家内は家にいてテレビを見ながら暇なときには、ポイ活のできるゲームやクイズをしている。
普段も、買い物に行くときはポイントが5倍つく日をチェックしてその日に高い物を買ったりする。
そのゲームやクイズ、買い物等で得たポイントを使って回転寿司の支払いを安くあげて自慢する。
例えば二人で2400円食べたとして、400円の端数をDポイントなどで支払うのだ。
家内にとっては家計を助けていると自負しているのだが、聞いてみると月に1万円以上は稼いでいるらしい。
今までの低金利時代では確かにありがたい話だった。
しかし、今はネット銀行を中心に金利も上がっている。
多くの金銭の蓄えのある人は、安全に不労所得を得られるようになってきた。
そんな中でポイ活は蓄えが無くて、リスクを回避したい人にとっては大切なサイドビジネスになったのかもしれない。
私はお金を働かせて儲けることも最低はしたいと思うが、それよりも時代を見据えて生きていると実感できる仕事をしたいと思っている。
年金での生活で金銭が不十分だからと言って、もうマニュアル化された仕事の稼ぎに出たいとは思わない。
私が労を惜しまずにやっているのは農作業だ。
賃金に換算すれば全く割り合わない。
キュウリ10本で500円にもならないだろうし、ズッキーニやトマトを加えても時給1000円には全く届かないと思う。
それでも今はジャガイモをご飯の代わりに食べているし、トマトジュースを買わなくて済んでいる。
大量に採れたキュウリは色んな漬物になって、食事には欠かせない。
この間までは、豆乳にする黒大豆も自分で作った物を使っていた。
これは単に節約という意味では無い。
自給自足にはほど遠いが、直近では日照りによる旱魃に立ち向かっている。
近年の猛暑は従来の経験が役に立たなくなっていて、その対策に工夫が必要となっている。
ポイ活は冷房の効いた部屋でゲーム感覚で楽しみながらできるので良いのだろう。
朝の5時から畑に出て汗まみれになって農作業をやるのに比べてどんなに楽なことか。
ただし、熱中症になるような無理な働き方はせず健康な汗であり、農作業以外にも1時間以上歩いたり1時間半の水泳をしたりしている。
そして、作物達が元気に育って、その労力や工夫に応えてくれる喜びはゲームやクイズでは得られないと思う。
近隣では酷暑で荒れてしまった畑も見かけるし、ラジオでも家庭菜園が駄目になった話が聞かれる。
そんな中で、元気に持ちこたえてくれている野菜立ちはなによりも私の誇りだ。
一方で、ポイ活は資産が無く、リスクも負えない立場の人が、デジタル出稼ぎをしているかのように思える。
楽しみながらやりがいを持ってすることができれば良いのだが、重要な収入源となっている人はそうとは言い切れない。
まさしく、中国のゴールド・ファーマーはポイ活の極地だろうが、貧困化する日本でも生計に欠かせない人も増えるかもしれない。
また、資産がある人でも株に手を出して老後資金を無くしてしまった人の話がネットで目につく。
私のつぎ込んだ労力で大きくなる作物の株はしっかり大きくなって、老後資金を失わせることはまず無い。
また、このところYoutubeでは、夏休みになり給食が無くなって、食事がまともに食べられないので寄付を募るCMが流れている。
原因は両親の離婚と言うことだが、どうも釈然としない。
私の世代の多くの子どもは両親がいても、いつも腹を空かせていた。
だから、野山に行って食べられる物を探して食べたり、海に行って魚介類を捕った。
例えば今では見向きもされないイタドリを腹一杯食べたりしたし、海辺で掘った貝をその場で割って食べたりもした。
また、いけないことだとは思うが、よその畑の物を採って食べたりもしたが、特にサトウキビはご馳走だった。
見つかって怒られたりもしたが、親や学校には訴えられなかった。
教師になってからも、山間部の生徒は子どもの時に村だけの新聞配達をしたり、カブトムシを捕まえて売ったりして金を儲けていたことを聞いたりした。
都会であったり時代が違うから、寄付に頼るというのも理由かもしれないが、そういう子どもでもちょっとした手伝いをさせて、食べる機会を与えてあげれば良い。
同情を買って寄付を求めるCMは、子どもの生きる力を失わせているのでは無いだろうか?
そういう子どもが、勉強しながらでも手伝いをして食事ができる機会を作ってあげる方がその子のためだと思う。
その手伝いを通して将来の生きる力を身につけられると思う。
私は食うに困っているから野菜を作っているのでは無い。
気象破綻でも生き残る力を得るために野菜を作っている。
苦しい立場でも自分の努力で生きていける機会を子どもに与えてあげた方が良いと思う。
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