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2018年2月27日火曜日

新聞配達と洋菓子

先日、朝,新聞を取りに玄関先にでたら、新聞が来ていない。
この頃、月に一度ほどこういうことがある。
たぶん、普段と違う人が配ってミスをするのだろう。
休みが十分とれない配達員のことを思うと、あまり怒れない。
実は、私もかつて配達員を数ヶ月だけしたことがある。
私は父親の意に反して大学受験に失敗して予備校に通うことになった。
弟も受験生なので、下宿させる余裕が無かった。
それで、私は朝日新聞の奨学生に応募した。
授業料の前借りはせずに済んだが、予備校近くの販売所に住み込んで朝夕刊を配達することになった。

販売所は阪急春日野道駅の北にあり、神戸特有の坂の多い街だった。
販売所の店主は元トラック運転手で、凄みのある人だった。
新聞配達は思ったよりも辛く、失敗の連続だった。
私は原付免許と持っていたので、急な坂道の場所が担当になった。
中には15階建てのマンションがあり、階段を上がったり下がったりせねばならなかった。
たまに配り忘れて、電話がかかってきて届けに行き、電話代10円を渡そうとすると「嫌らしい」と断られ蔑まれたこともある。
受験勉強もまともにできず、「何でこんなことをやっているんだろう」と配りながら涙が流れたりした。

そんな中でも、一緒に頑張った奨学生仲間とは励まし合って仲良くできた。
苦しい時の友というのは、本当にありがたいと思った。
ただ、新聞配達を辞めてから一度きり会っただけで、その後会うことは無かった。
自分としては途中で辞めたやましさと、当時の苦い思い出を思い出すのが嫌だった。
配達を辞めてからは、自宅から御影の大道予備校まで長時間通うことになり、だんだん休みがちになった。
そして、共通一次試験初年の大学受験でも上手くいかず、希望の大学には行けなかった。

そんな、良い思い出の無い新聞配達だが、心に残る思い出がいくつかある。
その一つは、洋菓子工場の宿直のおじさんのことだ。
私が配っていた洋菓子工場の宿直のおじさんは、よく新聞受けにその工場で作る洋菓子を紙でくるんで置いてくれていた。
私はありがたくそれを頂き、配りながらほおばったりした。
その洋菓子にずいぶん慰められたし、たまにおじさんも声をかけてくれて励まされた。
しかし、そのおじさんもしばらくすると退職になってしまった。
その最後の日に、おじさんは待っていてくれて、挨拶してくれた。
私ははずかしながら、軍手をしたまま握手をしてしまった。
何も礼儀作法を知らない、未熟者と思われたかも知れないと今でも悔いが残っている。
都会の世知辛い町に、世間のことを何も知らない若者に暖かく接してくれる人がいるということを教えてくれた。
そのおじさんと洋菓子は、新聞配達をしていたからこそ知り得た思いやりだった。


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