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2025年7月12日土曜日

今もまだ動いてる、ゼンマイ式の柱時計

近くに住んでいた家内の母が亡くなり、遺品を整理した。

跡取りの家内の弟は遠くの関東圏で暮らしているし、子どももいなくて盆正月以外の関わりが殆ど無かったので、家への愛着が乏しい。

むしろ、家内や私は子どもを通して家内の両親とは深い関わりがあった。

その一方で、私自身が跡取りの長男で、近くに住む自分自身の両親との関わりがそれ以上にあって、両親の介護、そして葬式から遺品の整理に追われ続けていた。

両親の実家との関わりも強かった私たちに対して、それほどでもなかった家内の跡取りの弟夫婦は遺品に対してもクールなものだった。

何でも簡単に処分しようとしていた。

私は家内の実家には想い出の品はあまりないが、今後使えそうな物は持って帰ることにした。

特に、納屋に放置されていた農業資材や自転車、そして吉岡鍋は欲しいと思って持って帰った。

家内はさすがに緊密に関わっていたので、高価な敷物や食器など価値を知っていたので、捨てられようとするところを持って帰ってきた。

そんな中で、意外なことだったのだが大切に使い続けていたゼンマイ式柱時計を持って帰ってきた。

家内は昔のことに拘りをあまり持たない性格で、せっかく父親が撮ってくれていた幼い頃の写真さえ持って帰ろうともしなかった。


この柱時計は一度壊れたときに、家内の母親は広島県の大崎下島が故郷だったので、同じ島の御手洗で有名な時計屋「新光時計店」さんに直してもらった物である。

見栄えは大したことが無いのだが、わざわざ時間と労力、費用をつぎ込んで、ちゃんと動かし続けてきた価値ある時計だ。

ただ、ちょっとした難点は一時間毎だけでなく30分にボーンと鐘をならすことである。

家内は自分が寝ている部屋のピアノの上に置いたが眠られなくなって、持って帰った夜のうちに居間に持ち込んできた。


私自身はあまり昔のボーンボーン時計には愛着が無い。

私は中学受験したときに不眠症になり、寝間にあった柱時計の音が気になって余計に眠られなくなった。

明け方3時の鐘が鳴っても眠られなくて、情けなかったことを憶えている。

家内が言うにはその柱時計は、家内に時計の見方を教えるために親が買った物だというので、60年以上前の物である。

私の家にあったのは電池式でとっくに処分していたのだが、ゼンマイ式柱時計は月に一度ゼンマイの巻かねばならない年代物だ。

家内は父が亡くなった後は、老いた母に代わって高い位置に設置した柱時計のゼンマイを、実家に戻った際に忘れずに巻いていた。

このところは、その母は入院して家にいなかったので、ゼンマイも巻かずに止まっていた。

それをわざわざ持って帰って復活させたのだった。


我が家の居間にはすでに立派な電波時計があって、自動で時刻を合わせてくれるし、温度や湿度も知らせてくれている。

その時計から少し離れた壁に私はネジ釘を使って設置した。

思ったよりも正確に時間を刻み、時刻をボーボーンとその時刻の回数で知らせてくれるし、30分になっても分かる。

家内は子どもの頃にテレビやラジオからの音楽を直接録音していたときに、この音に邪魔された話をしていた。

母親が時計の見方を教えるために「今何時?」とわざと聞いてきたのは共通していて、腕を時計の針の形に上げて知らせたことも共通していた。


まるで人の心臓の鼓動のように、「チクタク」と音が鳴り続けていて、始めは耳障りにもなったが聞こえて当たり前になった。

時間を知らせる鐘のおかげで時刻を以前よりもしっかり意識するようにもなったと思う。

何でも新しくて便利な物に買い換えてしまう時代に、あえて古くて手がかかる物を使い続けることも愉快だとも思った。

骨董品のように飾っておくのではなく、生活の中で一緒に生き続けていくものだ。

日本人はまだアニミズムの信仰が残っているともいわれているが、道具や機械に愛着を持ってまるで魂があるかのように扱う。

AIの時代になっても、道具や機械と会話をし出したので、ネオアニミズムの世界に生きていくかもしれない。

そして、何よりも大切にしてきたものには、過去の想い出も一緒に生き続けている。

私の両親は墓をもうけずお寺で永代供養して貰い、仏壇と遺影を実家から移してきて、座敷で供養し続けている。

そういう供養としての墓や仏壇の位牌、遺影などとは関わり方がまるで違う。

家内の両親や私たち家族の古い記憶が、さりげなく日常生活の中にまぎれこんで、一緒に生き続けるのがボーンボーン時計である。

「大きなのっぽの古時計」に近づくためには、原曲では100年ではなくて90年なので、その歳まで家内はがんばって生きねばならない。

家内が自分自身の誕生と結婚を語る孫がまだいないのが残念だが、息子と娘に語ることはできる。

原曲では柱時計を買ってきた人は登場しないが、小さな柱時計にはちゃんと買ってきた両親も語っていける。

自慢できるほど立派では無いのだが、これだけの年数を動き続けた道具は他に無くてかけがえのないものだ。

  




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