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2014年12月5日金曜日

大学の違い

前回のブログで、弟と私の受験の成功と失敗を書いた。
私が受験を失敗したのを痛切に感じさせられたのは、大学生の頃の夏休みのアルバイトである。
当時の赤穂では夏休みだけできるアルバイトは殆ど無くて、私は親の知り合いを通じて、土方のアルバイトをした。
名古屋でも当然アルバイトをしたが、そちらは餅屋の仕事などであった。
私は1年次の軽音学部も、その後の剣道部も長く続かなかった。
ただ、文化人類学研究会の村落調査班は長く続き、その後の人生を変えることになった。
この村落調査は長期休暇期間中に村落に出かけて、聞き取り調査をするので、短期間で稼げるアルバイトが都合が良い。
赤穂の実家に帰ってアルバイトをしたのも、生活費がかからず、短期間に稼げるからであった。

弟も大学が勉強が忙しくなる前は、夏休みに帰ってきてアルバイトをした。
弟には家庭教師のアルバイトが直ぐに見つかった。
家庭教師をする相手は、母親の勤め先の主人の子供である。
ここで、大阪大学と南山大学の差を思い知らされた。
名古屋でも家庭教師のアルバイトに応募したが、一度も出来なかった。
ところが不思議なもので、東京では東京都立大学大学院生として、家庭教師も塾講師もアルバイトは見つかった。
ただ、家庭教師もそれなりに良かったが、それ以外にやった色んなアルバイト経験が世間を広くしたと思っている。

私はそういう機会では受験の失敗を思い知らされたが、南山大学に対しては嫌悪感は持たなかった。
同じ学科の同級生の中には、河合塾で東大を目指して失敗して、入学したのは良いが、その拘りで去って行った者もいた。
ルームメートになった友達も、早稲田大を受け直したが、結局上手くいかなかった。
また、数年して浪人を続けて入学してきた同じ高校の同級生もいたが、彼は長続きしなかった。
その一方で、国立の教育大に受かりながら南山大を選んだ友達もいたが、男子は名古屋大学を落ちた者も多かった。
望んで入学した者と不本意ながら入学した者が入り交じった大学だった。


私が受験の失敗のコンプレックスを抱えながら、大学を続けられたのは、ひとえに研究会の活動のおかげだと思っている。
そこで、信頼できる教官と出会い、親友を得、恋人も得ることが出来た。
そして、研究の道もその中で見いだすことが出来た。
挫折の連続の中でも、腐らず、もがきながら探り当てた活路だったように思う。

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