先日(5/15)大阪市立美術館に行ってきた。
家内は前売り券を買っていて、いつ行くかは平日に休みが取れる日となっていた。
それが先日で、私は通院の日になっていたが、前日の午前中に受診を済ませておいた。
実は前日に伯母の葬式があったのだが、家族葬であったこともあって会食は断ってプールに行って体調を整えていた。
私たち夫婦はここ1年間鉄道を利用したことが無く、しかも大都会に行くのも1年ぶりだった。
上郡駅までは自家用車で行くのだが、駅前では少し離れたところに一日100円で置くことができる所もあるが、遠いし草だらけである。
駅に近い400円の白線の消えてしまって、スペースの番号も分からない無人駐車場で駐車票とお金をボックスに投入して駅に向かった。
私は午前中は特に頻尿で、以前大阪に新快速で行ってトイレを我慢して辛い思いをしたので、トイレの利用がしやすいスーパーはくとを往きだけ利用している。
前回乗ったときには全席指定席では無かったのだが、今回はそうなので早速上郡駅の自動券売機で指定席を購入した。
改札口でさっそく失敗をやらかしてしまった。
指定席特急券を改札機に投入してしまったのだ。
私は乗車料金はICOCAを使うので、乗車券を買っていなかったのでそれを求められたのだ。
要するに特急券を通す必要が無く、スマホのICOCAだけ使って入れば良かったのだ。
たまたま駅員さんが通りかかっていたので助けられたが、殆ど乗る人がいなかったので他に迷惑はかけずに済んだ。
席はトイレのある1号車近くに並んで座る席が2号車にしか無かった。
ホームで2号車出入り口と書かれた位置に待っていたら、はくとが停まるとそこにはドアが無く3号車のドアに行かねばならなかった。
そもそも、若い番号の号車は後尾であって先頭ではなく、窓側方向の感覚もずれていた。
私たちの席は山側の席で、明石から須磨までいつも楽しみにしている海が見えづらい席だった。
ただ、家内は列車の中では殆ど眠っているので気にしていない。
私は音楽を聴きながら車窓を眺めるのが好きで、はくとの無料Wi-Fiを使おうとしたがうまく繋がらず、auのインターネットを使った。
以前は車掌さんが切符の検札に来たのだが、今回はそれもなかった。
走り出してしばらくして、竜野駅の手前で緊急停止した。
踏切で緊急ボタンが押されていたということで、5分後に何もなかったということで運転を再開した。
どうも、いたずらがなされたらしい。
大阪駅で乗り換えて大和路快速で天王寺駅に向かった。
私は学生時代に名古屋と東京近辺の大都会生活を経験しているのだが、もうこういう都会の雰囲気には違和感しか感じない。
大阪は住んだことがないし、運河のある景色は独特で何度来ても懐かしさを感じない。
天王寺駅を降りるのは初めてで、公園口から市立美術館までは「てんしば」という芝生の公園が続いていた。
平日にも関わらず大勢の人がレストランや芝生の上で食事を楽しんでいた。
市立美術館では当日入場券を求めている人の長い列に驚かされた。
家内が前売り券を買っておいてくれたお陰で、すこし安くついたし並ばなくても済んだ。
美術館の中は人でごった返しており、時計の反対回りで見るように案内されるが、展示品にしがみついた人並みはなかなか動いてくれなかった。
私は展示品をじっくり見る気も無かったし、見てもその価値がよく分からなかったので、人垣の後ろからその隙間に見える作品を眺めた。
展示室ごとに一回りして見るべきことが分かっていなかったので、肝心の若冲の作品を見落としていたのだが、追いついてきた家内に言われて戻ってしっかりと眺めた。
若冲の『秋塘群雀図』は粟の穂に群がる雀を描いていたのだが、もち麦の穂に群がる雀に手を焼いていた自分には、作者は農民のいらだちを知らないと思った。
さすがに「群鶏図 」は見事に思ったが、雄鳥がこんなに群れをなしているなんてあり得ないと思ってしまった。
私は日本の芸術を理解する素養を持っていないように自覚した。
ちょっと前に岡山でデジタル再現した「洛中洛外図」も見てゆっくりと鮮明な絵を見ていたので、本物の絵には魅力を感じなかった。
とにかく、どの作品に対しても高い入場料を払っているのだから、じっくり見なくては損だとばかりにへばりついているので、あえて近づいて見るのを躊躇われた。
教科書の写真で見ている作品が直に見られる感動はそれほどでも無く、火焔式縄文土器を立体的に見られたことの方が興味がわいた。
また、薬師寺東塔の水煙は写真撮影もできて撮っておいた。
鑑真和上の像も親しみを感じられて良かった。
もう最期の展示室を見終わって出口の方に行こうとしていたときに、ドスンという音が館内に響いた。
それは予想通り、人が倒れた音だった。
土産物売り場のレジの側で、若い女性らしき人が倒れていた。
これだけに人混みで、待たされる時間も長く、倒れても不思議が無いように思えた。
コロナの時のように入場人数の制限をしていたときの方が、ゆっくりと見られたように思う。
美術館や博物館を巡り歩くのは、巡礼のように心得て普段から体力を維持しておく必要があるようだ。
博物館を出てからいつもの遺影を撮ると称した記念写真を家内にとってもらった。
遠くでなじみの通天閣もバックにして、大阪にもこんな良い風景があるのだと見直した。
昼食は天王寺駅近くの居酒屋風の店にはいって海鮮丼を食べた。
安くて美味しかったのだが、さっきの芸術的な雰囲気とは相容れぬものだった。
本当は、どこかのしゃれた店で、日本酒を飲みながら懐石料理を食べられたら良かったのだろう。
帰りは新快速で姫路まで戻って、各駅停車で相生駅までいって乗り換えて上郡に戻った。
普段自家用車では家内は隣に座っているし、家のコタツでも隣に座っている。
電車で向かい合って座っていると、家内が老けてしまったことを感じざるを得ない。
たぶん、自分もそうなのだろうと思いつつ、こうやっていつまで出かけられるのだろうかと不安に思う。
でも、無理してでも出かけていくことが大切なことだとも思っている。