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2012年5月21日月曜日

村作業 2012/05/20(日)

近年、スローライフと言うことで田舎暮らしが見なおされているが、私は元々赤穂の田舎に生まれ育って、学生時代だけの7年間だけ都会に住んだ。
ただ、中学校・高校と姫路という都会に通学していたので、中途半端な地元人である。上郡は結婚して上の息子が4歳くらいに家を建てて引っ越したので、かれこれ18年の暮らしということになる。
この上郡の村では赤穂の昔の暮らしが残っていて、引っ越ししてきた時に下肥を普通に畑にやっているのを見て驚いた(下水のできた今は殆ど無い)。また、当時は在家の報恩講があった。今でもお寺で行う報恩講を続けている村もある。
村に移り住んだ都会の人にとって大きな壁は、村付き合いである。
以前の隣保の葬式は夫婦二人が参加し、女性は朝のまかないで6時頃から出て、男性も朝食を一緒にとった。最近では集会所で葬式を行うことが多くなって、まかないも軽減されてきたが、夫婦が出ることには変わりない。
そして、村作業が特に男性には負担となる。この時期は田植え前で溝掃除があり、道具を持って朝の8時から10時過ぎまで行う。
女性でも参加可能だが、全く参加しないと2千円支払わねばならない。以前住んでいた赤穂の大津という村では、女性が参加すると負担金をとられた。高齢の男性より作業ができるのに理不尽な扱いでもあった。
この、不参加料は村によっては6000円と高額の所もあり、そうしないと参加する人がどんどん減ってしまう。上郡の新興住宅地は500円ほどで、それを払って参加しない人も多いようである。
この村でも理不尽なのは、水田の用水路の掃除まで全員が行う。
下水の完備した現在では、農地を持たない人にとって、用水路は殆ど関係ないのだが、昔からのしきたりでそうなっている。赤穂の大津では水利組合に入っている農家だけが行っていた。

私は村の組(村が3つの組に分かれている)の会計を行っている。その役割としてこの溝掃除の時に飲み物を用意するのだが、スーパーに家内と買い出しに行き、二人で配った(普通は一人でする。家内は配った後で家に戻った)。
本当は冷えた缶ビールも作業終了時に配るのも必要なのだが、参加できない高齢者の寄付で、今回は組長が用意してくれた。
方々に散らばっている村人に配るのも一手間で、あぜ道を籠を持って配ったりもした。作業終了後も村の重鎮と缶ビールを飲みながら会話のお付き合いをして、空き缶を持って帰った。
住民が行う作業は、他に公園の草刈りを隣保(組には3つの隣保がある)で、村祭り前の道作りを組全員で、2月初旬の畦焼きも組全員で行っている。
他に毎月21日は組の村寄り合いで7時から集荷所に集まり、正月の初旬に村全体と、組の発寄り合いとがそれぞれ行われる。こういう村の付き合いが都会から来た人には大きな負担となり、特に回ってきた隣保長はそれらの世話役となるので、それを行った後で村から出て行ってしまう人もあった。
これは地元に昔から住んでいる人にとっても結構負担となり、15軒ある私の隣保も隣保長ができる家は10軒ほどで、高齢世帯や若い若者の単身世帯には無理である。

こういう付き合いを覚悟して入村した家族には問題ない。ただ、売りに出された家屋敷が安いからと引っ越ししてきた人にとっては、大きな問題となり、途中で出ていった家族も何軒かある。
葬式や祭りだけでなく、作業の多い村への引っ越しは、事前によく調べてから考えた方が無難で、それなりの覚悟が必要だ。
また、高齢者になってからの引っ越しには無理があるように思う。一方、村の方も過疎対策を考えるなら、こういう村作業を工夫して軽減を考えるべきで、上郡町も代行したり、助成しなくては過疎は止まらないと思う。
自然豊で米の美味しいこの地域を担う人が、少しでも増えるように、時代変化に応じて改革すべきだろう。それが、昔のしきたりに固執する世代にはなかなか通じないのが悩みの種である。

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