松園万亀雄先生は後に、『性の民族誌』*1でも執筆されているが、当時はエロティシズムを含めてこの分野の研究が必要なことは述べておられた。

この時に論文として読んだのは古代エジプトにおける兄妹婚の問題だった。

人類普遍に禁じられていると考えられている近親相姦が、古代エジプトでは王家を中心に一般にも広まっていた。

人類に普遍的な文化など無いように思えたのもその時だった。


性の問題は、サルとヒトを比較するとよく分かる*2。

私が大学生の頃は、デズモンド・モリスの『裸のサル-動物学的人間像』を読んで、その考え方に染まっていた。

霊長類の研究が進んで、ヒトとサルの類似性と違いがよく分かるようになっている。

特に高畑由起夫氏の研究*2には、目を覚まされる思いだった。


  動物とヒトの「性」をわかつものの一つに「時間」がある。哺乳類の雌の多くは排卵前後のわずかな時間だけ、ふだんと異なる形質的な特徴や行動を示して、雄と交尾する。発情とよばれるこの状態は排卵を知らせる信号にほかならず、「性」は繁殖に直結するものと見なされる。無駄を厭い、効率を追い求めれば、すばやく排卵を示して妊娠することこそ重要なのだ。かたやヒトの女性は発情を失い、途切れることなく「性」を受け容れ、いつ排卵するのかさえもわからないとされている。われわれの「性」は時間の制約から解き放されて、いつのまにか過剰になり、無駄に満ちているというわけだ。*3


ヒトが発情期を失ったが故に、自由な性を日常化することができた。

そして、それが家族形成に利用されたり、商売になったり、権力を誇示するのに利用されたりした。

このところ、芸能人や政治家のセクハラ問題が大きく報道されている。

ヒトは自由に性を用いながらも色々なタブーを課してきた。

その根底にあるのは、本人の同意なしでの性交を強いることの禁止だろう。

たとえその場で同意があっても、同意せざるを得ない状況に追い込むことも罪となる。

本来は恋愛と結びついて、子育てに必要な安定した家族を築くための文化が狂ってしまった。

これは、近親相姦が原因で滅んだとは思えないが、高度な文明によって古代エジプトも狂って行ったことに通じるかもしれない

現代においては、自らの権力によって狂った性欲を弄んだ者は、それなりに報いを受けさせねば文明の崩壊を招くということだ。

それは戦争や戦闘によって、性の秩序が踏みにじられる状態と同じことを意味するからだ。

ただ、ヒトは自由な恋愛と性欲を結びつけて、経済格差や生まれ育ちのちがいを超えた絆を築くことができていることも忘れてはいけないと思う。


*1 須藤健一杉島敬志編 1993 『性の民族誌』 人文書院

*2 高畑由起夫編 1994 『性の人類学―サルとヒトの頂点を求めて―』 世界思想社

*3 高畑由起夫「「性」と時間―交尾季、月経、発情をめぐるいくつかの話題」*2:68p


2025年4月4日金曜日

教師として初任の頃

先日、特別支援学校(以下特支)で一緒に働いていた、元同僚に近所の100円ショップで会った。

その人は今年度は異動して今までよりも遠い特支で働くという。

因みに、この元同僚は今年で65歳になる。

私は特支で10年以上働いていたので、どれだけ体力を要する仕事か知っている。

この元同僚は私より2歳下だけなのだが若々しくて、とても元気そうだ。

昨年度から完全退職して、年金暮らしの自分とは大きく違うと思った。

この人は、元々民間で働いていて私立高校に転職したが、その私立高校でリストラに遭って臨時で特支に勤め始めた。

退職金の問題や年金の問題もあって、働き続けているようだった。


私は大学院の修士課程を修了した後、教師を目指した。

その時の経緯は「30年前の繰り返し」に詳しく書いてある。

それまで横浜で、机にかじりついて論文を書いていて、その後は塾の講師をしたりしていた。

そして赤穂に戻ってから、採用されるまでの半年あまりは中学校や高校の臨時の常勤講師を務めていた。

それが、採用されて初任は知的障害の特別支援学校だったが、当時は精神薄弱養護学校と言っていた。

そこで、いきなり試練にさらされた。

というのは、当時は小学校の免許も無いのに、公簿上は中学部の担当にして小学部の担任をさせられた。

そこで待っていたのは、リトミックを中心としたダンスであった。


おかあさんと一緒の体操「ぞうさんのあくび」はまだ良かった。

「アブラハムの子」は、頭でっかちの当時の私には恥ずかしくて、ぎこちなく踊っていた。

子どもができて一緒に遊ぶようになってからは何の抵抗もなくなったが、当時独身の私には最大の苦行だった。

何もかもが初めての経験で、今までの自分の考え方を根底から覆された。

毎年のように亡くなっていく児童の通夜にも立ち会ったりした。

私の教師人生の原点となった。


近年は障害児教育の免許の取得が重要なので、免許を持たなかった私のような初任者はいないかもしれない。

確かにしっかりとした知識や経験が必要だろう。

家内は大学で障害児教育の免許を持ちながら、現場で携わることは無かったのは皮肉なものである。

現場に携わりながら免許をとる手もあったが、ずっと障害児教育に携わる覚悟は無かったし、当時の校長も普通校に行って経験を積むことを奨めていた。

結局、免許も無いまま知的障害、肢体不自由の学校を合計で3校経験しながら、全日制職業校・定時制や全日制普通科、定時制、総合科学校などを経験した。

そして、今でも連絡を取り合っているのは、初任で一緒になった同期の仲間だ。

ただ、特支で失敗したり問題を起こした教師や心を病む人が多いのも知っているので、手放しに良い職場とは思ってはいない。

それでも、尊敬できる先輩教員に巡り会えたことも確かだった。

自分が尊敬される教師になれなかったのが、一番悔やまれることだが・・・・・




2025年4月1日火曜日

近代化=欧米化の崩壊の始まり

 アメリカのトランプ大統領によって世界が混乱しているのは、あらゆるところで聞かれる。

あそこまでアメリカが誇りを捨てて、好き勝手やり出すことを見たり、貧困白人出身のバンス副大統領の言動から、アメリカの没落を感じさせられる。

私は以前にも書いたように、核兵器や無差別爆撃によって大量の日本人を殺戮したアメリカに追随しなくてはならない我々を哀れに思っていた。

ただ、追随の恩恵で経済的発展を遂げて、多くの国民が物質的に豊かさを享受できたのだから、全く酷い話では無かった。

島津藩が琉球王国をうまく間接統治したのと同じ方法を、アメリカが行っていると思っていた。

しかし、今は高齢少子化が進み、若者の自殺も増え、過干渉の親に子どもが苦しみ、大規模な地震災害に怯えながら暮らしている。

何よりも、アメリカに追随して推し進めた原発の脅威を解決しないし、アメリカの温暖化を無視した政策に対抗することもできない。


そして、学問や思想でも欧米を追随するのが当たり前だった。

英語で書かれた文献を使わないと、一人前に見なされていない。

それによって、環境破壊が進み、戦争を抑制することもできなかった。

この救いがたい状況で、私は欧米の中心であるアメリカが没落すれば、日本も変わると思っていた。

しかし、ただでは没落しないことが今回よく分かった

世界を巻き添えにして、まるで巨艦が周りの小さな船や人を巻き添えにして沈んでいくのと同じようだ。

戦争犯罪とも言える核攻撃で日本を服従させた国家は、罪を問われないように消滅するまで世界を脅し続けねばならない。

おそらく、没落時の姿はソ連が崩壊したのと同じようになるだろう。

巻き添えにならないためにはどうすれば良いのか?

沈む巨艦に近づかないのが一番だし、そもそも同じ艦隊で進むのは無謀なのだ。

しかし、傀儡政権・官僚は簡単には換えることはできないだろう。

我々庶民は、アメリカに追随する政府とも一線画して生活することも考えておかねばならないと思う。


太平洋戦争時であっても、その被害を間逃れたのは田舎だった。

多くの都市市民や学童が疎開して命を守った。

少子高齢化が深刻な田舎に、疎開のつもりで移住しても良いのではないかと思う。

米不足や食糧難の時代が現実化していて、田舎の若い人も農作物を作り出した。

その点で言えば、これからは田舎の時代なのだと思う。