私は学校の授業ではプロジェクターを10年以上前から使っている。
教科が地歴公民で図表を使うことや、ネットへの接続が役に立ったからである。
特別支援学校では実技が多いので、常時使うことは無かったが、普通校では常時用いた。
今まででは、スクリーンに大写しするには、かなりプロジェクターを遠くに離さなくてはならなかった。
しかも、部屋を暗くしなくてはよく見えなかった。
だから、教室で用いることは難しく、特別教室を用いた。
情報などの特別な授業以外では、私のようにプロジェクターを常時使う教師はいなかったので、特別教室の利用は問題なかった。
ただ、特別教室は設置環境が悪くて、カーテンを引いて暑いという点で、生徒には不評な面もあった。
今勤めている学校では、この夏に教室にエアコンが入ったので、この機会に教室でプロジェクターを用いることにした。
それには、特別教室ではネットが使えないという、信じられない環境も理由としてあった。
そこで、プロジェクターを探したら、今はビジネスや学校用ので超短焦点ワイドプロジェクターが開発されている。
しかも、3000ルーメンという明るさで、暗幕を必要としないのである。
当然学校は、既にある旧式のプロジェクターがあるのに買ってくれる筈もなく、自腹を切ることにした。
大学などでは、普通に使われていて、教員がそういう物を自己負担することは無いだろうが、高校では自己負担するしか無い。
(因みに、研究指定を受けて予算をもらうと、その報告に膨大な時間が必要となる)
意を決して、8万円近くするBenQのMW820STをネット通販で買った。
これを選んだのは、価格と本体の軽さ、ある程度の信用である。
価格面でリコーも考えたが、家のパソコンのディスプレーもBenQで馴染みもあるし、ネットでの口コミもそう悪くは無かったので決めた。
さっそく、今日教室で試してみた。
特別教室のスクリーンより小さくなるが、教室自体も狭いので何とかなりそうである。
部屋が暗くなくても、ちゃんと見えることには感心した。
自前のキャリアーに小さな机を据え付けて、ポータブルのスクリーンを持って、教室に設置する予定である。
これは、以前勤めていた学校ででも特別教室に常設できなかったので、同じようにしていた。
なぜ、こんなに自己負担をして、しかも、持ち運びも大変なのにプロジェクターを用いるか?
1、今の生徒は映像や画像を用いないと興味を示さない。
2,同じ授業を何回(担当クラスが複数、学年が違って同じ科目担当)も行うので、教材を一回作っておけば手間が省ける。
3,練習問題や試験の解答では、答えを表示するのが便利。
4,生徒が手許の図表よりも、顔上げてスクリーンを見るので、反応が分かる。
5,特に現代社会なのでは、ネットからの情報をリアルタイムで流せる。
6,特別支援学校では、文字言葉よりも、画像や、映像、音楽が非常に効果的。
などなどである。
デメリットは
生徒の教室移動(これは今回で解消)、文字を書くのが遅い生徒には酷、目の悪い生徒は見づらい、など色々とある。
もう既に、大学ではプロジェクターで授業をするのが当たり前になっている。
小中学校、高校でも教科によっては、非常に効果的だろうと思う。
だいたい、黒板にチョークという前近代的な道具を未だに使っているのは学校ぐらいだろう。
せめて、ホワイトボードにしておけば、プロジェクターのスクリーンにもなる。
エアコンをつけて環境を整えるのも良いけれど、学習効率も考えてはどうだろうか?
学力試験の点数がどうのこうのとマスコミは報じるが、デジタル化、ネット化に対応しようとしているマスコミなら、学校の転換の必要性もわかるだろうに・・・
ちなみに最近出演した文化祭でのステージ演奏のユニット名は”Chalk Duo”であった。
今度出るときには、映像付き演奏で”The Projectors X”にしようかな・・・
播磨の西外れにある私の生まれ育った赤穂や、今暮らしている上郡に関すること、農作業,山野河海の恵み、趣味の水泳、音楽、専門である有機農業や、教育、文化人類学、民俗学に関することなどを、きままに記してみます。
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2013年8月29日木曜日
2013年8月17日土曜日
近くなった鳥取・日本海
去年の夏休みは出雲博を見に行った。
今年はどこへ行く当てもなく、朝の十時前にドライブに出かけた。
用事で郵便局に寄った後で、どちらに行くのかと助手席の家内に聞くと、車が「出やすい方」というので、西向かった。
そこは今朝方(8/16)、自転車のトレーニングで走ったところだった。
とにかく西に行こうと言うことで、安室ダムの北側の山道を通って、八塔寺の入り口まで行った。
気がつけば、7月にドライブで通った国道374号線まで出てしまっていた。
津山はその時に行ったので、とりあえず北に向かって美作を目指した。
家内が美作国の建国1300年だというのを聞きかじっていたので、何かイベントがあるかとも思った。
私達は湯郷温泉が美作にあることを意識していなかったのだが、美作を目指したことでやっと結びついた。
残念ながら、イベントは無かったので、道の駅で昼ご飯の鯖寿司と、巻き寿司を買った。
どこか涼しいところを見つけて食べるつもりでいた。
ここまで来たら鳥取に行こうと言うことで、ひたすら北に向かって走った。
今まで聞いたことの無い「奈義」という町を目指した。
奈義は高原の盆地のような町だった。
そこからは上郡町民としては耳慣れた「智頭」を目指して山間の道(因幡街道)を走った。
途中でループ状の橋があるような急な坂道もあった。
景色が良いので、日陰でも見つけて食事を取ろうと思ったが、都合の良い場所は見つからなかった。
因美線の傍を通る道には、家並みも広がっていたが、屋根瓦の色が違うので異文化を感じる。
自分の住む播磨地方は淡路の瓦が多くて銀色だが、この地域は濃いい焦げ茶色である。
このあたりは確か、子どもが小さかった20年ほど前に一度来たはずだが、風景は覚えていない。
鳥取砂丘への案内看板を頼りに行ったのだが、どうも道を間違えて鳥取市街地に入ってしまった。
昼も一時を過ぎて腹が空いたので、結局車の中で運転しながら、巻き寿司や鯖寿司を食べたのだが、美味しいさを味わう余裕は無かった。
そのうち国道九号線に出て、砂丘とは反対の白兎海岸を目指した。
白兎海岸は以前子どもと来た時には立ち寄らなかったからだ。
一年ぶりの日本海は、少々波があり、水平線はかすんでいた。
暑い中、白兎海岸の道の駅に立ち寄って、白兎神社に参拝。
道の駅では高校野球がテレビでかかっていたが、西脇工業が残念ながらちょうど敗れたところだった。
帰りは運転を家内に代わって貰い、とりあえず駐車場から出やすかったので、西を目指してまずガソリンスタンドに寄った。
そこから、どうしようかと迷ったが、米子道は有料なので、安上げるために無料の鳥取自動車道で帰ることにしてUターンした。
来る時には気がつかなかった湖山池の南の道を通った。
この池は湖のように大きな池だった。
鳥取自動車道に乗ると、殆どトンネルを通って、景色もさほど見られなかった。
その代わり、1時間ちょっと佐用に着いてしまった。
佐用からは一般道なので、同じくらいの時間が上郡までかかったが、夕方の4時前に着いた。
こうしてみると、鳥取は近い。
無料道路なので、ガソリン代だけで行けることを考えれば、神戸に行くよりも安上がりである。
国道373号線は、中世の赤松一族が栄えた千種川沿線の道であるが、日本海と瀬戸内海を結ぶ新たな可能性を感じた。
確かに智頭急行はその先駆けではあるのだが、手軽に車に乗って日本海に行くには自動車道の方が便利である。
すごく遠く感じ疎遠だった、因幡国や出雲国が近くなった。
何より日本海に釣りに出かけたり、冬場の蟹を食べに行くのも便利そうだ。
渋滞の多い瀬戸内海沿岸よりも魅力を感じる。
旅情を感じたいなら、山間の一般道を通り、手軽に行きたいなら自動車道が良いだろう。
課題は鳥取道に結ぶ、播磨道を早急に延長して作ることだろう。
できれば無料化にして欲しい。
今年はどこへ行く当てもなく、朝の十時前にドライブに出かけた。
用事で郵便局に寄った後で、どちらに行くのかと助手席の家内に聞くと、車が「出やすい方」というので、西向かった。
そこは今朝方(8/16)、自転車のトレーニングで走ったところだった。
とにかく西に行こうと言うことで、安室ダムの北側の山道を通って、八塔寺の入り口まで行った。
気がつけば、7月にドライブで通った国道374号線まで出てしまっていた。
津山はその時に行ったので、とりあえず北に向かって美作を目指した。
家内が美作国の建国1300年だというのを聞きかじっていたので、何かイベントがあるかとも思った。
私達は湯郷温泉が美作にあることを意識していなかったのだが、美作を目指したことでやっと結びついた。
残念ながら、イベントは無かったので、道の駅で昼ご飯の鯖寿司と、巻き寿司を買った。
どこか涼しいところを見つけて食べるつもりでいた。
ここまで来たら鳥取に行こうと言うことで、ひたすら北に向かって走った。
今まで聞いたことの無い「奈義」という町を目指した。
奈義は高原の盆地のような町だった。
そこからは上郡町民としては耳慣れた「智頭」を目指して山間の道(因幡街道)を走った。
途中でループ状の橋があるような急な坂道もあった。
景色が良いので、日陰でも見つけて食事を取ろうと思ったが、都合の良い場所は見つからなかった。
因美線の傍を通る道には、家並みも広がっていたが、屋根瓦の色が違うので異文化を感じる。
自分の住む播磨地方は淡路の瓦が多くて銀色だが、この地域は濃いい焦げ茶色である。
このあたりは確か、子どもが小さかった20年ほど前に一度来たはずだが、風景は覚えていない。
鳥取砂丘への案内看板を頼りに行ったのだが、どうも道を間違えて鳥取市街地に入ってしまった。
昼も一時を過ぎて腹が空いたので、結局車の中で運転しながら、巻き寿司や鯖寿司を食べたのだが、美味しいさを味わう余裕は無かった。
そのうち国道九号線に出て、砂丘とは反対の白兎海岸を目指した。
白兎海岸は以前子どもと来た時には立ち寄らなかったからだ。
一年ぶりの日本海は、少々波があり、水平線はかすんでいた。
暑い中、白兎海岸の道の駅に立ち寄って、白兎神社に参拝。
道の駅では高校野球がテレビでかかっていたが、西脇工業が残念ながらちょうど敗れたところだった。
帰りは運転を家内に代わって貰い、とりあえず駐車場から出やすかったので、西を目指してまずガソリンスタンドに寄った。
そこから、どうしようかと迷ったが、米子道は有料なので、安上げるために無料の鳥取自動車道で帰ることにしてUターンした。
来る時には気がつかなかった湖山池の南の道を通った。
この池は湖のように大きな池だった。
鳥取自動車道に乗ると、殆どトンネルを通って、景色もさほど見られなかった。
その代わり、1時間ちょっと佐用に着いてしまった。
佐用からは一般道なので、同じくらいの時間が上郡までかかったが、夕方の4時前に着いた。
こうしてみると、鳥取は近い。
無料道路なので、ガソリン代だけで行けることを考えれば、神戸に行くよりも安上がりである。
国道373号線は、中世の赤松一族が栄えた千種川沿線の道であるが、日本海と瀬戸内海を結ぶ新たな可能性を感じた。
確かに智頭急行はその先駆けではあるのだが、手軽に車に乗って日本海に行くには自動車道の方が便利である。
すごく遠く感じ疎遠だった、因幡国や出雲国が近くなった。
何より日本海に釣りに出かけたり、冬場の蟹を食べに行くのも便利そうだ。
渋滞の多い瀬戸内海沿岸よりも魅力を感じる。
旅情を感じたいなら、山間の一般道を通り、手軽に行きたいなら自動車道が良いだろう。
課題は鳥取道に結ぶ、播磨道を早急に延長して作ることだろう。
できれば無料化にして欲しい。
2013年8月11日日曜日
フィン(足ひれ)と黒肌の力
私は水泳部の顧問を長くしているが、生徒と泳ぐ機会が多かった。
スイミングの経験者ばかりの時はさすがに一緒には無理で、練習後に泳いだ。
たいていは、初心者や学校クラブだけで泳力がさほどでない生徒がいたので、一緒に泳ぐことが多かった。
今の学校では私は主顧問ではないので、号令を掛けたり、練習メニューを考える必要が無い。
ところが、部員は経験者ばかりで、泳力も皆高い。
そこで練習に少しでも加わる目的で、フィンをつけて泳いでみた。
すると、全部では無いにしろ、生徒と一緒に泳げる。
特にサボりがちな生徒との横のコースや、場合によっては同じコースで泳ぐと、生徒は年寄りに負けるものかと、頑張る。
これが私の狙うところである。
このフィンは確かにスピードは出るのだが、生徒と一緒に泳ぐにはそこそこ体力も要る。
例えば、50mをフリーで泳ぐ時、いつもは1分サークルで泳ぐのだが、生徒の練習は遅くても50秒で、普通は45秒以下ということになる。
これは、フィンをつけていても結構辛い、たまに間を抜いたりする。
そして、100m以上になると、フィンをつけていてもなかなかついて行けない。
ましてや、個人メドレーとなると、平泳ぎは殆ど役に立たなくなる。
しかし、圧巻はキックの練習で、さすがに生徒の先頭と並ぶ。
54歳が16・17歳の若者と対等に泳げるのは、フィンあればこそである。
これはさしずめ、自転車に乗って伴走する陸上のトレーニングと一緒かも知れないが、自転車よりは技術と体力が要る。
それにしても、お陰で私の顔はゴーグルの影響で、逆パンダ状態・・・
パンツの部分以外は全身真っ黒である。
先日も屋内プールに行った時には、周りの人は白いので違和感を感じた。
奇しくも、新人(現世人類)はアフリカから誕生したという説を研究していうるのだが、先祖返り状態である。
家では肌を露出する機会も多くて、皮膚の温度が体温調節で低くなっているせいか、家内に熱い手で触られる。
この悪ふざけは、折角体温を下げている身には、気に障るのである。
何せお嬢様育ちの、家内は汗をあまりかかなくて、体温が籠もって手も熱い。
その手で下げた温度を上げられたら、たまったものではない。
今日も農作業で、虫対策で最初は長袖を着ていたが、汗でびっしょりになり、通気性も悪くて気分が悪くなった。
そこで、長袖を脱いで、薄い半袖シャツになり、虫除けを塗って仕事したが、ずいぶん楽になった。
我々祖先のアフリカのサバンナで身につけた暑さ対策と、海岸生活で身につけた泳ぐ術を今こそ甦らせよう。
おそらく、サバンナは日中は40℃を超えるだろう。
日本はまさしくサバンナだ、というより湿気が多いので熱帯雨林に近いのだろうが・・・
とにかく、冷房だけに頼らずに、地球温暖化の新たな文明に適応しよう。
スイミングの経験者ばかりの時はさすがに一緒には無理で、練習後に泳いだ。
たいていは、初心者や学校クラブだけで泳力がさほどでない生徒がいたので、一緒に泳ぐことが多かった。
今の学校では私は主顧問ではないので、号令を掛けたり、練習メニューを考える必要が無い。
ところが、部員は経験者ばかりで、泳力も皆高い。
そこで練習に少しでも加わる目的で、フィンをつけて泳いでみた。
すると、全部では無いにしろ、生徒と一緒に泳げる。
特にサボりがちな生徒との横のコースや、場合によっては同じコースで泳ぐと、生徒は年寄りに負けるものかと、頑張る。
これが私の狙うところである。
このフィンは確かにスピードは出るのだが、生徒と一緒に泳ぐにはそこそこ体力も要る。
例えば、50mをフリーで泳ぐ時、いつもは1分サークルで泳ぐのだが、生徒の練習は遅くても50秒で、普通は45秒以下ということになる。
これは、フィンをつけていても結構辛い、たまに間を抜いたりする。
そして、100m以上になると、フィンをつけていてもなかなかついて行けない。
ましてや、個人メドレーとなると、平泳ぎは殆ど役に立たなくなる。
しかし、圧巻はキックの練習で、さすがに生徒の先頭と並ぶ。
54歳が16・17歳の若者と対等に泳げるのは、フィンあればこそである。
これはさしずめ、自転車に乗って伴走する陸上のトレーニングと一緒かも知れないが、自転車よりは技術と体力が要る。
それにしても、お陰で私の顔はゴーグルの影響で、逆パンダ状態・・・
パンツの部分以外は全身真っ黒である。
先日も屋内プールに行った時には、周りの人は白いので違和感を感じた。
奇しくも、新人(現世人類)はアフリカから誕生したという説を研究していうるのだが、先祖返り状態である。
家では肌を露出する機会も多くて、皮膚の温度が体温調節で低くなっているせいか、家内に熱い手で触られる。
この悪ふざけは、折角体温を下げている身には、気に障るのである。
何せお嬢様育ちの、家内は汗をあまりかかなくて、体温が籠もって手も熱い。
その手で下げた温度を上げられたら、たまったものではない。
今日も農作業で、虫対策で最初は長袖を着ていたが、汗でびっしょりになり、通気性も悪くて気分が悪くなった。
そこで、長袖を脱いで、薄い半袖シャツになり、虫除けを塗って仕事したが、ずいぶん楽になった。
我々祖先のアフリカのサバンナで身につけた暑さ対策と、海岸生活で身につけた泳ぐ術を今こそ甦らせよう。
おそらく、サバンナは日中は40℃を超えるだろう。
日本はまさしくサバンナだ、というより湿気が多いので熱帯雨林に近いのだろうが・・・
とにかく、冷房だけに頼らずに、地球温暖化の新たな文明に適応しよう。
2013年8月2日金曜日
歩き、走り、転がし
私は持病の糖尿病の治療のために、運動を行っている。
以前は犬の散歩などで歩くことが多かったが、犬が死んだことと血糖値が高くなったのでジョギングに変えた。
ジョギングは平坦な田圃の中の道を、朝5時に起きて涼しい時間帯にゆっくりと走る。
額に日本手ぬぐいを巻いて、30分以上走ると汗が絞れるほどになる。
大量に午前中に汗をかくので、仕事に出てからは、そう汗は出ない。
何よりも、歩く人が多い中で、走ることは、まだ私は若いと自己満足にひたることができる。
ところが、私には左足のアキレスに古傷があって、走りすぎると痛んでくる。
そこで、自転車を時には用いる。
朝の自転車も爽快で、車も少なくて走りやすいし、涼しいので汗も乾くのか、苦にならない。
ジョギングに比べて楽なので、1時間近く掛けて田圃の道や千種川の土手道を転がした。
山沿いの道では朝早くから、ひぐらしが鳴いて心を癒す。
久しぶりにみんみん蝉の声を聞くことができた。
今日は午前中にクラブで生徒と泳ぐつもりだったので、運動は抑えて歩くことにした。
近くのため池には蓮の花がちょうど満開である。
蓮の花がこの時期に咲くことは知っていたし、出勤時に車に乗って遠くから眺めたことはあった。
歩いて傍で間近にじっくり見るのは初めてのような気がする。
何せ、歩く時は犬と一緒だったので、そちらの方に気を取られることが多かったからだ。
朝日の中を、淡い桃色の蓮の花は、まさしく極楽を再現しているように思える。
みんなに見て貰いたいが、陽が高くなる頃には花を閉じてしまう。
蓮根も採れる蓮なのだが、ひまわりや梅のように、花で観光客を呼べないのが残念だ。
ただ、これも規模を大きくすれば、朝早くからでも来てくれるかも知れない。
走れば運動の充実観が得られる。
自転車を転がせば、風を切る爽快感が得られる。
歩けば花を愛でることができる。
朝の運動は三文の得と言うよりも、生活そのものの糧である。
お金をつぎ込まなくても、得られる楽しみでもある。
そして、私には治療でもある。
以前は犬の散歩などで歩くことが多かったが、犬が死んだことと血糖値が高くなったのでジョギングに変えた。
ジョギングは平坦な田圃の中の道を、朝5時に起きて涼しい時間帯にゆっくりと走る。
額に日本手ぬぐいを巻いて、30分以上走ると汗が絞れるほどになる。
大量に午前中に汗をかくので、仕事に出てからは、そう汗は出ない。
何よりも、歩く人が多い中で、走ることは、まだ私は若いと自己満足にひたることができる。
ところが、私には左足のアキレスに古傷があって、走りすぎると痛んでくる。
そこで、自転車を時には用いる。
朝の自転車も爽快で、車も少なくて走りやすいし、涼しいので汗も乾くのか、苦にならない。
ジョギングに比べて楽なので、1時間近く掛けて田圃の道や千種川の土手道を転がした。
山沿いの道では朝早くから、ひぐらしが鳴いて心を癒す。
久しぶりにみんみん蝉の声を聞くことができた。
今日は午前中にクラブで生徒と泳ぐつもりだったので、運動は抑えて歩くことにした。
近くのため池には蓮の花がちょうど満開である。
蓮の花がこの時期に咲くことは知っていたし、出勤時に車に乗って遠くから眺めたことはあった。
歩いて傍で間近にじっくり見るのは初めてのような気がする。
何せ、歩く時は犬と一緒だったので、そちらの方に気を取られることが多かったからだ。
朝日の中を、淡い桃色の蓮の花は、まさしく極楽を再現しているように思える。
みんなに見て貰いたいが、陽が高くなる頃には花を閉じてしまう。
蓮根も採れる蓮なのだが、ひまわりや梅のように、花で観光客を呼べないのが残念だ。
ただ、これも規模を大きくすれば、朝早くからでも来てくれるかも知れない。
走れば運動の充実観が得られる。
自転車を転がせば、風を切る爽快感が得られる。
歩けば花を愛でることができる。
朝の運動は三文の得と言うよりも、生活そのものの糧である。
お金をつぎ込まなくても、得られる楽しみでもある。
そして、私には治療でもある。
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